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2006年9月

2006年9月21日 (木)

安倍総裁誕生!皇室の尊厳を守る体制づくりを願ふ

 自民党に、 「憲法改正」を明確に打ち出した安倍新総裁が誕生した。

 自主憲法制定を党是とする自民党が、結党の使命にようやく立ち返つたことを意味する。

 待ちに待った本格的保守政権の誕生が期待される。新政権への期待感は高いが、新しい日本、美しい日本の構想をどのやうに実現させるのかは未知数である。またはじめての戦後世代の首相が誕生することによつて、世代交代に拍車がかかるのではないかとの思ひも湧く。

 安倍氏が掲げた政権構想を見ると、伝統に立脚した保守主義の立場を明確に打ち出していることがわかる。
 
○文化・伝統・自然・歴史を大切にする国
    新たな時代を切り開く日本に相応しい憲法の制定
    開かれた保守主義
    歴史遺産や景観、伝統文化等を大切にする
    家族の価値や地域のあたたかさの再生

○自由と規律の国
    教育の抜本的改革
    民間の自律と、過度の公的援助依存体質からの脱却
    安心と安全を国民の手に取り戻す

○イノベーションで新たな成長と繁栄の道を歩む国
    成長なくして日本の未来なし
    イノベーションによる経済成長
    国際社会における規範形成力と存在感

○世界に信頼され、尊敬され、愛される、リーダーシップのあるオープンな国
    世界に向けた日本の魅力のアピール
    日本の強さを生かした積極的貢献
    世界の中で活躍、貢献する日本人を育てる

 伝統的価値観に立脚しつつ、新たな挑戦に果敢に挑んでいくといふのは、我が国の維新のあるべき姿であらふ。首相の権限が実質的に強化されている現在の機構を、小泉首相とは違ふ切り口からその有効性を実証して頂きたいものと思はれる。強力なリーダーシップが発揮される体制であつても、我が国においては、権威と権力の分離といふ叡智が貫かれてをり、皇室の尊厳をおかすことはない。逆に、皇室の尊厳を守ることが日本のリーダーの重要な役割でもあるのである。

 安倍氏はそのことを骨身に染みて知悉するリーダーであると信ずる。

 現行の皇室を取り巻く様々な問題について、皇室の尊厳を高め、皇室をお守りする方向で取り組む必要があることは明らかである。

 また、教育基本法の改正を喫緊の課題と位置づけられていることは喜ばしいことではあるが、改正案の孕む問題にも目を配り、愛国心や宗教的情操教育の問題などにも手をつけて頂きたい。さらには、現場における皇室に関する教育を明確に位置づけて頂きたいものである。皇室について学ぶ際に、どうしても宗教的な事柄が多く出てくる。それは神話や宮中祭祀のみならず、宗派を超えて仏教の庇護者であられた側面などにも着目しなければならないからである。

 「天皇信仰」といふ言葉は、非常な違和感を感ずるものと思はれる。しかし、その実質を見て行くならば、正に我が国の歴史と伝統と文化を大切にすることの謂いに他ならぬのである。それは自然に自信を持てるやうな工夫がなされることが大切なのではなからふか。

 日本の姿もこれから余程変つて行くやうに思はれる。何よりも、戦後教育を受けた世代が全盛を迎へるのである。皇室に対する見方も余程気をつけねばならないやふにも思ふが、しかしまた一方で自然な尊敬と敬愛による皇室と国民の絆が強固に結ばれることが願はれるのである。

 過度の公的保護への依存体質からの脱却などは、明治の初め、「一身独立して一国独立す」と喝破した福沢諭吉の「学問のすすめ」を彷彿とさせるものでもある。同じ福沢が書いた「帝室論」「尊皇論」をも見直す中で、日本の永遠の中心としての皇室の尊厳を守るための体制づくりを安倍政権にこそ願ひたいものと思ふ。

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2006年9月15日 (金)

江田島を訪問する方に格好のパンフレット

 旧海軍兵学校のあった江田島は、現在、海上自衛隊第一術科学校として、その伝統を受け継いでいます。
 そして、教育参考館には、明治の建軍以来、我が国の歩みと共にあった兵学校出身の方々の足跡が残されています。

 特に、東郷平八郎元帥とネルソン提督の遺髪が安置され、また、兵学校出身の戦没者の方々、また特攻隊で散華された方々の銘が刻まれているなど、ひとつの慰霊の場として襟を正される場でもあります。

 海上自衛隊の施設ということもあり、これまで案内パンフレットなどが発刊された例は管見の限りありませんでした。そこで、出版されたのがこの冊子です。

 嗚呼海軍兵学校
 日本を愛した勇士たち ~江田島教育参考館の展示から~

 一冊500円で、小学校高学年から中学生で充分読みこなせるように配慮された編集がなされています。

 江田島に訪れる方、これから訪れようとしている方、訪れたことのある方、予定は無いが江田島を知っている方、江田島のことを始めて知った方、すべての方々に読んで頂きたいものです。

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2006年9月14日 (木)

國語の傳統について

 言葉には魂が宿るとは、古来我が國人が抱いた信仰である。現在も尚それは廃れることなく厳然と生きてゐるといつて良い。それは日常の中に息づく民族の生命なのである。

 ところが、敗戦後日本人は言葉を奪はれた。

 一つには検閲といふ手段を以て、思想統制を受け、馴致された。

 もう一つは更に深刻で、表記法を歪められ奇形で歪なものにされてしまつたことである。

 かくいふ私も、自分の表記が正しいものかどうか、自信を持つことができない。それなりに分つてゐるつもりでも、やはりどこかで間違つてゐるのではないかとの疑念を払拭することは難しい。どこかで徹底的に自分の言葉を点検し直す必要を感じてゐる。

 端的に言つて、傳統的表記、つまり正統な表記法の方が、いわゆる現代仮名遣ひよりも美しい。これは間違ひないのである。美しくて、しかも合理的でもある。現代仮名遣は、その不合理さ故に日本人の頭脳の働きを鈍らせてゐるとしか思へないのである。

 日本人が、これほどまでに自國や自國民への関心を失つてしまつたのは何故なのだらふか。領土問題、拉致問題は基より、環境問題や汚染物質問題に至るまで、自分に関係が無ければ何処吹く風である。かくいふ自分も決して褒められたものではないが、滔滔たる心の麻痺は一体何なのだらふか、と思はずにいられない。

 強弁と言はれやうが、その根底には、國語表記の歪みが存在すると私は思ふ。

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2006年9月11日 (月)

永遠の母なるもの

 その初めて産みし迄は、母の顔花の如くなりしに、子を養つること数年なれば、容及ち憔悴す。

 水の如き霜の暁、氷の如き雪の夜に、乾ける処に子を廻はし、湿へる処に己れ臥す。

 子は己が懐に屎し、或はその衣に尿すとも、手自ら洗ひ濯ぎて、臭穢を厭ふことなし。

 もし子遠く行くあらば、帰りてその面見るまでは、出つ入りつこれを憶ひ、寝てもさめてもこれを憂ふ。

 己が生のある間は、子の身に代らんとぞ念ひ、己が死去し後は、子の身を護らんとぞ願う。

 是の如きの恩徳如何にしてか報ずべき。  (父母恩重経より)

 代はらむと 思ふ命は をしからで さても別れん ほどぞかなしき (赤染衛門)

 世の中に おもひあれども 子をこふる おもひにまさる 思ひなきかな

 人の子の親となってはじめて親の恩を知る、といふけれども親の思ひ、ことに母親の子を思ふ思ひほどこの世の中にあって、深く厚ひ思ひはない。母への思慕ほど子供にとって切実な思ひもまた無い。母と子の間といふものほど聖なる関係はまたとない。

 人類はすべて母より生まれた。歴史も文化もありとあらゆる人類の遺産は母の存在なくしてはありえなかったのである。グラックス兄弟の母、シーザーの母、聖母マリア、アッシジの聖者フランシスの母。歴史を変えた偉人の背後には必ず偉大なる母の姿がある。母なくして偉人もこの世の人ではありえなかったのである。

 名も無き民のひとりひとりにも、かけがえのない母がある。

 一億の人に一億の母はあれど我が母に勝る母あらめやも

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2006年9月 9日 (土)

世の中の荒みすさみゆく

世の中の荒みすさみゆくさまざまもいましばらくは忘れていたし

常夜ゆく心の闇のいや深み深みにくだつ日の本の国

ともしびのごときひかりとあれましし皇子のみことをはるかをろがむ

深みゆく常夜の闇よさもあらばあれ 日の本の国に生まれし大和男子ぞ

ゲルマンの文化に魂を喰はれたるくなたぶれたるたはけもありぬ

たはけたるおのがすがたのみにくきをしらずがほしてしゃべちらかしぬ

しゃべくりておのがりくつをつらぬくはやまとだましいうせしひとかは

かなしきをあやめておのがいのちをもたちしはかなしおろかなれども

おのがこにころされたりしははそはのはははあはれをなくせしひとと

みだれたるうきよのやみのふかみかもちさきともしびかざしてゆかむ

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天壌無窮

 親王殿下の御誕生から、3日目を迎える。

 皇位継承順位第3位の新宮様であらせられる。41年ぶりの御誕生。

 秋雨のそぼ降る朝にあれましぬ我が日の本のあらたしき皇子

 秋雨の止みて別けゆく雲間より皓々と照る秋の夜の月

 嬉しさに涙込み上ぐ日の本はすめらみことのしろしめす国ぞ

 くなたぶれこちたき理屈こねるより直き心の湧きくるままに

 明津神すめらみことのしろしめす国はこの国日の本の国

 あなさやけあなうれしあなたふととよあしはらのみずほのくににあれいでし皇子のみことぞ

 数ならぬ賎が身なれどひたすらに祈るはただに御世の御榮

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2006年9月 5日 (火)

愈々明日、新宮様のご誕生・・・

 親王殿下がお生まれになれば、実に41年振りの皇位継承権者のご誕生ということになります。

 これほどのご慶事がまたとあるでしょうか。

 勿論、内親王殿下であられても、御目出度いことに変りはありません。

 今は、ご無事のご出産をお祈り申し上げたいと存じます。

 皇室の彌栄を衷心より祈念し奉ります。

 天皇陛下萬歳!萬歳!萬歳!!

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「賢帝の世紀」を読了して ~ローマ人の物語~

 塩野七生さんの「ローマ人の物語」の文庫版が久々に出版された。長い間待たされた。前回の「危機の克服」が出てから一年以上経っているような気がする。ハードカバー版はもうそろそろ最後の巻になろうかとしているのだから、もう少し早いペースで出してくれてもよいように思うが、ハードカバー版も売れなければ仕方ないのだろうから、貧乏な文庫版読者も余り文句は言えない。

 それでも、文庫版のおかげでこの大作の半分以上は既に読破してきたことになる。また、出版のペースが遅いので、既に何度か読み返し、多い巻では少なくとも5回は読んだだろう。ローマ人のつくったローマという文明の一貫した姿がそこには見て取れる。共和制も帝政も本質的な違いではない。恐らくその一貫性はキリスト教という異質の文明に起源を持つ宗教によって著しく変質させられたのではなかろうか。今まで読んできて、「あの偉大なローマが」という接頭語の持つ背景がそれなりに納得できるようになった。アメリカが現代のローマと言われる所以も判るような気がする。西洋文明の重要な起源であり、現代に至るまでその文明は基本部分に脈々と生き続けているともいえるだろう。

 「賢帝の世紀」が扱っている時代は、中国で言えば後漢の最盛期に一致する。トライアヌス帝、ハドリアヌス帝、そしてアントニウス・ピウス帝の3人を扱っている。所謂5賢帝といえば、トライアヌス帝の前のネルヴァ帝と、アントニウス・ピウス帝の次のマルクス・アウレリウス帝であるが、塩野さんはネルヴァ帝を混乱期の最後に入れ、マルクス・アウレリウス帝を、この「黄金の世紀」に続く「終わりの始まり」に入れた。確かに、その扱い方はこれまで読み進めてくる中で納得のいくものだと思われる。トライアヌス帝による帝国の最大版図を実現し、それに続くハドリアヌス帝により、帝国全土のリストラを成し遂げ、アントニウス・ピウス帝には最早やるべきことは何もない、というほどの文字通りのパクス・ロマーナを実現したのだから。この3帝の治世がローマ文明の絶頂期でもあり、到達点でもあったと納得することが出来る。

 それにしても、この絶頂期のローマ帝国にあっても、この帝国の統治権の保持者は、元老院でありローマ市民であったと塩野さんが繰り返すのが面白い。現代のアメリカ大統領とローマ皇帝の権力の集中度はどちらが上か、俄かには判断できないような気がする。皇帝という言葉には、中国文明のイメージが付きまとうので、必ずしも血脈で伝えられるのでない皇帝の地位の在り方は、皇帝という言葉を使ってはいけないのではないかと思われるほどの違いである。しかし、中国の皇帝も、秦の始皇帝以来幾多の変遷があった筈だが、では中国の皇帝がどのような存在であったのかといえば、それほど良くわかっているわけでもないことに気づかされる。

 ましてや、日本の天皇について、日本人自身もそうだが、諸外国の人々が正確にそのイメージを描くことは難しいのではないかと思われる。余りにも歴史が違うから、というのがその理由だが、それは優劣の問題ではなく、ただ説明されなければならない、日本人自身の問題である。

 ローマ文明は、遠いようでいてきわめて身近なものである。現代文明の基礎がローマにあるのだからそれも致し方ない。しかし、それは現代を理解しようと思えばローマ文明を知る必要があるということを意味する。しかも、これまでローマ文明を通俗的にわかりやすく紹介するような著作には中々出会えなかった。その意味で、「ローマ人の物語」は画期的だと思うのである。日本の少なくとも読書階級(つまり殆ど全ての日本人)にとって、ローマ文明の概観することが容易になったことを意味するからである。その意味で、この著作の出現は恐らく文明史的な意義がある、と思われるのである。

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