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2006年6月10日 (土)

「日本はなぜ敗れるのか~敗因21か条~」について  バアーシー海峡

 第二章で詳述されている「バシー海峡」は、衝撃的だった。

 冷水を浴びせられたように慄然となる。それは、この「悲劇」が、山本氏が言われているように、決して過去のものでないと思えるからだ。

 危機に直面した際の、日本人の行動パターンとも言えるかも知れない。そして、これは絶対に克服すべき、重大な一側面であると思われる。真の反省が、「正確な記録を残すこと」であるという指摘がここに生きてくる。忘れられた「バシー海峡の悲劇」を、改めて歴史に刻むことが重要なことではないのか、と思える。山本氏は次のように述べている。

 「一方日本はどうであったか。当時日本を指導していた軍部が、本当は何かを意図していたのか、その意図は一体何だったのか、おそらく誰にもわかるまい。というのは、日華事変の当初から、明確な意図などは、どこにも存在していなかった。ただ常に、相手に触発されてヒステリカルに反応するという「出たとこ勝負」をくりかえしているにすぎなかった。意図がないから、それを達成するための方法論なぞ、はじめからあるはずはない。従ってそれに応ずる組織ももちろんない。そして、ある現象が現れれば、常にそれに触発され、あわてて対処するだけである。」(65頁)



 こういうのを「行き当りばったり」というのであろうが、こうした行動パターンが、極限状態においてどのような悲劇をもたらすのかの実例が「バシー海峡」であった訳である。過去の日本について常に「反省」を口にする人々は、二言目には「残虐行為」を持ち出す訳だが、これが真の「反省」から目を覆い隠すことになっているのは皮肉でもある。逆に、いわゆる「聖戦」的な捉え方も結果として同じように真の「反省」から遠いことになる。

 先日、ある元外交官の方の話を聞く機会があった。氏は「負けたことが間違っている」と述べた。これは、「間違っているから負けた」というのとは少し違うように思う。「負けた」ということは余りにも自明のことではあるが国の指導として間違いなのだ。「兵は国の大事、察せざるべからず」とは孫子の冒頭にある言葉である。国の指導者として「負け戦」はやはり許されるべきことではない。

 ある教育者の方は言う。日本人として真の反省がなされていないことは問題だ。それがなされていないことが中国や韓国に付け入る隙を与えているのだ、と。

 そして、上記のような「行き当りばったり」的な、当時の指導層の混迷ぶりについて早い段階から指摘していたのが竹山道雄氏だったと思う。あらゆる観念論は歴史教育から排除されなければならないのではなかろうか。かかれるべきは「日本人の諸業」であらねばならないと思われる。保守主義者の言う「価値中立」とは、こうした時に発揮されるべき精神ではなかろうか。それはまた「無私」の業でもあると思う。

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