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2006年6月 7日 (水)

写生と反省

 「反省」とは、ありのままに過去を記録すること、ということを書いた。

 正岡子規が「写生」ということを提唱したことを思い出した。

 子規の俳句を継いだ人はいる。短歌を継いだ人もいる。しかし、写生文を継いだ人はいない、ということを読んだ記憶がある。あるいは記憶違いかも知れないが、少なくとも子規の「病床六尺」などに匹敵するような、赤裸々な写生文、精神の記録は、絶後であると言ってもよいだろう。

 子規の強靭なリアリズムを文学史上に言うのは容易い。しかし、その強靭なリアリズムが忘れられて、舶来の「自然主義」や「プロレタリア文学」によって伏流水になってしまったことの意味を考えるのは難しい。

 日記を書いている人なら、自分の考えを書くのが如何に容易な業であり、たとえ昨日の事でも、事実をありのままに記すことが如何に難しいかは、身に染みている筈である。染みていないとすれば、恐らく自分の考えだけの世界に生きて、何も外物を見ていないのであろう。

 事実を、ありのままに記録する、ということが真に反省であるならば、写生文を書くことは真の反省に直結するはずである。そして、真の反省は真に強靭な精神を生むことになるだろう。事実をありのままに書く、ということは、実は不可能なことなのである。言葉そのものの持つ制約があるからである。その不可能ごとに挑戦するということは言葉の持つ手応えを感じるということでもあり、その感触は不思議と伝わるものなのである。この過程を経た言葉には「空想」が入り込むことは出来ない。少なくとも「空想」は最小限にまで排除されることになる。

 しかし、得てして人は「空想」に逃げ込み、真の「反省」から遠ざかる。楽をしたいのもまた人間の習性の一つなのだ。

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