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2006年8月

2006年8月25日 (金)

「修身教授録」を読む~「人身享け難し」といふこと ~その4~

森先生は、更に生徒に分かりやすいように、具体的に如何に人間として生を得たことが稀有のことであるのかを生徒に自覚させるため、次のように注意を向けます。

「諸君試みに寄宿舎の庭に立つて諸君の周圍を飛翔匍匐する動物は暫く措くとしても、せめてそこらに見らるる植物の數だけでも数へてごらんなさい。恐らく諸君は正確にはその數を數へ得ないでありませう。けだしその數は諸君の幾十百倍あるか知れないからである。成程大樹の數となれば極めて少ないでせうが、もし雑草の一々を數へたとしたならば、恐らく全庭の植物の総數は本校生徒の幾十百倍をも超えることでありませう。沿んや更に動物をも勘定に入れて、その邊にゐるくも、みみず、あぶ、はへ、地蟲等迄數へたとしたならば、實に際限なきことでありませう。しかるにお互に今それ等動植物の一つとして生まれないで、此處に特に人間の一人として生まれ出たことに對して何人かその資格ありと言ひ得る者があるでせうか。牛馬犬猫蛇蛙、更にはうぢ蟲などに生まれなかつた事に對して、何か當然の理由乃至資格ありといひ得る者があるでせうか。洵に地上の生物の數は、人間のそれに比して如何程多いか實に測り難いことであります。しかもお互いにそれらの何れでもなくして、此處に人間として生まれ得た事が何ら我が力によらざる事に思ひ及べば、何人も、享け難き人身を享け得た事に對してしみじみと感謝の心が湧き出づる筈であります。」

この地上には、様々な生命体が満ち溢れています。そのなかには大樹もあれば雑草もある、馬や牛、犬や猫もいれば地蟲もいる。そうした動植物の数は、人間の何百倍にもなることは生徒にも容易に理解されます。そしてそのような動植物に生まれずに、人間として生を享けたこと、そこに当然の理由や資格があると断言できるものが生徒諸君、否人間のなかにいるであろうか、と。そして、人間として生まれ得たことに対してしみじみとした感謝の念を感じせしめるよう導いていきます。きめ細やかな指導であると思います。

しかして、「感謝の念」を持つことは中々難しいこととて、信仰薄い現代人の特性にも説き及びながら、人として生まれ得たことへの「感謝の念」の大切なことを生徒の心に刻み込んでいかれるのです。



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2006年8月24日 (木)

出しそびれた懸賞論文「憲法改正論議は、なぜ盛り上がらないのか」

 雑誌「正論」で募集広告が掲載されていた懸賞論文に応募してみようと思った。テーマが「憲法改正論議は、なぜ盛り上がらないのか」。締切りは7月31日。一週間ほどしか時間がなく、結局一晩で書いておいたものを手直ししようと思いながら忙しさにかまけて、結局出さずじまいに終わってしまった。

 その後、櫻井よしこ氏の 「気高く、強く、美しくあれ 日本の復活は憲法改正からはじまる」を購入して、読み始めた。格調高い文章にはいつも学ばさせて頂いているが、櫻井氏も「日本国憲法は、日本人の原点、日本の真髄が反映されたものでなければならない。日本の”国柄”が軸となっていなければならない。」と書いておられることに意を強くした。

 結局、戦後60年の間に、日本人は、日本の「国柄」=「国体」の何たるかを真面目に考えてこなかったのではないか。そのために、憲法を構想することが出来なくなってしまっているのではないか、というのが出しそびれた論文の結論なのだが、それを勝手ながら確認させてもらったような気がした。

 せっかく書いたのにそのまま放置するのも勿体無いので、ここにアップさせて頂くことにいたします。ご笑覧賜りたく、ご批判ご叱責など頂ければ幸いです。

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出しそびれた懸賞論文

「憲法改正論議は、なぜ盛り上がらないのか」

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2006年8月23日 (水)

「日米開戦の真実 大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く」(佐藤優著)一読

 大川周明博士の著書は、今でも案外容易に入手できる。

 自分が読んだのは、中公文庫に納められた『復興亜細亜の諸問題』『回教概論』で、何れも面白かった記憶がある。もう15年以上前の話だが。

 アメリカの外交政策の根柢にあるものを「マニフェスト・ディスティニー」であると指摘した村松剛氏が、これを日本人で一番早く指摘したのが大川周明博士である、と述べたことがある。

 上記の著書を読んだ頃に、少し読み込もうと思い、当時東京の区立図書館で帯出できた「大川周明全集」を借り出して拾い読みをした。10センチ以上もある分厚い本が7冊にもなるのだ。そして、「右翼の指導者」だ「狂信的な国家主義者」だと罵倒されているわりに、その文章の明晰さ、情緒的な含みよりも論理の鋭さの方が目立つ文体に辟易した。あの時に、一応「米英東亜侵略史」には目を通した筈だが、強い印象は残っていない。あるいは受け取るには未熟すぎたのかもしれない。

 このラジオ放送向けの一般書もすごいが、本当にすごいのはその全てを裏づけ、圧倒的な史料を駆使して書き上げた欧米の植民地支配の研究の方だ。圧巻とはあのことを言うのであろう。

 それはともかく、今回、佐藤氏のこの本を読み、改めて大川周明博士の歴史的な位置について考えさせられた。A級戦犯として東京裁判の法廷で起訴されながら、精神鑑定の結果法廷から外されてしまったこの明晰なる頭脳が、回復した後も法廷に引き戻されることがなかったことを指摘している。

 もし大川博士が東京裁判の法廷に戻っていたならば、その場を正に一場の茶番劇の笑いの劇場にしたことだろうという指摘も面白い。また、そうなっていたらまことに面白かったであろうとも思われる。

 しかし、占領軍は危険な賭けはせず、日本人の洗脳計画の中心にあった東京裁判という茶番の場を守るために、大川博士を忌避したというのである。

 ここで取り上げられている「米英東亜侵略史」は、開戦直後、NHKラジオで放送され、その後、出版されてベストセラーになったもので、これは日本政府が「開戦理由」を国民に納得させるための一環として行ったものだという。
「鬼畜米英」などというスローガンの稚拙さはともかく、この「米英東亜侵略史」は佐藤氏が言うように、きわめて冷静に、具体的に、論理的に、史実を踏まえて、アメリカ、そしてイギリスが、植民地支配を拡大し、日本を圧迫する過程を叙述している。「なぜ日本は対米英戦に踏み切ったのか」という問いに対して、当時の日本政府が国民に対して行ったアカウンタビリティの一環だったとして捉えると興味深い。生真面目な政府である。

 佐藤氏が何故今更このような反古を歴史の屑篭から掘り出して今一度国民の目の前に提示したのか。異色の外交官である氏らしい言葉のあとがきからその意図を拾ってみる。氏は「イデオロギー的な新米も、感情的反米も同じくらい危険である」と考える。そして、「1930年代末から40年代初頭によく似た国際環境が現在日本の周囲に形成されつつある」という認識を持つ。しかし、歴史がそのまま繰り返すことはない。そのためにも「過去の歴史に学び、崩壊へのシナリオを回避する」ことをめざすのである。

 「日本の国家体制(国体)を強化することがわれわれに残された現実的シナリオだと思う。国体の強化は、大川周明が言うように、日本の伝統に立ち帰り、「自國の善をもって自國の悪を討つこと」によって可能になる。そして、自身をもって自國の国益を毅然と主張できる国になることだ。自らの主張に自身をもっていく国家や民族は、他国や他民族の価値を認め、寛容になる。日本はアメリカの普遍主義(新自由主義や一極主義外交)に同化するのでもなければ、「東アジア」の共通意識を人為的に作るという不毛なゲームに熱中する必要もない。」

 実に興味深い指摘である。そしてまた自己絶対化の隘路にはまり込むことなく、という指摘はなるほど其の通りである、と思わされる。

 「そして、「日本人としての国家観を確立するためにはどういう勉強をすればよいか」という質問がいくつもあった。私は近過去によく読まれ、大きな影響を与えたが、戦後、忘れ去られてしまった書物をもう一度ひもとくことが効果的と考える」

 これも全く同感である。西尾幹二氏が、GHQにパージされた書籍の発掘調査を紹介されていたが、その事業がきちっと精査されていけば、この佐藤氏の指摘と実践を更に飛躍的に深化させる契機となるだろうと思われる。残念ながら、今の殆どの日本人は、何を忘れてしまったのかさえも判らない体たらくである。江藤淳氏の書名「忘れたことと忘れさせられたこと」が浮かんでくるが、民族規模の記憶喪失からそろそろ脱却しないと、本当に国の将来が危うい。戦後は「自由」の時代だったといわれるが、実は、これほど不自由だった時代も、日本の歴史の中でなかったのではないかと思える。あの総力戦に負けたのだから無理もないといえるが、記憶を取り戻す作業はこれからである。

 ただ、その際に、「自己絶対化の隘路」にだけは迷い込まないようにしなければならない。

 話はそれたが、大川周明博士はもっと読み込まれ、公正に研究されなければならないひとりであろうと思う。

 佐藤優氏が、正面から取り上げた慧眼と、先を越された、してやられた、との複雑な思いを持ちつつ、この本の一読をお薦めするしだいである。

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2006年8月20日 (日)

科目新設! 伝統文化が学校で学べる!

 教育の目的の大きな項目として、自国の伝統や文化の次世代への継承が挙げられる。しかし、戦後の教育は、社会科の創設や、科学的視点の重視などに偏重し、過去を軽んずる傾向があったこともあり、「日本の伝統・文化」などと言えば、それだけで「右翼」「反動」「軍国主義」のレッテル張りをされる時期が遠くない過去にあったことは記憶に新しい。

 そのような記憶を持つものとしては、東京都教委、兵庫県教委で来年度から創設されるという「日本の伝統・文化」「日本の文化」という科目が新設されるというのはまことに感慨なきを得ないところだ。

 まさか、この動きを「右翼」「反動」「軍国主義」だ、などとレッテル張り攻撃をするような向きはよもやなかろうが、一部ではまだ過去の風邪に侵されている人々もいるかも知れない。しかし、日本人として生まれて、日本の伝統や文化を知らないというのは、まことにもって不自然の極みであり、恥ずかしいことである。新しい文化の創造は、過去からの伝統を踏まえて初めて可能となる。政治やイデオロギーによって生まれるものではない。

 この新しいうねりの中から、新しい伝統と文化の担い手が健やかに育っていくことを念願して止まない。

【読売新聞 平成18年8月19日社説より】

高校新教科 広げたい伝統文化を学ぶ試み

日本の伝統や文化を知らない若者が増えているのは、学校や家庭、地域で接し、学ぶ機会が減っているからではないか。

そうした危機感から、高校の新教科・科目として来年度、東京都教委が「日本の伝統・文化」、兵庫県教委が「日本の文化」を創設する。

国際社会に生きる日本人としての自覚や誇りを養い、同時に他国の伝統や文化も尊重できる生徒を育てる狙いだ。

高校時代は自らの価値観を形づくる上で大事な時期だ。基礎となる素養を身につける授業を全国に広げたい。

東京、兵庫とも、2003年度から学校が学習指導要領以外でも独自に設定できるようになった科目を利用し、2単位(週2時間)の選択制になる。

現行の学習指導要領でも、中学、高校の国語で古典を読んだり、高校の日本史で各時代の文化を学んだりはする。しかし、日本人とは何か、を考えさせる系統的な深みのある内容ではない。

東京都教委は、「日本の伝統・文化概論」「和の心」など六つの授業計画を示した。長い歴史を経て、様々に変遷しながら、伝統文化が現代でも評価されていることの理解に重点を置く。

例えば、「鳥獣戯画」や「北斎漫画」のキャラクター化の技法が現代のアニメの原点になっていることを学ぶ。折り紙の歴史や用途を調べ、宇宙飛行士の野口聡一さんが昨年、スペースシャトル内で折り鶴を飛ばした思いを考える。

小、中学校でも総合学習や関連教科などで伝統文化の学習を進め、高校までの一貫性を持たせる。

兵庫県の授業は、「生活文化」「伝統文化」「地域文化」「現代の日本」の4分野だ。歌舞伎、能、茶道、華道、俳句などの基礎的作法を学び、歴史的背景や実生活とのかかわりを掘り下げる。

そうした伝統や文化を、海外への修学旅行や留学生との交流の際、説明できるよう、英語での表現も教える。

両教委とも教材は手作りになるが、素地がないわけではない。

兵庫教育大を事務局に昨年設立された「和文か教育研究交流協会」によると、伝統文化を学ぶ、小、中、高校は全国で500校以上に上る。授業内容やその成果は年一回、発表されている。

こうした実践を参考に、教員自身が関心を深め、工夫を重ねたい。外部から専門家を招き、生徒が「本物」を鑑賞し、体験することの大事だ。伝統芸能の伝承団体や博物館の協力、和楽器や茶道の道具などの整備が欠かせない。

どうすれば、伝統文化教育が根付くのか。文部科学省でも考えてほしい。(引用以上)

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「人身享け難し」といふこと ~その3~ 森信三先生、「修身教授録」より

さて、「修身教授録」の「人身享け難し」の紹介を始めて3回目となります。
授業の記録ということもあって、繰り返し「人身享け難し」という言葉を発し、生徒の心を発奮せしめながらしかも押し付けるようなところのない、見事な語り口であります。

「否ひとりそれのみでない。我々は此の世に生を享け得た後と雖(いえども)、相當永い間、自分が此の世に人間として生まれ出た事を気付くことなくして過し来たつたのであります。そもそも我々人間は、何人も厳密には自己の生年月日とその生誕の場所とを知らないのであります。かく申せば諸君は定めし私の此の言を怪しむでもありませう。併し乍ら、諸君の知れりとする自らの生年月日は、實は御両親より教へ聞かされた結果に外ならぬのであつて、我々は直接自己の生年月日乃至生誕の場所を知り得るものではありません。否それのみでない。恐らく諸君は自分のお尻に褓襁(おむつ)のついけられてゐた事さへ之を記憶してゐる人はないでせう。即ち我々人間は、ひとり自己の生年月日を知らないのみならず、更には褓襁のとれる年頃までも、自己の成長について殆んど何等知る處がないのであります。それ故私は常にこの事を以て、我々人間の根本的無知の一事例と考へてゐるのであります。かかる有様でありますから、諸君にしても今日生後二十ケ年に垂んとしつつしかも生を人間として享け得たことに対して、しみじみとその辱(かたじけな)さを感ずることが出来ないのである。否二十年どころか、うつかりすると私のやうに四十の声を聞くやうな年頃になる迄ついひに心の眼が開かれずして了るのであります。即ち我々人間は、うつかりすると我が子を持つ年頃に至つても尚且つ深くこの人生の根本問題に想ひ到らぬといふやうな愚かさにもなるのであります。」

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2006年8月19日 (土)

富田メモが日経記者の手に渡った時期について2つの情報の真偽は?

「昭和天皇」のご発言を書き留めたとされる、富田メモについて、未だに全容が公表されるでもなく、ページに貼り付けられたメモの一部の言葉が検証されずに独り歩きしている。

文藝春秋の9月号に「徹底検証 昭和天皇「靖国メモ」未公開部分の核心」と題した、半藤一利、秦郁彦、保坂正康の3氏による対談記事が掲載されている。「原文をこの目で見たメンバーがあらゆる角度から論証する」と題してあるとおり、企画としては意欲的である。

ただ、気になる部分が一箇所あった。

今回のスクープがそのタイミングからきわめて意図的に仕掛けられたものだという見方を、私自身も含めて多くの人々が抱いた。

しかし、秦氏は「私も半藤さんも、スクープした貴社から経緯を聞いていますが、その範囲で判断する限りは、偶然の産物でしょう。」と述べ、続けて「四十代の社会部記者です。富田氏が長官のころ宮内庁担当で、最近まで新潟の長岡支局にいました。この3月に東京本社に戻って宮内庁担当になったんだけど、富田さんは平成15年に亡くなっていたので、未亡人に挨拶にいった。何度か話すうちに、実は日記やメモがあるんですよ、と見せてもらったというんです。」と、経緯を話す。

週刊文春8月3日号「昭和天皇メモの衝撃」では、「メモを入手したのは今年5月」とあり、「A記者は今年2月まで新潟県の長岡市局長を務めていた。宮内庁担当に戻ったのは今年の3月。富田氏の遺族に東京に戻ってきた挨拶に行き、その後接触を続ける中で5月に遺族から日記と手帳を託されたときいています」(日経幹部)とある。

以上ふたつは大体同じ認識であり、出所は日経幹部と記者であるから、日経の公式見解とみてよいだろう。

ところが、これとは違う時期に、もっと以前に日経はこのメモを入手していたという記事がアエラ7月31日号に出ている。「昨年秋ごろ、日経新聞の記者が久しぶりに自宅にやって来た。懐かしさも手伝って、一周忌のCD-ROMを見せ、日記の現物と、自分も読んだことのない「輪ゴムのメモ」を手渡したという。今回の昭和天皇の発言は、この中にあった。」「富田氏の妻の話では、日経新聞は昨年のうちに、このメモを入手している。資料を読み込んでいたとしても、報道までに時間がかかっている。何のタイミングを見ていたのか。」

メモの入手時期に半年以上ものずれがある。どちらかが間違っているか、あるいはどちらも間違っているかであり、両方が正しいということはありえない。

日経の「公式見解」は、タイミングを見計らって意図的にスクープしたのではない、という言い訳のために入手時期がこのときに設定された、というようにも勘ぐることが出来るように思われる。

一方、アエラはざっくりと日経の「意図」について、書いている。「メモが報道された7月20日、一冊の本が出版された。題名は「美しい国へ」。著者は安部晋三官房長官である。この政権構想ともいえる著作の中で安部氏は、小泉首相の靖国参拝を批判する中国や韓国の姿勢を批判した。評論家の宮崎哲弥氏の見立てはこうだ。「ポスト小泉の最有力者が本を出版する当日に、今後のアジアとの関係を心配する経済界を代表して日経新聞がスクープをぶつけた可能性がある。安部氏の靖国肯定論を牽制する意図があったのか」実際、財界の有力者はこう言っているのだ。「次の首相がだれだとしても、これで強引に参拝するのは難しくなっただろう」

アエラの方が早い段階での報道であり、富田氏の妻に直接取材しているところからも、こちらの信憑性は決して低くないだろう。

一方、日経幹部にしろ、記者にしろ、いわば「内輪」の人間の証言であり、その信憑性については留保しなければならないであろうし、逆に、「偶発」を演出するために口裏あわせが行われたとすれば、「意図」説の信憑性が深まることになるだろう。

輪ゴムで束ねてあった断片のメモ。明快なようで、明快でない。要領を得ない状況が続いているといえよう。

週刊新潮8月10日号で、「昭和天皇」富田メモは「世紀の大誤報」かー徳川侍従長の発言」とそっくりだった!ーという「特集」を組んだ。

この中で、日経新聞社長室は「富田メモは5月に入手したものです。日記が10冊と手帳が20数冊です。すべてに目を通して点検し、歴史家などの意見も聞いて、検証を加えた上で報道しました。報道した発言が昭和天皇以外の方のものであることはあり得ません」と答えたそうだ。

しかし、「全てに目を通した」歴史家とは専門家とは誰なのか。少なくとも、東京大学の御厨貴教授でないことは本人の証言から明らかだ。「私は、公開されたあの部分のメモしか見ていません。(略)本来、全部出して検証するのが歴史学ですが、それを日経はやる気がありませんね。」

今回の文藝春秋9月号で、半藤一利氏と秦郁彦氏の両氏が日経から事前に史料の評価について、相談を受けていたことが明らかになった。残念なことに、日経がスクープした部分と、ネット上での有志による反転操作などによって読み取られた裏面のページについてだけにしか触れられていない。新しい史料は明らかにはならなかった。

桜井よし子氏は、メモの全面公開を求める文章を書かれているが、このような公開のされ方をしてしまった以上、様々な方面への影響があろうとも、公開されるのが筋というものであり、日経新聞はアカウンタビリティを果たす社会的な責務があるだろう。

少なくとも、メモの入手時期を遅らせて、意図的にスクープしたのではないという言い訳の説明をどうするのか。説明していただきたいものだ。

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2006年8月16日 (水)

北の海でまた一人同胞が殺された!

◆日本漁船銃撃1人死亡・ロシア警備艇が拿捕

  第一管区海上保安本部(小樽)に16日午前入った連絡によると、北方領土歯舞諸島の貝殻島付近の海域で、根室湾中部漁業協同組合(北海道根室市)所属のカニかご漁船「第31吉進丸」(4.9トン、坂下登船長)がロシア国境警備艇に銃撃、拿捕(だほ)された。一管本部が確認を求めたところ、ロシア側は乗組員4人のうち1人が死亡したと回答。同本部は巡視船などを現場海域に派遣し、確認を急いでいる。
  一管本部によると、銃撃され死亡した乗組員は根室市の盛田光広さん(35)と判明。
(以上、日経新聞より)

麻生外相、謝罪と遺体の引き渡し求める…漁船拿捕事件

 北方領土の周辺海域で日本漁船がロシア国境警備隊から銃撃を受け、拿捕(だほ)された事件で、日本政府は16日、外交ルートを通じてロシア政府に厳重に抗議し、<1>死亡した乗組員の遺体の速やかな引き渡し<2>他の乗組員、船体の即時解放<3>銃撃した人物の処罰――を求めた。

 しかし、ロシア側は、漁船がロシア領海を侵犯したとし、正当な対応だったと主張した。

 麻生外相は16日夕、ロシアのガルージン駐日臨時代理大使を外務省に呼び、「日本の領海内で起きた事件であり、容認できる話ではない。日本人の生命が失われたのはゆゆしき事態だ」として、謝罪と遺体の引き渡しなどを求めた。
(読売新聞) - 8月16日20時53分

北の海で同胞がまた一人殺された。北方4島は北海道に付属する諸島であり、サンフランシスコ講和条約でも日本は放棄していない。放棄したのは千島列島であり、北方4島はこれに入らない。60年以上にも渡る隣国の不法占領と軍事基地化。麻生外務大臣が即時抗議をしたのは評価できるが、この不法な殺人と拿捕を許してはならない。敗戦の火事場泥棒的に不法占拠した北方領土を返さぬロシアの脅威は継続している。北方領土からロシアの軍隊の即刻退去と、期限を切った施政権の段階的返還、そして完全なる移譲を速やかに遂行せよ。北方領土に滞在するロシア人の帰国をロシア政府の責任において同時並行で促進せよ。再び北の海を悲劇の海としないことをロシアに確約させよ。これは日本が断固として譲ってはならない国家の根幹に関る問題である。

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2006年8月15日 (火)

小泉首相の終戦記念日 靖国神社参拝の英断を心から支持します

 昭和61年8月15日、中曽根康弘首相(当時)が、靖国神社に参拝をして以来、21年ぶりに終戦記念日に小泉首相が靖国神社を昇殿参拝。

 今年は、昨年を上回るほどの方々が靖国神社参拝に列をつくった。各地の護国神社にも御参りする人が多く見られた。靖国神社周辺で、カルトモドキのストーカーが執拗に靖国参拝阻止の暴力行動を起こそうとしたたが圧倒的な警備に鎮圧された。不愉快極まる連中ではあるが、怪我などしていたら彼らにとって「名誉の負傷」ということになるのだろうか。

 YAHOOサイトで、ネット投票を行っていた。その結果は、圧倒的に参拝支持容認だった。

 今年の全国戦没者追悼式において河野衆議院議長は、戦争責任の追及を主張した。政治裁判でもやるつもりなのだろうか。

 小泉首相が語った参拝理由は、ところどころ承服できない部分はあるものの、大筋において立派なものだと思う。二十年余りに渡って続けられてきた、中韓両国の精神的・思想的・政治的な侵略に対して、ようやく踏みとどまったという意義ある今日の参拝だったと思う。次は反転攻勢に移らねばならない。

 反撃の中で、真の歴史を明らかにしていこうではないか。朝鮮半島に存在した国家がいかに脆弱であり、不安定要因となって東洋の動乱を招いたか、半植民地状態に陥り、軍閥割拠の戦国時代であった中国大陸において、責任ある政府が皆無な状況であった当時の現実について、こうしたことはかの国々の覆うことの出来ない歴史である。そして、現在も、その延長線上にある。中国人民の人口の7割を占めるといわれる農村部の人民の惨状や、少数民族に対する弾圧、民族浄化。世界最後の植民地帝国中国に対して、毅然たる外交を展開しなければならない。

 また、歴史の中で、言われ無き汚名を被された先人の名誉回復を図っていかねばならない。戦争は国益と国益のぶつかりあいであればこそ、双方共に正義も悪もあるのである。戦時国際法のルールはいかに守られ、そしれ破られたのか。雪がれるべき汚名は無数であると思われる。

【産経Web平成18年8月15日11時42分】より

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安倍官房長官の戦没者追悼を切望する官房長官談話

 朝日、毎日、読売はまったく無視した。産経、中国、東京が報じている。

 「国民一人一人が家庭、職場などそれぞれの場所で戦没者をしのび、心から黙祷を捧げるよう切望する」

 この短いけれども、真情の強く感じられる談話を、官房長官という政府の要職であり、かつ次期総理の筆頭候補と言われる安倍官房長官が出したことを、大方のマスコミが黙殺したというのは、一体なぜなのであろうか。

 極めてまっとうで当たり前のことであるが故に、心を打つ談話ではないか。政治という世俗の場から発せられたものにしては余りにもまっとうな内容の談話である。

 マスコミは、犬が人を噛んでもニュースにはならず、人が犬を噛むとニュースになる、というたとえのように、何か異常で突飛なパフォーマンスを好み、その極端な姿を持ってその主張を全体の代弁とする傾向があるが、このようにまっとうな言葉では、突っ込みどころもなく、扱いに困るのだろう。当たり前のことをきちんと当たり前のように報じられないマスコミという存在は、それ自体がそもそも歪んだ現代の落とし子ともいえるかもしれない。

 そのマスコミは、キャンドルをもって人文字をつくるという軽薄なパフォーマンスを行うカルトもどき集団については大きなスペースを割いて報じている。この歪み。やり方がばかな左翼と変らないところがお里が見えている。隠すつもりもないのだろうが。

 安倍官房長官のまっとうな談話は報じず、キャンドル人文字パフォーマンスは報じるマスコミ。

 自国を貶めることには居丈高で短兵急にせかせかと報じるマスコミ、自国の善は黙して語らないマスコミ。日本のマスコミは、ほとんど報道機関ではなく、宣撫工作機関に近い。対象は日本国民で、仕掛けているのは中国、韓国、時にアメリカ、北朝鮮。無節操で無自覚、自分に対する批判は馬耳東風。他の情報発信手段が限りなく制限されていた過去には、情報統制も行き渡っただろうが、今は少し違ってきている。心ある国民がマスコミ以外の手段で手を結ぶようになったとき、巨大な富と権力を手にしているマスコミという牙城は一体どうなるのか、見物である。

 明日の終戦記念日、何はともあれ、心を静めて英霊をお偲び申し上げたい。 

【中国新聞 平成18年8月14日Web】
戦没者しのび黙とうを 安倍官房長官談話

 安倍晋三官房長官は15日の全国戦没者追悼式にあたり「国民一人一人が家庭、職場などそれぞれの場所で戦没者をしのび、心から黙とうをささげるよう切望する」との談話を発表した。

 談話は8月15日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日」と位置付けた上で、追悼式について「今日のわが国の平和と繁栄の陰に、先の大戦において祖国を思い、家族を案じつつ、戦禍に倒れた戦没者の方々の尊い犠牲があったことに思いを致し、全国民が深く追悼の誠をささげるとともに、恒久平和の確立への誓いを新たにしようとするものだ」と趣旨を説明している。

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2006年8月13日 (日)

「人身享け難し」といふこと その2

 修身教授録2に掲載されている森信三先生の言葉の続きを紹介していきたい。

 「斯様な次第でありますから、今諸君に対して斯くの如き人生の根本問題についてお話してみても、恐らくは諸君の充分なる共鳴は得られないかも知れません。この事は、よしさうだとしましても、我が身の過去を顧みて全く無理のないことと思ふのです。即ちかく言ふ私自身が、諸君の年頃にはかういふ人生の大問題に対しては、うかうかとぼんやりして過して来たからです。が然るにも拘らず私は、今此処に諸君と相見え、互いに修養の第一歩を踏み出さんとするにあたつては、諸君が之を受容ると否とにかかはらず、どうしても先づこの根本問題から出発せずにはゐられないのです。少なくとも現在の私としては、この問題から出発する以外に真の出発点は見出し難いのであります。」

 たたみかけるように、述べていく言葉には力がこもります。それは、「修養の第一歩を踏み出す」ために「どうしても先ずこの根本問題から出発せずにはいられ」ず、「この問題から出発する以外に真の出発点は見出し難い」からに他ならないからです。この出発点を確認し、次のステップへと生徒を導きます。

「けだし我々人間にとつては、その真の根本的修養といはれるものは、結局人として生をこの世に享け得た真意義を実現すること以外いはないからであります。即ち又真に生き甲斐あり生まれ甲斐ある生涯を送るといふこと以外にないからであります。然るにその為には、私共は何よりも先づこの自分自身といふものについて深く知らなければならぬ。換言すれば、我々はそもそも如何なる力によつてかくは人間としての生を享け得たのであるか、我々は先づ此の根本問題に対して、改めて深く思ひを致さなければならぬと思ふのであります。」

 「人として生をこの世に受け得た真意義を実現すること」が「真に生き甲斐あり、生まれ甲斐ある生涯を送るといふこと」であると、森信三先生は断言されます。
 何で生まれてきたのか、何のために生きるのか、生きていることの意味は何か、こうした問いから森先生は一歩踏み込んで、人間として生まれ得たのはなぜであるか、と詰め寄っていきます。

 「さて今日多くの人々は、自分が人間として生を此の世に享け得た事に対し、格別に有難いとも思はずに過してゐるやうであります。現にかく申す私自身にしましても、お恥ずかしい事ながら、この六七年前迄はやはりその一人だつたのであります。恐らく諸君にしても、先づ大体は同様でないかと思ふのです。」

 人は自分が人間として生まれ得たことに対して、感謝の念を持っていないという「事実」を指摘しています。当たり前と思ってゐるところに踏み込み、次のように続けられます。

「併しながら翻つて考ふるに、そもそも我々のうち、果たして何人が自分は人間として生まれるのが当然だと云ひ得るやうな、特別の権利と資格とを持つてゐるものがあるでせう。そもそも私どもは、その生れ出づる以前において決して人間として生まれむことを希望し、乃至はかくと決意して生れて来た訳ではないのであります。況んや人間として生まれ出づるに値ひするやうな努力功績を積んだが為めに、今日ここに人間としての生命を享け得たわけではありません。げに我々の此の世に生を享けるや、全く自己の関はり与らない事であつて、全く自己を超えた大いなる力に催し出されてのことであります。」

 人として生まれ得るに足る、何か特別の権利や資格があるのだろうか、功績があって人として生まれることができたのか、と畳み掛け、人間として生まれ得たことが、「全く自己を超えた大いなる力」によるものであるとしか考えられないことであると断言されます。
 人が生まれるのは、単にセックスの結果であって、偶然の産物である、などとする現在のいわゆる「科学的」(これは決して科学そのものではない)認識とはまったく月とすっぽんくらい違います。これは余談ですが。(続)

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2006年8月10日 (木)

「靖国神社」を守ろう!

 秋の自民党総裁選が近づき、5年に渡る小泉政権が終わり、新たなる政権への胎動が始まっている。

 総裁選の候補者たちの言動が連日報道され、中でも靖国問題についての認識が様々報道されている。谷垣、麻生、安倍と、それぞれ特徴があり、国民からみてもその主張の違いは判りやすい。

 判りやすいが故に、判断に迷うことはない。

 靖国神社に参拝しないと誇らしげに明言するような候補を応援するようなことは金輪際ない。

 また、靖国神社を非宗教法人化しようなどという、明治天皇の思し召しを一政治家の分際で覆そうなどという軽薄無礼なる意見を表明するような候補にいたっては言語道断である。

 一方、政治的謀略臭芬々の富田メモの信憑性すら明らかになっていないにも拘らず、それに躓くようなことでは今後の情報戦、謀略戦を戦い抜き、我が国を守り抜いていただけるのかどうか、心もとなく感じる。

 大体、靖国神社を冒涜する政治家に共通なのは、その目の色の異常さである。目に見えないものを無視する唯物論者の目付きそのものなのである。これは恐ろしく感じる。

 「靖国神社」は、ナショナル・アイデンティティの拠所である。国のために命を捧げた方々を追悼できない国民は、最早国民の資格さえない。そうした国民モドキが多数派になるにつれて、この国は異常になってしまったのである。靖国神社に参拝も出来ない政治家が増えたことによって、国のために尽くそうという政治家も減っていったのではないか。少なくとも、靖国神社を大切に出来ない政治家は、国のために尽くす国民を大切に出来ない政治家であり、自らも国家国民のためには汗を流さず私利私欲のためには汗を流す存在であるという、一つのリトマス試験紙であると思って間違いない。

 姉妹ブログの「これぞ、わが古典」において、「皇后宮御歌にこたえ奉る歌」の紹介を続けているが、戦歿者遺族の方々の胸を打つ歌の中に詠まれている靖国の宮の姿を心に刻んで欲しい。

 また、小林よしのり氏の「いわゆるA級戦犯」(幻冬社)は、少なくとも「A級戦犯」という言葉を使って持論を展開しようとする人であるならば、先ずきちっと読み込んでもらいたいものである。この言葉を生み出した東京裁判について、またいわゆるA級戦犯について、ここまでわかりやすくしかも史実を適切に伝える類書は多くない。漫画という表現メディアでは空前にして絶後ではなかろうか。

 ブログの付属の「息抜きの写真部屋」に、東京裁判で唯一人日本人被告の全員無罪の判決を出したインドのパル判事の「大亜細亜悲願の碑」を紹介している。

 靖国神社の英霊は、日本のみならず、亜細亜の英霊であるともいえるのだ。民族的にも韓国人、中国人のご祭神もおられる。また、境内には鎭霊社があり、世界の戦没者を日日祭祀している。

 靖国神社を、「WAR SHRINE」(戦争神社)などとわざと歪めて英語化する在日日本人キャスターがいるが、この手の人物は、日本語を理解できないのだろう。「靖国」とは、「国の平安」ということであり、「PEACE SHRINE」の方がまだ原意に近いだろう。百八十度の捻じ曲げをあえてする工作員まがいのキャスターは、マスコミ人とは言い難い。少なくとも邪道であるといえるだろう。

 靖国神社をお守りすること、それは現在の国民にとって、国のために命を捧げられた英霊に対して万分の一でもお応えする道であると思われる。そしてそれは日本人の魂を守る戦いなのだ。

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江沢民外遊録への疑義

 今日の読売新聞に「三笠宮様、日中戦争「謝罪」 98年江沢民氏の外遊録で紹介」とある。なぜ、今、この時期に、中国側から、このような”情報”が出てくるのか。

 そしてまた、なぜ「皇族」のご発言なのか。

 富田メモに通じる疑問を感じざるを得ない。

 これで、靖国神社を大切に思う多くの国民が、皇室に対して反感とまで行かなくとも複雑な思いを感じさせることが出来れば、日本のアイデンティティに混乱を生じさせることが出来る、という謀略的な情報戦と考えることが出来る。

 中国の情報戦に易々と乗せられるほど、日本国民もバカではないが、言葉の性質上、それが事実であってもなくても、言葉として発せられた内容は何某かの影響を与える。ましてやそれが天皇陛下や皇族方のお言葉となれば、その影響力は重い。

 記事の内容を転記しておこう。

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2006年8月 7日 (月)

61年目の広島原爆の日に想う

 広島に原爆が投下されてから61年目を迎えた。
 暑い暑い一日だった。

 昭和21年8月6日、占領下において行われた行事がある。「平和祭」というものだ。占領軍の司令官クラスも出席し、マッカーサーのメッセージまで読まれたといわれる。それから60年目ということになる。

 この「平和祭」は、まさに「お祭り」で、今でいうフェスティバルに近かった。当然、遺族らの反感も強かったのだが、朝鮮戦争が勃発して、昭和24年第4回の平和祭は、反米集会に利用される危険性が察知され、直前に中止された。

 勿論、この頃には、今の平和公園もなく、どのように行われたのか偲ぶよすがもない。

 昭和24年という年は、象徴的な年で、「広島平和記念都市建設法」が国会で通過し、広島市民の住民投票を経て発効したのがこの年の8月6日だった。この法律には、「原爆」のげの字もなく、憲法前文にうたわれている「恒久平和」の文字が随所に踊るものではあるが、何故広島が平和記念都市として相応しいのかについての根拠は一切明文ではうたわれていない。原爆を投下した米軍を中心とする占領軍が日本政府の上に君臨していたのだから無理もないとはいえ、現在に至るまでそのままなのは腑に落ちない。

 ともあれ、この法律が制定されたおかげで、広島の復興にも弾みがついたことは間違いない。平和公園の構想もこの法律に基づいて出てきたものなのである。実は、今でこそ広島への原爆投下は、他の都市への空襲とは別格に扱われている観があるが、当時100箇所以上の全国の都市が空襲を受けている状況の中にあって、広島だけを特別扱いすることは出来ない、という国会内の雰囲気があった。また、先に述べたように占領軍への気兼ねは今では考えられないほど大きかったであろうことは容易に想像がつく。占領軍が敷いた検閲体制の中では、原爆投下に関する批判などは勿論タブーであり、原爆投下という事実が通常爆撃とは次元を異にする深刻な意味合いを持っていたことや、放射線による後遺症の苦悩についての理解も決して広く行き渡っていたわけではない。それらの言論の自由が回復されたのは昭和27年の講和独立以後のことである。

 慰霊という意味では、いわゆる原爆慰霊碑が、正式名称を「広島平和記念都市記念碑」であり、占領下の不整合さを引きずっていることに違和感を感ずる向きもある。「平和都市広島」というのは、法律によって定められたものであって、広島市が恣意的に僭称しているわけではないのだが、原爆投下から61年も経過し、独立回復からも半世紀以上経っているのだから、法律の明文にも「原爆投下」の4文字が入れられてしかるべきであろうし、慰霊の2文字が位置づけられても少しも不思議ではないと想う。

 そのような法改正を、広島選出の国会議員は、考えてみたことがあるのであろうか。

 勿論、その議論の過程では、いわゆる「原爆投下容認論」のような、日本が戦争をしたから原爆を落とされたのだ、式の自虐的な議論も出てくるだろう。一部教科書にも掲載されているこの説は、じわじわと勢力を伸ばしており、原爆の悲劇を語り継ぐ大きな障害になりつつあるようにも思われる。この際、徹底した議論を行い、歴史認識に関する議論を出尽くすまでやりきることも重要ではないかと思う。そしてその議論は、核兵器を巡る世界の趨勢に対し、国民の眼を開かせる契機にもなるだろう。

 フランスの議会が、20世紀を総括して徹底的に議論し、「共産主義黒書」を出したように、我が国も核兵器出現の意味を問い、核廃絶の可能性と、現実的な見通しの中で人類の未来への警告をまとめるような、壮大な知的貢献をなしては如何なものか。観念論や感傷論を一切排して、徹底したリアリズムを以て世界に論争の渦を巻き起こす位の気概があっても、罰は当たらないと思うのだが。

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2006年8月 5日 (土)

「人身享け難し」といふこと  その1

 森信三先生の戦前における代表的な著作ともいえるであろう「修身教授録」には、一稿一稿珠玉の文章が掲載されている。

 「修身」とはいふまでもなく、戦後占領軍によって禁止された教科であり、歴史や地理と違って占領解除後も復活することのなかった科目である。

 「道徳」と「修身」は何処が違うのか、判然と説明することには力が及ばないが、「修身」がどのようなものであったかは、伺うことが可能かと思われる。

 修身教授録は、師範学校の生徒に対してなされた授業の講義録であり、生徒が筆記したものをまとめたものである。師範学校でなされていた修身に関する授業がどのようなものであったのかを伺うにはこれ以上の資料はないと思われる。そしてまた、教師をめざす生徒たちに対して、「修身」がどのようなものとして教えられていたのかについても、これ以上の現場証言はないであろう。

 「人身享け難し」も、その一つである。

 「諸君の大部分の人は大体今年十八歳前後のやうであります。してみると諸君はこの地上に生を人間として享けてから、大体先づ十六七年の歳月を過ごしたわけであります。さてそれにつけても諸君は、自分は如何なる力によつてかくは人間としてその生を享け得たのであるか、その事について果たして今日まで自ら深く考へた事がありますか。私の推察にして誤りなくんば、恐らく諸君のうちにはこの大問題に対して深刻に考へた人は少なからうと思ふのであります。斯様に、一々諸君にお尋ねもしないで断定するといふことは、一面からは甚だ礼を失した事とも思ひますが、しかし私は自分自身の過去を顧みて先づ大体さうではないかと思ふのであす。と申しますのは、私自身諸君位の年頃には、一向その様な大問題に対して深く考へたことはなかつたからであります。さうして今や人生の四十の峠を越しかけた昨今に到つて、やうやく斯様な人生の大問題が自己の魂の問題となりかけた次第であります。従つて諸君の年頃には、仮令斯様な人生の大問題について教へられたとしても、謂はばうはのそらで聞き過したに相違ないのであります。」

 やわらかく、しかし確固として語りかけるその口調には、ぐいぐいと引き込まれる力がある。生徒からすれば、先生にして四十歳を超えてようやくわかりかけてきたものなら、自分は先生に負けずに今こそ自分の問題として受け止められるように、と集中して聞き入っていくのではないか。

 果たして、人間として生を享け得たのは何ゆえであるか、このような問題に答えがないのは自明のことだ。しかし、そこに答えを見出していく過程の中にこそ、人間としてよりよく生きていくためのヒントが隠されているのではないか。生徒をしてそのような思索に導いていくことはさりげないようでも、全身全霊の力が込められているように思はれる。(続)

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外交官、死す~「大地の咆哮」著者、杉本信行氏死去~

 丁度今日、「大地の咆哮」を読了した。そうしたら、産経新聞に、著者である杉本信行氏の死去を知らせる記事が掲載されていた。

【産経新聞記事より】

杉本信行氏死去

外交官 プロ中のプロ

広い人脈、中国と信頼厚く

【北京=伊藤正】「外国間としてプロ中のプロで、いつも全力投球だった。抜群の行動力で中国社会に食い込み、日中関係のあるべき姿を追い続けた」。1998年から3年間、杉本信行氏とともに駐中国公使を務めた宮本雄二現大使は、杉本氏の死去に涙ぐんだ。氏を知る北京の在留邦人の多くもその死を惜しんだが、某商社代表は「ご本人が最も無念だったろう」と話した。
 杉本氏は今年、2度メディアの話題になった。最初は上海総領事在職中の2004年に発生した館員(電信官)の自殺事件が明るみに出たとき、2度目は、この夏に著書「大地の咆哮」を刊行したときだ。
 同書は現代中国を理解し、日中関係を考える上で示唆に富み、高い評価を受けた。杉本氏はそのまえがきで、館員の自殺について「上司として、館長として、彼を守れなかったことへの無念さはいまも変ることがない」と書きだし、同年11月に末期がんの宣告を受けた後、本書をまとめる動機の一つに自殺事件を挙げている。
 杉本氏は事件に関してはほぼ沈黙を守ったが、中国の情報機関が卑劣な手段で電信官から暗号情報を取ろうとしたのは、氏の情報収集活動に起因していると考え、責任を感じたのではないか、と見る人もいる。
 杉本氏は北京の公使時代、目覚しい情報収集能力を発揮した。氏の培った人脈は広く、当時の江沢民政権中枢にも及んだという。当時、杉本氏は経済部長として担当した対中政府開発援助(ODA)や、日中間の経済トラブル解決などを通じ、中国側と信頼関係を築いていったようだ。
 杉本氏は上海総領事になった後も、貴重な情報を取り続けたと関係者は言う。その中には軍事情報も含まれていたとされ、中国側はその内容と情報源をつかむため、電信官に接近したのではないかと関係筋は話す。
 杉本氏は情報に通じていただけでなく、その情報を分析し、的確に説明したものだ。例えば中国の沿海部と内陸部の格差を「中国は欧州連合(EU)とアフリカが一つになったような国」と表現したのも氏だった。
 著書は、中国が抱える諸矛盾、問題を指摘しているが、その底には杉本氏の弱者への思いやりがある。NGO組織「緑の地球ネットワーク」の高見邦雄事務局長は著書で、活動拠点の山西省が震災に遭い、小学校舎が多数倒壊したとき、杉本公使が同情して無償援助をすぐに決め、夜行列車で現地を視察、その日の夜行で北京に戻ったエピソードを明かしている。
 杉本氏は外務省チャイナスクール(中国語研修組)の出身だが、氏を「媚中派」と呼ぶ人はいない。「日本の国益を第一に、地域の平和と安全、繁栄のために行動してきたと自負している」(著書)とは、かつて本人から聞いたことがある。病と闘いながら書き残した同書を読む度、杉本氏の日本を愛し、日中関係を案じる情熱と責任感に打たれる。

  元首相補佐官・岡本行夫氏  また外交官が「戦死」した

 日本をたって中東に着いた直後に、杉本信行・前上海総領事の死去の知らせを受けた。
 2年半前、イラクで奥克彦大使と井ノ上正盛書記官がテロリストの凶弾に斃れた翌日も、私は中東の地に来ていた。その日も、今日も、呆然の中に、国を思いつつ倒れていった外交官たちへの鎮魂の言葉が浮かんでこない。奥、井ノ上は壮烈な戦死だった。認知の上海の病院で誤診され、l進行中のがんの治療を受けぬまま日本の国益に献身し続けた杉本も「戦死」であった。
 私が外務省を辞めて間もなく、台湾に勤務していた杉本が訪ねてきた。台湾のことを一緒に手伝ってくれませんか。彼はそう言った。中国政府への遠慮から日本は台湾に眼をつぶっている、と。「自由」に対する杉本の圧倒的な確信と、持ち前の弱者への同情心。それが彼の行動の原点だが、考えは大きく戦略的だった。李登輝訪日問題も含めて日本が揺れるから、中国も日本の足もとを見てしまう。その結果、日中の信頼も生まれない。それが発送の基本にあった。
 中国に勤務しても、彼の関心はまず貧しい人々に向けられた。自身で貧困地帯を回り、人々の悲惨な状況に義憤を感じ、同時に中国の強さの裏の脆弱さに心を痛めた。死期の近いことを悟ってから、彼は渾身の力で「大地の咆哮」を著し、われわれに巨大な国の絵解きを残してくれた。
 「中国の現状をたとえて言えば、共産党一党独裁制度の旗の下、封建主義の原野に敷かれた特殊なレールの上を、弱肉強食主義の原始資本主義という列車が、石炭を猛然と浪費しながら、モクモクと煤煙を撒き散らし、ゼイゼイいいながら走っているようなものだ。」(同書262ページ)
 彼の筆は中国の権力抗争にも腐敗にも及んだが、目標は、中国批判にあったのではない。この重要な隣国と日本はどうやってつきあい、そして和解に至るのか・そのロードマップをいかに作るか。それであった。
 北京、上海と続いた勤務の中で、大きな人脈を築き、さまざまな日中会議を成功させるための舞台回しを行い、そして中国に言うべきことを明確に言ってきた。上海総領事の時代、中国公安当局が彼の部下の電信官を自殺に追い込んだ。その時、杉本が個人的に行った強硬な抗議は、北京の指導部を動揺させたと聞く。しかし、彼は語らぬままだった。
 つい数日前、杉本にはまだ力が残っていた。彼は、誰よりも正確に自分の病状を知り抜いた上で、中国の将来の見通しを語り、気負うことなく、淡々と持論を語り続けた。
 彼の行動は徹底的な現実論と論考に支えられていた。靖国神社の中にアジアの戦争犠牲者を祀る「鎭霊社」が存在することを指摘し、総理大臣は本殿だけでなく鎭霊社にも参拝すべきだと最初に説いたのも彼だ。靖国への総理参拝に違和感を持ちつつも、そのような行動が日中の政治問題と化してしまった以上は総理は参拝をやめるべきではない、とも主張した。日中関係を長期的に考えれば、いま参拝をやめて「日本は圧力に屈する国だ」という印象を中国に与える弊害の方が大きいという理由だ。日中関係は、感情で処理してはならない。杉本は、日本と中国が歩いていける細い道を示し続けて、そして、逝った。

(以上、8月4日記事から)

3日前、偶々購入したのが「大地の咆哮」であり、何か気にかかって、一気に読んでしまったわけだが、その直後に訃報を聞くとは、何かしら因縁めいたものを感じる。

氏は「知中派」ではあっても、「媚中派」ではない。そして、死の床にあって記したこの著書は、日中関係への遺言であると言っても過言ではないだろう。現役の外交官として、ここまで歯に衣着せぬ突っ込んだ内容を書かせたものは、氏の憂念の深さと、責任感、そして愛国心の賜物であろうと思われた。

孫子の兵法に、「敵を知り己を知れば百戦危うからず」とある。

敵対を前提にする必要はないにしても、中国という相手がどのような国であるのかを具体的に現実に即して知ることは重要である。

氏の見解に必ずしも全て同調するわけではないが、中国問題を考える上での古典になるのではないかと思えるほど、文章としても内容としても優れているように思われた。

表面だけでは見えてこない現代中国を、より深く知ることが出来る。日本にもこのような外交官がまだいたのか、と思わせてくれた。国民の一人として嬉しい限りであるが、それを知ることが出来たのと同時に、その一人が永遠に去ってしまったことの悲しみをも味あわねばならないこともまた皮肉なことである。

中国は、北朝鮮以上に、我が国にとっても、世界にとっても厄介な問題であり続ける。しかし、感情的に忌避しても問題は解決しない。具体的な地道な積み重ねが、ここでも唯一の解決策であると、改めて感じさせられた。

一読をおすすめする次第である。

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2006年8月 3日 (木)

暑い夏 靖国を思う

 今日は殊の外暑い日だった。
 このような日には、大体夕立が来る。稲妻が煌き、落雷の音が轟いた。

 夕立が過ぎ、夜は過ごしやすい涼しさとなった。

 梅雨が明けて、夏らしい夏となったものだ。

 昭和天皇のご発言をメモしたとされる、元宮内庁長官の富田氏のメモが、日経新聞によってスクープされ、各社が追随してスクープし、政界をはじめとして日本国内に激震が走った。これまで旗色の悪かったいわゆるA級戦犯分祀論者は勢いづいて、かさにかかって暴走を始め、慎重な姿勢を崩さなかった中間派の政治家も、昭和天皇の御心ならば、と分祀論に傾き始めた観がある。

 文藝春秋9月号には、分祀急進論者でありかつ国立追悼施設促進派の加藤紘一氏と、分祀肯定論者でありかつ国立追悼施設反対派の古賀誠氏、そして靖国神社前宮司の湯澤貞氏に、作家の上坂冬子氏がインタビューするという記事が掲載された。

 ざっと読んでみたが、加藤氏は、中国はA級のみを問題視しているのであってBC級やその他の戦没者には決して及ばない、と断言している。また、日本は東京裁判史観を受け入れたのだから、国内の議論で戦犯はいないといっても国際社会では通用しない、という持論を展開している。論旨が悉く衝突するのはいたし方ないが、このような政治家が同じ保守政党に在籍していること自体が政治不信を招く元凶だと、改めて感じた。
 古賀氏は、遺族会会長という役職も兼ねており、国立追悼施設には終始一貫反対してきた。靖国神社国家護持論を持ち、そのためには「神社」でなくしてもかまわない、と思っている。その点は上坂氏も似たようなものなのだが、神社に神社でなくなれ、とはあまりにも乱暴な議論だろうと思われる。
 湯澤氏の話は、神道は譲れないと、至極当然のことを話されていた。国家護持法案が国会で審議された際の最大の問題が、神社でなくする、という点であったことを披露されている。

 そして、今、「大地の咆哮」という本を読んでいる。これは、元上海総領事だった杉本信行氏の著書である。著書は現在生死の狭間にある闘病の最中であるという。所謂外務省のチャイナスクールで日中間の外交に努めてきた人物である。何故故錦涛主席が靖国問題にこだわるのか、個人的な経緯について書かれている。故耀邦総書記に見出された過去と、その故耀邦が靖国問題を口実の一つに権力の座から放逐されたことに言及している。根は深いといえるが、それは口実に過ぎず熾烈な権力闘争が背後にあってのことであることを指摘している。
 中国にとって、靖国問題は政敵を追い落とすための口実に使われている、ということなのだろう。中国は今大きく安定を欠いた社会となり、これから先どうなるかわからない。そのため国内をまとめるために日本を標的にせざるを得ず、その口実として靖国神社を問題としているのだ。まだ読了していないので、読後に又感想を述べたいと思うが、靖国問題が日本のプリンシプルであることを百も承知で難癖をつけているのであって、これで日本が譲れば、かえって中国は日本を見下すことになるだろう。面子を汚されても恥じないようでは国も人も信用ならない、ということになるだろう。

 産経新聞の正論に、岡崎久彦氏が富田メモの信憑性を疑う論を書かれた。それは、徳川義寛侍従のものであるという説である。それならば既に徳川氏が本にもしているものであり、真新しいものではないことになる。

 いわゆるA級戦犯の遺族の方々への取材攻勢も強まっている。取り下げを申し出させたい底意は見え見えだが、マスコミというものの本質がよくわかる事例でもある。話題づくりのためには何をしても構わないと思っているのだろう。

 暑い夏だが、5年前の8月15日の参拝を加藤紘一氏によって阻まれた小泉首相は、最後に有終の美を飾ってもらいたいものだ。昨年秋のようなみっともない方法ではなく、堂々と、正式参拝をされたい。
 

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