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2006年6月

2006年6月30日 (金)

「首相支配―日本政治の変貌」を読む

 1993年(平成5年)、細川非自民連立内閣の成立により、所謂55年体制が崩壊してから液状化し、流動を続けてきた日本の政治構造が、2001年(平成13年)小泉内閣の成立により、いわば2001体制と呼ぶべき体制として成立し、小泉政権の5年間を通して定着する過程について、判りやすく分析し、俯瞰した力作である。

 この現代日本の政治体制の転換がどのような特徴を持っているのか、昨年の郵政解散・総選挙はどのような意義を担っていたのか。そして、それによって確立した我が国の政治風土にはどのような意義があり、この新しい状況を一国民としてどのように捉え、対処していけばよいのか、そうしたことまで考えさせられた。

 著者の竹中治堅氏は1971年(昭和46年)生まれ。東京大学法学部を卒業し、大蔵省に入省した後、スタンフォード大学政治学部博士課程を修了、政策研究大学院大学助教授。スタンフォード大学客員研究員として比較政治、日本政治を専攻している政治学者である。(同著経歴による)

 この若手研究者が剔出した政治構造の再編過程は実に興味深く、55年体制崩壊から現在に到る政治過程について納得の行く全体像が見えるように思われた。

 氏が指摘する2001年新体制の確立に到る過程の中で日本の政治に起こった5つの変化は、以下の通りである。

1、政党の間で競争が行われる枠組みが定まった。(※中選挙区制から小選挙区制へ)

2、首相の地位を獲得・維持する条件が変った。(※派閥の力学から世論重視へ)

3、首相が保持する権力が強まった。(※政策提案権の明記、内閣官房強化、経済財政諮問会議、自民党総裁としての公認権、政党助成金の分配権など)

4、行政機構の姿が一変した。 (※省庁再編)

5、参議院議員が保持する影響力が増した。 (※憲法上の参議院の特徴)

 「政治改革」という掛け声の大潮流が生み出した新しい政治体制である。氏は政治体制を「政治権力が社会内で広範な服従を確保し、安定した支配を持続するとき、それを形づくる制度や政治組織の総体」と定義している。

 上記の新体制への変化に対比する形で、55年体制がいかなる特徴を持つ政治体制であったのかについて、次のようにまとめている。

1、衆議院の選挙制度は中選挙区制度であり、主要な政党は自民党とそのライバルであった社会党であった。

2、首相の地位を獲得・維持する条件として重要であったのは派閥からの支持を獲得することであった。首相=自民党総裁が「選挙の顔」として有権者にどの程度アピールできるかは重視されていなかった。

3、首相はほかの派閥から制約されたため、強い権力を振るうことは難しかった。首相がどの程度の権力を振るえるかは派閥の領袖として保持する実力に左右され、自民党総裁としての権限や法律によって首相に与えられる権限は重要でなかった。

4、行政機構としては、20を超える省庁が存在し、そのなかでは、予算、税制、金融という主要経済政策を担当する大蔵省が大きな権限を誇っていた。

5、政治過程の中心にいるのは、政権を成立させる面でも政策を立案する面でも、衆議院議員で、参議院議員の影響力は薄かった。

 そして、2001年体制の特徴について対応させて次のように記している。

1、衆議院の選挙制度は小選挙区・比例代表並立制であり、主要な政党として自民党と民主党が競い合っている。この二党に加え、参議院での法案の成否を握る公明党が影響力を保っている。

2、首相の地位を獲得・維持する条件として重要なのは世論から支持を得ることである。小選挙区・比例代表並立制では、政党本位の選挙戦が行われるため、「選挙の顔」として首相の人気が与党の戦績に直結するからである。この反面、派閥の支持はもはや重要ではなくなっている。

3、首相の権力は自民党総裁としての権限や首相としての権限に支えられ、強いものとなった。一方、自民党内では、派閥が弱体化し、派閥の領袖としての実力は、首相の権力を左右する条件ではなくなった。ただ、世論からの支持が、首相の権力を存分に行使できるかどうかを左右するようになっている。

4、行政改革の結果、行政機関の姿は一変し、一府一二省庁に再編された。現在の行政機構には三つの特徴がある。第一に内閣府が大きな役割を果たしていること。第二に、行政改革の過程で旧大蔵省の機能が、財務省、金融庁、日本銀行、内閣府の四つに分割されたため、旧大蔵省=現財務省の権限が縮小した。第三に、本書では必ずしも十分議論できなかったが、総務省、国土交通省、厚生労働省という巨大省が誕生し、政策決定過程のなかで発言権を高めている。

5、参議院議員の影響力が高まった。1989年や1998年の参議院選挙における自民党の敗北や派閥の弱体化がきっかけとなって、1990年代を通じて、自民党の参議院議員は政治過程における影響力を高めたのである。

 氏は、以上のように分析した上で、「首相への権力一元化」について次のように述べている。

「この2001年体制の最大の特徴は、55年体制に比べ、首相がはるかに強い権力を行使できるということである。首相に権力が集中するようになっているためである。権力が一元化されているといってもいい。要するに、2001年体制は集権的な体制なのである。この体制のもとで、首相はほかの政治化や政治組織に対し、非常に強い地位を獲得し、「首相支配」と呼べる状態が作り出されている。」

 この指摘は重要である。小泉首相はしばしば「強権政治」と指弾され、時には「独裁」などとも言われた。しかし、これは小泉首相のパーソナリティの問題では必ずしもなく、新しい政治体制における「首相」は、世論の支持さえあれば強大な権力の行使が出来る仕組みになっているということを、十分に機能して見せたということと受け止めた方がよい。
 つまり、ポスト小泉においても、「世論の支持」という条件を満たせば、同様のリーダーシップを発揮した政治が可能である、ということである。

 ここで「世論の役割」が格段に大きな影響力を持つような体制であることに注意することが必要だろう。このことについて氏は次のように述べる。

「強化された権力を首相が存分に使えるかどうかは、首相自身が世論から支持を獲得できるかどうかにかかっているということである。世論は、55年体制に比べ首相の権力に大きな影響を及ぼすようになってきたのである。/それは、現在の選挙制度では、党首の人気が選挙における政治家の命運に大きな影響を及ぼすからである。小選挙区・比例代表並立制では、もっぱら政党同士の争いが選挙戦の中心となる。このため、党首は「選挙の顔」として重要な役割を演じる。自民党の場合、選挙戦での各政治家の命運は党を代表する総裁=首相の人気に大きく左右される。このため、自民党の政治家は、首相に対する世論の支持に敏感になっており、世論の動向を睨みながら、どの程度、首相に従うか決めるのである。」

 更に、自民党総裁選が、いわば擬似首相公選制に近い形になってきたことも、「世論の役割」を引き上げることに繋がっているのではないだろうか。元々、首相公選制が唱えられたのは、首相の権限強化であり、リーダーシップの発揮が期待されてのことである。2001年体制は、限定的ながらも首相公選制が実現した形になったともいえるかもしれない。

「首相の地位を獲得・維持するのに必要な条件が世論の獲得であることが制度的にもいっそうはっきりするようになった。2002年1月に改正された自民党総裁選規定は、以前と比較すると世論の支持を反映させるものとなっている。第一に、自民党員が投票する地方票が以前に比べ拡大され、300とされた。第二に、総裁のリコール制度が導入された。これにより、自民党の政治家は、国民に不人気の総裁を解任することができるようになった。」

 氏は、この首相に権力が集中、一元化され、首相が強い権力を振るうことが可能となる体制の歴史的意義について、次のように考察している。

「以前の55年体制に対し、責任の所在と権力の所在が一致するようになったことである。現在、首相の権力が強大になり過ぎたことが批判的に取り上げられることが多い。しかし、考えてみてほしい。内閣および与党の政策に対し、最終的に責任を負うのは首相なのである。責任を取らされる以上、政策を立案するうえで、必要十分な権力を与えられることは道理にかなったことである。」「(55年体制では)責任の所在と権力の所在が一致していないことが多かったために、政治は国民の目から見て非常にわかりにくいものとなっていた。」「2001年体制では、首相の地位そのものが首相に就任する政治家に政策立案に必要な権力を保障するものとなっている。そして、責任の所在と権力の所在が一致したことにより、はるかに政治は国民にわかりやすいものとなっている。権力を保持している政治家に責任を問うのが民主主義の基本である。2001年体制が成立したことによって、国民は権力を保持している政治家に責任を問いやすくなったのである。すなわち、われわれが首相の責任を問うということは、真に権力を有しているものの責任を問うことを意味するように、ようやくなったのである。この意味で以前に比べ、日本の民主主義の質は確実に高まったのである。」

 この新体制がどのような歴史を刻んでいくのか、今は只見守るしかないのかもしれない。しかし、判りやすくなったからこそ、それぞれの政策について、国民の側の見識が問われるであろうし、かつまた世論形成に重大な影響を与えるメディアの責任も問われることになるだろう。また一方においてまだまだ萌芽期にあるといえるかもしれないが、インターネットという媒体によって、マスメディアによらない世論形成が起こるようになっている。既に、人権擁護法案の問題で、ネット世論の潜在力の一端を垣間見ているわけだが、強大化した首相の権力に対するチェック機能として、本当の意味における言論の自由の重要性は益々高まっているといわざるを得ない。

 この変化を的確に把握した上で、時代を切り拓く政治を期待しつつも、伝統破壊、文化破壊の可能性を排除していくことは益々重要になってくると思われる。憲法改正論議が本格化すると予想される来年に向けて、その前哨戦としての教育基本法改正の論議の中において、確実にしていく必要があることを、改めて痛感させられる。

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2006年6月13日 (火)

かえせ!竹島!

韓国は、竹島に飽き足らず、対馬をも侵略しようとしている!とのうわさを聞いた。

これ以上、竹島問題を放置することは、許されない。

島根県サイト かえれ!竹島

県土竹島を守る会 サイト

海上保安庁 2003年

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天皇皇后両陛下がタイ国王の御即位60周年式典にご出席

【読売新聞平成18年6月13日記事より】
タイのプミポン・アドンヤデート国王(78)の即位60周年を祝う王室御座船パレードが12日夕、バンコク市内を流れるチャオプラヤ川で行われた。

14世紀のアユタヤ王朝初期に起源を持つとされるパレードでは、神々や動物をかたどった船首を持つものなど王室の船52隻が、バンコクのアナンダ・サマコム宮殿近くからワット・アルン(暁の寺)付近まで、約4キロを約40分かけて進んだ。来賓が左岸から観覧する中、伝統装束に身を包んだ約2100人の海軍兵士が、一糸乱れぬ櫂さばきを披露した。

 これに先立ち、アナンダ・サマコム宮殿で祝賀式典が行われた。両陛下を含む25カ国の王族らから、即位60周年の祝福を受けたプミポン国王は、「長年にわたって私の活動に協力し支えてくれた人々に感謝したい」と述べた。


(参考)
天皇皇后両陛下のシンガポール国及びタイ国ご訪問について  閣議決定(1月27日)

天皇皇后両陛下  ご出発前の記者会見  (6月6日)


皇皇后両陛下ご訪問日程  在タイ日本大使館サイト 


天皇皇后両陛下ご訪問日程  在シンガポール日本大使館サイト

天皇皇后両陛下 タイ国王晩餐会にご出席  (毎日新聞)

アライナ!泰国生活記BLOGより

天皇皇后両陛下のご帰国は15日夜とのことです。

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「日本はなぜ敗れるのか ~敗因21か条~」について  ~その7~ 「虜人日記」との対比

「虜人日記」を入手。昭和50年6月30日に第一版が筑摩書房から出版されている。元々は昭和48年にこれを残した小松真一氏が逝去され、奥様の手によって自費出版されたことがきっかけだった。山本書店店主の山本七平氏も自費出版のものを読み、「現代」や「野生時代」という雑誌に、「虜人日記との対話」と題して文章を書いた。これが、「日本はなぜ敗れるのか」となって出版されたわけだ。

戦後30年という一つの区切りの年ということもあって日本の敗因について一つの視点を提供することにもなったのだろう。



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2006年6月10日 (土)

「日本はなぜ敗れるのか~敗因21か条~」について  バアーシー海峡

 第二章で詳述されている「バシー海峡」は、衝撃的だった。

 冷水を浴びせられたように慄然となる。それは、この「悲劇」が、山本氏が言われているように、決して過去のものでないと思えるからだ。

 危機に直面した際の、日本人の行動パターンとも言えるかも知れない。そして、これは絶対に克服すべき、重大な一側面であると思われる。真の反省が、「正確な記録を残すこと」であるという指摘がここに生きてくる。忘れられた「バシー海峡の悲劇」を、改めて歴史に刻むことが重要なことではないのか、と思える。山本氏は次のように述べている。

 「一方日本はどうであったか。当時日本を指導していた軍部が、本当は何かを意図していたのか、その意図は一体何だったのか、おそらく誰にもわかるまい。というのは、日華事変の当初から、明確な意図などは、どこにも存在していなかった。ただ常に、相手に触発されてヒステリカルに反応するという「出たとこ勝負」をくりかえしているにすぎなかった。意図がないから、それを達成するための方法論なぞ、はじめからあるはずはない。従ってそれに応ずる組織ももちろんない。そして、ある現象が現れれば、常にそれに触発され、あわてて対処するだけである。」(65頁)



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「日本はなぜ敗れるのか~敗因21か条」について  ~その5~  「自由思考」について

 さて、前回の続きである。

 ここで「自由」が出てくる。決して哲学的に持ってまわったものでなく、「自由な談話=フリートーキング」が出来るか否か、が「鍵」だという。

 「先日、あるアメリカ人の記者と話し合った。私は、キッシンジャーが、日本の記者はオフレコの約束を破るからと会見を半ば拒否した事件を話し、これは言論の自由に反することではないか、ときいた。これに対して、彼は次のようなまことに面白い見解を述べた。」(309頁)

 日本の記者が、オフレコの約束を破るというのは、昨日今日始まったことではないという意味でも興味深い証言である。

 山本氏は「取材拒否」は「言論の自由」に反するのではないか、と思ったわけだが、「あるアメリカ人」はそうではない、といい、むしろ「言論の自由」を奪っているのはオフレコの約束を破る日本の記者なのだ、というのだ。その理由を、ややくだくだしいが以下、引用してみる。


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2006年6月 8日 (木)

「日本はなぜ敗れるのか~敗因21か条~」について  その4 自由について

 第十二章「自由とは何を意味するのか」に、次の一文がある。

 「私自身は、その人がどんな”思想”をもとうともその人の自由だと思うが、ただもし許されないことがあるなら、自己も信じない虚構を口にして、虚構の世界をつくりあげ、人びとにそれを強制することであると思う。」(307頁)

 この光景は、現在も、日常的に溢れかえっているもののようにも思われる。「自己も信じない虚構」を作り上げ、それを絶対化して「人びとに対して強制する」とは、強烈なニヒリズムである。


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2006年6月 7日 (水)

写生と反省

 「反省」とは、ありのままに過去を記録すること、ということを書いた。

 正岡子規が「写生」ということを提唱したことを思い出した。

 子規の俳句を継いだ人はいる。短歌を継いだ人もいる。しかし、写生文を継いだ人はいない、ということを読んだ記憶がある。あるいは記憶違いかも知れないが、少なくとも子規の「病床六尺」などに匹敵するような、赤裸々な写生文、精神の記録は、絶後であると言ってもよいだろう。

 子規の強靭なリアリズムを文学史上に言うのは容易い。しかし、その強靭なリアリズムが忘れられて、舶来の「自然主義」や「プロレタリア文学」によって伏流水になってしまったことの意味を考えるのは難しい。

 日記を書いている人なら、自分の考えを書くのが如何に容易な業であり、たとえ昨日の事でも、事実をありのままに記すことが如何に難しいかは、身に染みている筈である。染みていないとすれば、恐らく自分の考えだけの世界に生きて、何も外物を見ていないのであろう。

 事実を、ありのままに記録する、ということが真に反省であるならば、写生文を書くことは真の反省に直結するはずである。そして、真の反省は真に強靭な精神を生むことになるだろう。事実をありのままに書く、ということは、実は不可能なことなのである。言葉そのものの持つ制約があるからである。その不可能ごとに挑戦するということは言葉の持つ手応えを感じるということでもあり、その感触は不思議と伝わるものなのである。この過程を経た言葉には「空想」が入り込むことは出来ない。少なくとも「空想」は最小限にまで排除されることになる。

 しかし、得てして人は「空想」に逃げ込み、真の「反省」から遠ざかる。楽をしたいのもまた人間の習性の一つなのだ。

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「日本はなぜ敗れるのか~敗因21か条~」について  その3 「反省」ということ

 やっと一通り読了した。

 この本の題名「日本はなぜ敗れるのか」が、現在形であることも実に意味深長である。

 戦前・戦中・戦後を、一貫した尺度で見通せる思想的強靭さがなければ、こうした題名で本を書くことは出来ないだろう。これは、ステレオタイプ的に、「戦後は終わった、戦前が始まった」などと言って判ったような気になる無思想とは何の関係もない、寧ろその最も対極に位置するものである。

 山本日本学は、一貫して日本人を突き動かしている原理を探求しているが、この本もその例外ではない。

 軍人のみならず、日本人全体を拘束しているある「力」を浮き上がらせているのだが、それは、現実を無視ないし軽視させ、ある観念を絶対化させて、タブーを作り出すのである。この本では一度も使われていないが、「空気の研究」で語られたことにも通じるように思われる。

 さて、興味深い点は多々あるが、どのようにそれを受け止めていけばよいのかは、また別の問題である。恣意的な読み方をしても余り意味はあるまい。

 とはいっても、自分の今のレベル以上のものを受け取れるはずもなく、自ずからその制約の下の書かざるを得ないということになるが、それはそれとして、自らの受け取り方が絶対ではないということを自覚していれば良いのだろう。

 「反省」ということについて、興味深い指摘がある。第8章は「反省」と題している。この章は珍しく小松氏の引用はない。敗因21か条中の10に「反省力なきこと」という一言だけが述べられている。

 「戦後30年ということで、この8月15日前後は、あらゆる新聞・週刊誌・単行本の「戦争反省もの」の花ざかりであった。そして黙祷もあれば、首相個人の資格による靖国神社参拝と、それへの批判もあった。まさに「一億総反省」的状態である」

 1975年(昭和45年)当時の状況であるが、此の時点からも既に30年が経過しているにも拘らず、日本人がやっていることと言えば相も替わらず、殆ど大同小異のことばかりとの印象が強い。これほどまでに「反省」がなされているのは、敗因10条「反省力なきこと」が克服されたことを意味し、これによって日本は生まれ変わったのである、と、果たして言えるのであろうか。

 もちろん、否である。

 これを、山本氏は「反省という語はあっても反省力なきこと」と痛烈に批判している。そして、是は何も帝国陸軍と戦後の関係だけでなく、西南戦争以来一貫していると指摘している。鬼畜とされる対象は替わっても、その罵る姿だけは一貫している。

 鬼畜西郷軍 → 鬼畜米英 → 鬼畜日本軍

 マスコミによる虚像の捏造は、既に此の頃からある宿痾であることも判る。

 「〔賊兵は〕某神社の境内に〔とらえた七、八人の官兵を〕率き行き、大樹の下に繋ぎしが、…『頭を刎ね、腹を割き、生肝を撮み出しても興なし。何にか面白き趣向は』と耳に口寄せ、私語き、社前に在る銅華表〔銅製の鳥居〕を中頃より二つに切り、そが中に山の如とく炭火を燃き、真赤になりし時、天に叫び地に哭する〔大声で泣く〕生慮を一人一人駆立て、左右より手取り足取り此の火柱を抱かせ、炙り殺したる云々」明治10年9月25日付郵便報知新聞の記事。「空気の研究」より

 こうした「残虐行為」が創作される過程で、「視点の喪失、ブーム化に基づく盲動」が起り、これこそが「日本的欠陥の最たるもの」と指摘している。そして、「それへの反省は未だになされていないのである。」30年後の現在もなされていないといえるだろう。

 ここで、付言しておきたいのは、鬼畜日本軍が鬼畜北朝鮮になっても、その姿が一向に変わっていないのではどうにもならない、ということである。それでは決して左翼を批判することは出来ない。真の反省に基づいた思慮でもない。

 真に「反省」するとはどういうことなのか、山本氏の言は明快である。

 「では一体「反省」とは何なのか。反省しておりますとは、何やら儀式をすることではあるまい。それは過去の事実をそのままに現在の人間に見せることであり、それで十分のはずである。」

 これに、自分なりに付け加えれば、「事実は細部に宿る」のであり、なるべく詳しく、当時のありのままを作為なく記録し、後世の批判に晒すことなのではなかろうか。

 ここでまた、私の思いは「つくる会内紛劇」に飛ぶ。発言している主体が三者あるが、一体真の「反省」に結びつくのは誰なのであろうか。勿論、判断は各人の問題であるが。採択戦の敗戦の総括にも直結するように思われるが、「反省力」なき者にはそれも不可能であろう。



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2006年6月 6日 (火)

こんな事を考えてると頭が痛くなるなあ

順番に書いていく義務もないので、思いつくままにざっくばらんに書いてみたい。

6月に入った。今年も折り返し地点にまで来てしまったのかと、愕然となる。

色々な事があって、考えるべきこと、行動すべきこと、配慮すべきこと、諦めるべきこと、こだわるべきこと、などなど、さまざま、もろもろ。

「光陰矢の如し」  実感である。

「少年老い易く、学成り難し」  誠に尤もである。

うろ覚えだが、秋山実之は晩年に到るまで、自分一個の怠りは、帝国の怠りとなる、といい、孜々として努めておられたという。日米戦を予見した秋山参謀が存命ならば、また大東亜戦争への道も又違う道が拓けたかもしれないなどとふと思う。

  松下村塾に掲げられていたという「聯」

万巻の書を読むに非ざるよりは いずくんぞ千秋の人足るを得ん。

一己の労を軽んずるに非ざるよりは いずくんぞ兆民の安きを致すを得ん。

 意味は難しいことはないが、実践は容易ではない。特に2連の「一己の労を軽んず」ということは、無私の精神がなくては中々難しい。

 「無私の精神」と「個人主義」は対立するか?

 「無私の精神」とは、単なる自己放棄であり、盲目的追従に繋がるものなのだろうか?

 「個人主義」とは何か。インディビジュアリズムの訳語である。これ以上分割することが不可能な社会の最小の構成単位として「個人」を見出した言葉である。現実の人間は、総ての他から自立して、「個」として存在するなどということは不可能である。国家があり、社会があり、他者がいるから、自分の「個」としての存在も維持出来るのである。

 「無私の精神」は、「個人主義」と矛盾しない。というよりも、「個」としての自己を深く内省していく中で、「個」が「個」としては存在し得ないという「事実」に逢着し、「個」を生かすことと「全体」を生かすことが一致するという結論に達するのである。しかし、「全体」を生かすために「個」が犠牲にならなくてはならない場合、真の「個人主義」者は、「無私の精神」を発揮して、全体の為に「個」を犠牲にすることが出来るのである。

 以上、ひとつの論理として書いてみた。しかし、上記の論理には、陥穽がある。「全体を生かすために個が犠牲にならなくてはならない」という判断を誰がするか、という問題である。これが他者から来ると「全体主義」的な恐怖となるのではなかろうか。この判断は、自己でなさねばならない。

 あらゆる正義が、「個」の犠牲を正当化するイデオロギーに転化する可能性を秘める。

 では、自分で選んだように仕向ける、とする。これを「洗脳」と呼ぶか?

 何が「真」であり、何が「偽」か。

 「自由」という言葉がある。「フリーダム」と「リバティ」の二つの英語がある。それぞれの意味の吟味も興味深いが、「自由」という言葉そのものの意味はどうだろうか?

 自らに由る、と読める。自分自身に判断の基準を置く、ということ、これが「自由」の意味なのだろうか。

 自分とは何か。

 結局、ここに収斂されてくる。

 すると、何のことはない。古代ギリシャのアポロン神殿に刻まれていたというあの箴言に要約されることになるだろう。

 「汝自身を知れ」

 「個人主義」も「無私の精神」も、この問いの答えを自らに見つけようとするところから始まる営為なのに違いない。

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日本はなぜ敗れるのか~敗因21カ条~  その2

まだ読んでいる途中である。
しかし、早く読み進めるのが惜しい気もする。

先にあげた21か条は、日本人の弱点として、現在でもそのまま当て嵌まる内容を持っているように思われる。

これらは我が国民性の恥部であり、現在でも大小取混ぜて同じような事例には事欠かないように思われる。

つくる会の内紛劇の問題を傍観しつつ、この本を読んで見ると色々と考えさせられる点が多く出てくる。149ページに以下のようにある。

「自己を絶対化し、あるいは絶対化したものに自己を同定して拝跪を要求し、それに従わない者を鬼畜と規定し、ただただ討伐の対象としても、話し合うべき相手とは規定しえない。」

何がどう当て嵌まるか、というようなことは言いたくない。只、この言葉にあるような姿がそのまま現出したのではないか、という印象を強く抱いたばかりである。

更に150ページの言葉も考えさせられる。

「問題は常に、個人としてはそれができるという伝統がなぜ、全体の指導原理とはなりえないのかという問題であろう。」

ここで言う「それ」とは、「自己を絶対化」せず、「従わない者」を「話し合うべき相手と」「規定」出来る、ということであり、要は上記の反対のことである。個人として出来る人は多いという指摘は留意してよいのだろう。

そして、問題は、組織や団体となると「全体の指導原理」とならないということである。

これは、日本民族が抱える重大な欠陥であるように思われる。


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