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2006年8月23日 (水)

「日米開戦の真実 大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く」(佐藤優著)一読

 大川周明博士の著書は、今でも案外容易に入手できる。

 自分が読んだのは、中公文庫に納められた『復興亜細亜の諸問題』『回教概論』で、何れも面白かった記憶がある。もう15年以上前の話だが。

 アメリカの外交政策の根柢にあるものを「マニフェスト・ディスティニー」であると指摘した村松剛氏が、これを日本人で一番早く指摘したのが大川周明博士である、と述べたことがある。

 上記の著書を読んだ頃に、少し読み込もうと思い、当時東京の区立図書館で帯出できた「大川周明全集」を借り出して拾い読みをした。10センチ以上もある分厚い本が7冊にもなるのだ。そして、「右翼の指導者」だ「狂信的な国家主義者」だと罵倒されているわりに、その文章の明晰さ、情緒的な含みよりも論理の鋭さの方が目立つ文体に辟易した。あの時に、一応「米英東亜侵略史」には目を通した筈だが、強い印象は残っていない。あるいは受け取るには未熟すぎたのかもしれない。

 このラジオ放送向けの一般書もすごいが、本当にすごいのはその全てを裏づけ、圧倒的な史料を駆使して書き上げた欧米の植民地支配の研究の方だ。圧巻とはあのことを言うのであろう。

 それはともかく、今回、佐藤氏のこの本を読み、改めて大川周明博士の歴史的な位置について考えさせられた。A級戦犯として東京裁判の法廷で起訴されながら、精神鑑定の結果法廷から外されてしまったこの明晰なる頭脳が、回復した後も法廷に引き戻されることがなかったことを指摘している。

 もし大川博士が東京裁判の法廷に戻っていたならば、その場を正に一場の茶番劇の笑いの劇場にしたことだろうという指摘も面白い。また、そうなっていたらまことに面白かったであろうとも思われる。

 しかし、占領軍は危険な賭けはせず、日本人の洗脳計画の中心にあった東京裁判という茶番の場を守るために、大川博士を忌避したというのである。

 ここで取り上げられている「米英東亜侵略史」は、開戦直後、NHKラジオで放送され、その後、出版されてベストセラーになったもので、これは日本政府が「開戦理由」を国民に納得させるための一環として行ったものだという。
「鬼畜米英」などというスローガンの稚拙さはともかく、この「米英東亜侵略史」は佐藤氏が言うように、きわめて冷静に、具体的に、論理的に、史実を踏まえて、アメリカ、そしてイギリスが、植民地支配を拡大し、日本を圧迫する過程を叙述している。「なぜ日本は対米英戦に踏み切ったのか」という問いに対して、当時の日本政府が国民に対して行ったアカウンタビリティの一環だったとして捉えると興味深い。生真面目な政府である。

 佐藤氏が何故今更このような反古を歴史の屑篭から掘り出して今一度国民の目の前に提示したのか。異色の外交官である氏らしい言葉のあとがきからその意図を拾ってみる。氏は「イデオロギー的な新米も、感情的反米も同じくらい危険である」と考える。そして、「1930年代末から40年代初頭によく似た国際環境が現在日本の周囲に形成されつつある」という認識を持つ。しかし、歴史がそのまま繰り返すことはない。そのためにも「過去の歴史に学び、崩壊へのシナリオを回避する」ことをめざすのである。

 「日本の国家体制(国体)を強化することがわれわれに残された現実的シナリオだと思う。国体の強化は、大川周明が言うように、日本の伝統に立ち帰り、「自國の善をもって自國の悪を討つこと」によって可能になる。そして、自身をもって自國の国益を毅然と主張できる国になることだ。自らの主張に自身をもっていく国家や民族は、他国や他民族の価値を認め、寛容になる。日本はアメリカの普遍主義(新自由主義や一極主義外交)に同化するのでもなければ、「東アジア」の共通意識を人為的に作るという不毛なゲームに熱中する必要もない。」

 実に興味深い指摘である。そしてまた自己絶対化の隘路にはまり込むことなく、という指摘はなるほど其の通りである、と思わされる。

 「そして、「日本人としての国家観を確立するためにはどういう勉強をすればよいか」という質問がいくつもあった。私は近過去によく読まれ、大きな影響を与えたが、戦後、忘れ去られてしまった書物をもう一度ひもとくことが効果的と考える」

 これも全く同感である。西尾幹二氏が、GHQにパージされた書籍の発掘調査を紹介されていたが、その事業がきちっと精査されていけば、この佐藤氏の指摘と実践を更に飛躍的に深化させる契機となるだろうと思われる。残念ながら、今の殆どの日本人は、何を忘れてしまったのかさえも判らない体たらくである。江藤淳氏の書名「忘れたことと忘れさせられたこと」が浮かんでくるが、民族規模の記憶喪失からそろそろ脱却しないと、本当に国の将来が危うい。戦後は「自由」の時代だったといわれるが、実は、これほど不自由だった時代も、日本の歴史の中でなかったのではないかと思える。あの総力戦に負けたのだから無理もないといえるが、記憶を取り戻す作業はこれからである。

 ただ、その際に、「自己絶対化の隘路」にだけは迷い込まないようにしなければならない。

 話はそれたが、大川周明博士はもっと読み込まれ、公正に研究されなければならないひとりであろうと思う。

 佐藤優氏が、正面から取り上げた慧眼と、先を越された、してやられた、との複雑な思いを持ちつつ、この本の一読をお薦めするしだいである。

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