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2006年8月 5日 (土)

外交官、死す~「大地の咆哮」著者、杉本信行氏死去~

 丁度今日、「大地の咆哮」を読了した。そうしたら、産経新聞に、著者である杉本信行氏の死去を知らせる記事が掲載されていた。

【産経新聞記事より】

杉本信行氏死去

外交官 プロ中のプロ

広い人脈、中国と信頼厚く

【北京=伊藤正】「外国間としてプロ中のプロで、いつも全力投球だった。抜群の行動力で中国社会に食い込み、日中関係のあるべき姿を追い続けた」。1998年から3年間、杉本信行氏とともに駐中国公使を務めた宮本雄二現大使は、杉本氏の死去に涙ぐんだ。氏を知る北京の在留邦人の多くもその死を惜しんだが、某商社代表は「ご本人が最も無念だったろう」と話した。
 杉本氏は今年、2度メディアの話題になった。最初は上海総領事在職中の2004年に発生した館員(電信官)の自殺事件が明るみに出たとき、2度目は、この夏に著書「大地の咆哮」を刊行したときだ。
 同書は現代中国を理解し、日中関係を考える上で示唆に富み、高い評価を受けた。杉本氏はそのまえがきで、館員の自殺について「上司として、館長として、彼を守れなかったことへの無念さはいまも変ることがない」と書きだし、同年11月に末期がんの宣告を受けた後、本書をまとめる動機の一つに自殺事件を挙げている。
 杉本氏は事件に関してはほぼ沈黙を守ったが、中国の情報機関が卑劣な手段で電信官から暗号情報を取ろうとしたのは、氏の情報収集活動に起因していると考え、責任を感じたのではないか、と見る人もいる。
 杉本氏は北京の公使時代、目覚しい情報収集能力を発揮した。氏の培った人脈は広く、当時の江沢民政権中枢にも及んだという。当時、杉本氏は経済部長として担当した対中政府開発援助(ODA)や、日中間の経済トラブル解決などを通じ、中国側と信頼関係を築いていったようだ。
 杉本氏は上海総領事になった後も、貴重な情報を取り続けたと関係者は言う。その中には軍事情報も含まれていたとされ、中国側はその内容と情報源をつかむため、電信官に接近したのではないかと関係筋は話す。
 杉本氏は情報に通じていただけでなく、その情報を分析し、的確に説明したものだ。例えば中国の沿海部と内陸部の格差を「中国は欧州連合(EU)とアフリカが一つになったような国」と表現したのも氏だった。
 著書は、中国が抱える諸矛盾、問題を指摘しているが、その底には杉本氏の弱者への思いやりがある。NGO組織「緑の地球ネットワーク」の高見邦雄事務局長は著書で、活動拠点の山西省が震災に遭い、小学校舎が多数倒壊したとき、杉本公使が同情して無償援助をすぐに決め、夜行列車で現地を視察、その日の夜行で北京に戻ったエピソードを明かしている。
 杉本氏は外務省チャイナスクール(中国語研修組)の出身だが、氏を「媚中派」と呼ぶ人はいない。「日本の国益を第一に、地域の平和と安全、繁栄のために行動してきたと自負している」(著書)とは、かつて本人から聞いたことがある。病と闘いながら書き残した同書を読む度、杉本氏の日本を愛し、日中関係を案じる情熱と責任感に打たれる。

  元首相補佐官・岡本行夫氏  また外交官が「戦死」した

 日本をたって中東に着いた直後に、杉本信行・前上海総領事の死去の知らせを受けた。
 2年半前、イラクで奥克彦大使と井ノ上正盛書記官がテロリストの凶弾に斃れた翌日も、私は中東の地に来ていた。その日も、今日も、呆然の中に、国を思いつつ倒れていった外交官たちへの鎮魂の言葉が浮かんでこない。奥、井ノ上は壮烈な戦死だった。認知の上海の病院で誤診され、l進行中のがんの治療を受けぬまま日本の国益に献身し続けた杉本も「戦死」であった。
 私が外務省を辞めて間もなく、台湾に勤務していた杉本が訪ねてきた。台湾のことを一緒に手伝ってくれませんか。彼はそう言った。中国政府への遠慮から日本は台湾に眼をつぶっている、と。「自由」に対する杉本の圧倒的な確信と、持ち前の弱者への同情心。それが彼の行動の原点だが、考えは大きく戦略的だった。李登輝訪日問題も含めて日本が揺れるから、中国も日本の足もとを見てしまう。その結果、日中の信頼も生まれない。それが発送の基本にあった。
 中国に勤務しても、彼の関心はまず貧しい人々に向けられた。自身で貧困地帯を回り、人々の悲惨な状況に義憤を感じ、同時に中国の強さの裏の脆弱さに心を痛めた。死期の近いことを悟ってから、彼は渾身の力で「大地の咆哮」を著し、われわれに巨大な国の絵解きを残してくれた。
 「中国の現状をたとえて言えば、共産党一党独裁制度の旗の下、封建主義の原野に敷かれた特殊なレールの上を、弱肉強食主義の原始資本主義という列車が、石炭を猛然と浪費しながら、モクモクと煤煙を撒き散らし、ゼイゼイいいながら走っているようなものだ。」(同書262ページ)
 彼の筆は中国の権力抗争にも腐敗にも及んだが、目標は、中国批判にあったのではない。この重要な隣国と日本はどうやってつきあい、そして和解に至るのか・そのロードマップをいかに作るか。それであった。
 北京、上海と続いた勤務の中で、大きな人脈を築き、さまざまな日中会議を成功させるための舞台回しを行い、そして中国に言うべきことを明確に言ってきた。上海総領事の時代、中国公安当局が彼の部下の電信官を自殺に追い込んだ。その時、杉本が個人的に行った強硬な抗議は、北京の指導部を動揺させたと聞く。しかし、彼は語らぬままだった。
 つい数日前、杉本にはまだ力が残っていた。彼は、誰よりも正確に自分の病状を知り抜いた上で、中国の将来の見通しを語り、気負うことなく、淡々と持論を語り続けた。
 彼の行動は徹底的な現実論と論考に支えられていた。靖国神社の中にアジアの戦争犠牲者を祀る「鎭霊社」が存在することを指摘し、総理大臣は本殿だけでなく鎭霊社にも参拝すべきだと最初に説いたのも彼だ。靖国への総理参拝に違和感を持ちつつも、そのような行動が日中の政治問題と化してしまった以上は総理は参拝をやめるべきではない、とも主張した。日中関係を長期的に考えれば、いま参拝をやめて「日本は圧力に屈する国だ」という印象を中国に与える弊害の方が大きいという理由だ。日中関係は、感情で処理してはならない。杉本は、日本と中国が歩いていける細い道を示し続けて、そして、逝った。

(以上、8月4日記事から)

3日前、偶々購入したのが「大地の咆哮」であり、何か気にかかって、一気に読んでしまったわけだが、その直後に訃報を聞くとは、何かしら因縁めいたものを感じる。

氏は「知中派」ではあっても、「媚中派」ではない。そして、死の床にあって記したこの著書は、日中関係への遺言であると言っても過言ではないだろう。現役の外交官として、ここまで歯に衣着せぬ突っ込んだ内容を書かせたものは、氏の憂念の深さと、責任感、そして愛国心の賜物であろうと思われた。

孫子の兵法に、「敵を知り己を知れば百戦危うからず」とある。

敵対を前提にする必要はないにしても、中国という相手がどのような国であるのかを具体的に現実に即して知ることは重要である。

氏の見解に必ずしも全て同調するわけではないが、中国問題を考える上での古典になるのではないかと思えるほど、文章としても内容としても優れているように思われた。

表面だけでは見えてこない現代中国を、より深く知ることが出来る。日本にもこのような外交官がまだいたのか、と思わせてくれた。国民の一人として嬉しい限りであるが、それを知ることが出来たのと同時に、その一人が永遠に去ってしまったことの悲しみをも味あわねばならないこともまた皮肉なことである。

中国は、北朝鮮以上に、我が国にとっても、世界にとっても厄介な問題であり続ける。しかし、感情的に忌避しても問題は解決しない。具体的な地道な積み重ねが、ここでも唯一の解決策であると、改めて感じさせられた。

一読をおすすめする次第である。

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