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2006年9月11日 (月)

永遠の母なるもの

 その初めて産みし迄は、母の顔花の如くなりしに、子を養つること数年なれば、容及ち憔悴す。

 水の如き霜の暁、氷の如き雪の夜に、乾ける処に子を廻はし、湿へる処に己れ臥す。

 子は己が懐に屎し、或はその衣に尿すとも、手自ら洗ひ濯ぎて、臭穢を厭ふことなし。

 もし子遠く行くあらば、帰りてその面見るまでは、出つ入りつこれを憶ひ、寝てもさめてもこれを憂ふ。

 己が生のある間は、子の身に代らんとぞ念ひ、己が死去し後は、子の身を護らんとぞ願う。

 是の如きの恩徳如何にしてか報ずべき。  (父母恩重経より)

 代はらむと 思ふ命は をしからで さても別れん ほどぞかなしき (赤染衛門)

 世の中に おもひあれども 子をこふる おもひにまさる 思ひなきかな

 人の子の親となってはじめて親の恩を知る、といふけれども親の思ひ、ことに母親の子を思ふ思ひほどこの世の中にあって、深く厚ひ思ひはない。母への思慕ほど子供にとって切実な思ひもまた無い。母と子の間といふものほど聖なる関係はまたとない。

 人類はすべて母より生まれた。歴史も文化もありとあらゆる人類の遺産は母の存在なくしてはありえなかったのである。グラックス兄弟の母、シーザーの母、聖母マリア、アッシジの聖者フランシスの母。歴史を変えた偉人の背後には必ず偉大なる母の姿がある。母なくして偉人もこの世の人ではありえなかったのである。

 名も無き民のひとりひとりにも、かけがえのない母がある。

 一億の人に一億の母はあれど我が母に勝る母あらめやも

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