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2006年7月21日 (金)

靖国神社の社頭にて祈るということ

 学生時代、半年ほど毎週日曜日に靖国神社に参拝したことがある。あるプロジェクトを行うのにいわば願掛けのようなものだった。分不相応なことをやろうとするとどうしてもプレッシャーが大きくなるのは致し方ないことである。毎回参拝するまではかなりエネルギーが下がっているのだが、参拝するたびに何か内から湧き出てくるようなエネルギーを感じ、力を頂いたことを思い出す。

 靖国神社への勅使参向は春秋の例大祭に併せて行われる。一度、行き合わせたことがある。普段にもまして厳粛な雰囲気が社頭を覆うのだ。

 英霊は活きてはたらいておられる。目には見えないけれどもこの国を護り続けてくださっている。靖国のご社頭でこうべを垂れ、手を合わせて祈るとき、「~してください」というようなことは決してしない。「自分は至らないものではありますが、お国のために、精一杯尽くして参ります。」というように祈る。

 「君がため まことをつくす まめびとは 神もうれしと 助けまつらむ」

 明治天皇の御製であるが、このことが実感されるように思われるのだ。英霊を感じるときというのは、国のため、公のためにと必死になって何かに取り組んでいるときだ。のんべんだらりとしていて感じられるものではない。

 国の指導者に靖国神社に参拝して頂きたいというのは、何も戦没者の慰霊をというだけのことではない。国の指導者に国のために尽くす決意と覚悟を高めて頂きたいと願うが故に他ならない。

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コメント

「英霊を感じるときというのは、国のため、公のためにと必死になって何かに取り組んでいるときだ。」

素敵です。無私のこころを感じます。

私は、今になって、人として生まれての幸せは、自分の為ではなく人のために生きたときかえって生かされるのだと知りました。人の生き様をきっかけとしてわかるようになったのです。人の為になる生き方を学んでいきたいです。

「靖国神社に参拝するのは、国に尽くす決意と覚悟を高めて頂きたいという願うがゆえである」


国会議員の先生方にたいするご自身の体験からのお言葉だと思いますが、身に迫る言葉です。

このような体験を伝えてくださり感謝申し上げます。


投稿: haruka | 2006年7月23日 (日) 午後 06時45分

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