« 「人生は芸術を模倣する」 | トップページ | 敵に似る愚を冒す勿れ »

2006年10月26日 (木)

再び、必修科目の未履修問題について

 地歴科の独立は、戦後教育史の中でも画期的な出来事の一つだった。

 地理・歴史という学科は、戦後アメリカからもたらされた社会科という枠組みでは収まりきらない、人文の学問である。教養本来の意義からしても重要な意味を持っている。

 しかし、受験科目ではない。

 そのため、進学校では常に冷や飯を食わされることになるわけだ。

 世界史必修が導入されたとき、それは画期的なことと認識された。勿論自國の歴史が必修であった方がよいのは勿論だが、そちらは地理と日本史と選択科目となった。

 地球規模でものを考えろなどというかっこよい言葉に対して冷笑的に黙殺されたのが、「世界史」だった。日本人が精神が矮小化していくのもこんなところに原因があるのだろう。

 江戸時代、荻生徂徠は「学問は歴史に極まり候」と言った。現在、国が歴史の宝庫に触れる機会を設ければ、学校現場では受験という実用に向かないと切捨てられる。

 教育の荒廃とは、このような点にも顕れている。そして、受験にのみ集中して大学に受かった彼らは、一体何をやるのだろう。歴史の軽視という副産物もしっかりと身につけて、そしてまた、打算のためには法令も軽んじるという姿勢までも身につけて。 

|

« 「人生は芸術を模倣する」 | トップページ | 敵に似る愚を冒す勿れ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/86795/12442293

この記事へのトラックバック一覧です: 再び、必修科目の未履修問題について:

« 「人生は芸術を模倣する」 | トップページ | 敵に似る愚を冒す勿れ »