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2006年8月24日 (木)

出しそびれた懸賞論文「憲法改正論議は、なぜ盛り上がらないのか」

 雑誌「正論」で募集広告が掲載されていた懸賞論文に応募してみようと思った。テーマが「憲法改正論議は、なぜ盛り上がらないのか」。締切りは7月31日。一週間ほどしか時間がなく、結局一晩で書いておいたものを手直ししようと思いながら忙しさにかまけて、結局出さずじまいに終わってしまった。

 その後、櫻井よしこ氏の 「気高く、強く、美しくあれ 日本の復活は憲法改正からはじまる」を購入して、読み始めた。格調高い文章にはいつも学ばさせて頂いているが、櫻井氏も「日本国憲法は、日本人の原点、日本の真髄が反映されたものでなければならない。日本の”国柄”が軸となっていなければならない。」と書いておられることに意を強くした。

 結局、戦後60年の間に、日本人は、日本の「国柄」=「国体」の何たるかを真面目に考えてこなかったのではないか。そのために、憲法を構想することが出来なくなってしまっているのではないか、というのが出しそびれた論文の結論なのだが、それを勝手ながら確認させてもらったような気がした。

 せっかく書いたのにそのまま放置するのも勿体無いので、ここにアップさせて頂くことにいたします。ご笑覧賜りたく、ご批判ご叱責など頂ければ幸いです。

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出しそびれた懸賞論文

「憲法改正論議は、なぜ盛り上がらないのか」

 人類社会の中で、おそらく最も安定した社会を構築してきた我が国が、現在根底から動揺を始めたのではないかとの危惧は、敏感な人々の間では夙に指摘されてきたところである。

 動揺の淵源を探れば明治維新以来の近代化路線そのものの中にあり、それに拍車をかけたのが大東亜戦争の敗戦と占領という事態であったことも大方の同意を得られるものと思われる。

 国家の安定はおよそその国に生存する人間の活動万般の基礎であり、国家の動揺は国民活動のあらゆる場面に根本的な影響を与えるものであることは論を俟たない。国家の安定を確保するための諸条件の確立は政治の根本でもあろう。

 そもそも国家存立の要件は、領域(領土、領海、領空)、国民、主権の3つだと言われる。外形制度的には其の通りであろうが、それだけで言わば化学の実験室で薬品を組み合わせて化学合成物を作り出すような按配で、新しく国家を創出することはできないであろう。これら外形制度的な要件以上に国家存立に不可欠な要件とは一体何であろうか。それこそが、実は「コンスティテューション」の原義に他ならないのである。「憲法」と訳されるこの言葉は、より日本語として適切な言葉を選ぶならば「国体」とか「国柄」とは翻訳されるべき言葉であろうと思われる。これを明らかにすることが国家安定の根幹だと言わなければならない。

 「国体」という言葉は戦後長い間忌避され、今では大方の国民の意識に上らない言葉であろう。それは、大東亜戦争末期の「国体護持」のスローガンの記憶が、「国体」イコール「戦争」という観念連合を起し、それによって「国体」などと言えば軍国主義者であるかのように指弾される時代が戦後は長く続いたためでもあろう。

 そのためであろうか、戦後の憲法学には「国家」が欠落していると言われている。戦前には、公法学の泰斗、清水澄博士の「大日本帝国憲法逐条解釈」等の著書を見ても、冒頭には必ず「国家とは何か」そして「我が国の国体とは何か」を論じている。しかし現在、憲法学の最初に論じられるのは恐らく「憲法」の語義、憲法三原則といわれる諸概念ではなかろうか。戦後憲法学から欠落したものは明らかに「国家」「国体」であることが分かる。

 一般的な国家論の欠落も重大な欠陥であるが、更に重大な問題は、日本という国家の特質について論じられないことである。この日本という国家の特質こそ「国体」の謂いである。大東亜戦争当時の国民が「一億火の玉」となって護ろうとした「国体」とは、日本という国家の特質そのものであり、これを失ったら日本では無くなるというものであった。それを端的に云えば「天皇を中心とした歴史と伝統を刻んできた歩み」そのものであったろう。

 戦後長い間憲法学会に君臨してきた宮澤憲法学は8・15革命説を唱え、敗戦によって日本に革命が起ったとの説を流布してきた。改正限界を超えているといわれる明治憲法と昭和憲法の著しい内容の相違がこの説の根底にはある。現在においても、学説としての8・15革命説は後退していると言ってよいかも知れないが、それに学んだ官僚・知識人らの意識を束縛していることは確かだ。しかし、内容面はともかく、形式面から見た場合に、明治憲法と昭和憲法には明らかな連続性がある。第一章「天皇」という形式がその最たるものであり、この点から見れば、まさに「国体は護持」されたのであり、日本は現在尚「天皇国」なのである。そしてそれこそが、戦後の我が国の復興と繁栄に不可欠な要素であったことを殆どの国民が意識してはいないだろう。

 またしかし一方において、現憲法の内容面の綻びに対する懸念は増大する一方なのだ。拉致事件をはじめとする北朝鮮の我が国への著しい主権侵害は正に現憲法の観念的平和主義の破綻を全ての国民の眼の前に明らかにした。

 不易たるべき国体を護り、移り変わる様々な諸要素を按配していく。この柔軟性に富んだ我が国の真のコンスティテューションを取り戻すことこそが真に求められていることなのである。「人類普遍の原理」とされる諸理念も、「日本」という「国体」の中で実現されるべきものである。普遍と特殊は対立概念ではなく補完し合う関係にあると捉えることにより真に活きたものとなるのである。

 現在、いかなる世論調査においても憲法改正を求める国民世論は過半数を越える。また先般、衆参両院内に設置された憲法調査会の最終報告書が提出された。これほどまでに現行憲法について論議が集約されたことはかつて無かったことだ。

 しかし、憲法改正論議は盛り上がらない。

 それは「国体」についての認識の著しい欠如、つまり自らの国の来歴に対する無知とそこに原因する将来に対するビジョンの欠落のためであると思われる。

 かつて小林秀雄氏は「空想」と「理想」は違う、と喝破した。現在の憲法論議は「空想」の域を揺曳しているのではないか。「理想」とは、自らの来歴を確かに把持したものにしか生まれないものなのではなかろうか。言い換えれば「国体論」無きところに「憲法論」はありえないのである。その意味で、憲法論議の盛り上がらない淵源は案外深いところにあるのだと思われる。

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