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2006年5月25日 (木)

人生論風に・・・

以上は、以下の掲示板に書き込んだものです。
http://8319.teacup.com/kaku777/bbs

書いていて、図らずも自分の人生観のようなものが書けたような気がいたしましたのでアップしてみます。

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遅ればせながら・・・

 機会計算課長さん、ご健康にはくれぐれもお気をつけ下さい。

 先の書き込みをしてから、覗いていなかったので、先ほど開いてみて、ず~っと読んでいてびっくりしました。私が言うと長谷川さんがおなかを抱えて笑われるかも知れませんが、健康は大切です!

 さて、西尾幹二先生は日本文化の破壊者か否か、というディベートの論題になりそうなテーマが繰り広げられていて、流し読みですが読ませて頂きました。西尾先生も、まさかこのような議論がなされているとは、夢にも思われていないのではないでしょうか(笑)

 先般、先生がまだお若い頃、恐らく今の八木先生と同じ位の頃(あるいは更に若い頃)に書かれた「ヨーロッパ象の転換」という新潮選書(現在絶版らしい)を、この間、本棚の奥にあったのを引っ張り出してぱらぱらと捲っておりましたが、そこに書かれている文章は、今の西尾先生と吃驚するほど同じでした。当たり前といえば当たり前なのでしょうが、何となく感慨深くしばしその文章を眺めておりました。先生は、その頃から、「群れる日本人」を大変嫌い抜いておられました。

この間、ちょこっと書かせて頂きましたが、八木先生については、この間「日本を虐げる人々」という本を読んだのが直近では最後ですが、本当によく色々な事情に通じておられる、と思いました。勿論、渡部昇一先生の存在も大きいとは思うのですが、出版された日付からしても、つくる会の内部問題で相当に肉体的にも精神的にも草臥れておられた頃の同時並行の作業だったと思われることから、何とも脱帽の感がしたものです。ちなみに、同書の中では、2箇所、西尾先生のことが出てきます。一つ目は、西尾先生が、つくる会の中学校教科書から遡ること10数年前の、「新編日本史」事件のことを軽んじている、ということでした。昭和61年3月に新しい高校用歴史教科書として文部省の検定をパスした「新編日本史」という教科書を、中国・韓国・日教組・外務省・官邸が総出で袋叩きにした事件です。当時の後藤田官房長官は、「内政干渉だが止むを得ない」といった発言をしたり、検定合格後に数度に渡って中国の圧力に屈した外務省が文部省を飛び越えて修正要求を繰り返した異常な事件でした。この年の秋には、藤尾文部大臣が文藝春秋に「放言大臣おおいに吼える」という文章を掲載したことで、例によって中国にご注進に及んだ勢力があって、発売前に問題となり、発売日を待たずに、当時の中曽根総理大臣から、罷免されるという事件が起ったのでした。当時の風潮が偲ばれます。この教科書は現在も出版され続けており、少数ながら全国の高校で使用されています。日教組の妨害活動は、つくる会教科書へのそれに勝るとも劣らない(という言い方はかなり控えめではありますが)ものだったといいます。日本会議事務総長の椛島先生は、当時の顛末について、「「新編日本史」のすべて」の中で詳細に総括をしておられます。この本は確か、故林健太郎先生がまとめられたものと記憶しております。この教科書編纂事業が取り組まれた要因は、昭和57年の第一次教科書事件だったといわれています。朝日新聞の教科書検定で「侵略→進出」と書き換え、という世紀の誤報事件に端を発し、果ては当時の鈴木善幸首相が中国まで飛んで謝罪し、当時の宮沢喜一官房長官が発表した談話に基づいて、教科書検定基準に「近隣諸国条項」が設けられた事件です。教科書の偏向批判は昭和30年代から既に繰り返しありました。そして家永教科書裁判が行われるなど、左からは教科書検定に対して具体的に教科書をつくっての攻撃が繰り返されましたが、いわゆる保守陣営からは、対案となる教科書を創出するという試みは絶無ではないにしろ生み出すに到らなかったわけです。そして、昭和61年の第2次教科書事件ともいえる「新編日本史」事件では、藤岡先生が後にいみじくも指摘した通り、教育主権が奪われている実態が具体的に明るみに出たのでした。(事件当時は藤岡先生はまだ共産党だったと思われますので、当時の回想を是非文章にしてコメントして頂きたいものと思われます。これは決して皮肉でなく、そう思います。)

 長くなりましたが、これが第一の点です。

 それから、もう一点触れていますが、これは西尾先生の仕事を激賞といってよい位に評価し、褒めているところです。それは、「ドイツは謝罪したが日本は謝罪していない」という左派のレトリックを見事に論破した業績についてです。これは確かに西尾先生の独壇場といっても良い位に素晴らしい貢献であられたと思います。

 つくる会の内紛については、見事な位全く触れられていません。ただ一点、あとがきで、松浦氏が、信仰心のある保守、という意味深長な言葉で表現されたことが何となく思い当たる程度です。しかも、神社保守とか宗教右翼とかいう誹謗中傷が、私の認識に間違いが無ければ、左翼陣営のレッテル張りにしか登場していない時点でのことだったと思います。まさか、左翼陣営が保守派を貶めるために使っているレッテル張りを保守派の重鎮(と少なくとも外からは見られているはず)の西尾先生から飛び出すとは、思いもよらない事態でしたが、そうした萌芽は既に見られていたのでしょう。

少し長くなりましたが、若鷲さまが繰り返しアップされようとして失敗している、新田先生のブログを、私も試みにここに貼り付けてみようと思います。

http://tadasukai.blog58.fc2.com/

(※アドレスを貼り付けてエラーが出たので、削除して試してみます。もしこの書き込みがアップされたとすれば、何らかの理由で、新田ブログがブロックされているということになりますので、寝るケーノ先生には、調査をお願いする次第です。)※復活させています。自分のブログでアップできるということは、やはりあの掲示板には何らかの仕掛けがされていると思われます。少なくともあの板に集う人に対して「新田ブログ」を見せてはならない、という悪意ですね。これは、つくる会関係のほかの掲示板でも試みてみなければならないかも知れません。


西尾先生のブログと対比してご覧になることをおすすめします。

http://nishiokanji.com/blog/

膨大な量がありますので、関心の無い方が中途半端に見られることはお勧めしませんが、一体何なのか、ということを知るには両方見て丁度良いと思われます。というか、新田先生のブログは、「降りかかる火の粉」を払う為に、「事実」を持って「憶測」に反論するという姿勢を貫いていますので、その意味では読みやすいと思います。判断は、各自でしていただく以外にはありません。残念なことに、私はまだ確認していませんが、サピオに、憶測と事実誤認を多く含んだまま西尾先生が書かれてしまったということです。確認してみなければ何ともいえないところですが、私としては、若し仮に先生がそのような行動に出られたとするならば・・・。

ともあれ、それを自分の目で確認するまでは、先走ることは留保しておきましょう。

ひとつだけいえることは、今後、西尾先生には、組織運動に携わることは遠慮して頂きたいということです。言論人の資質と、組織運動をリードしていく資質は全く別のものであると、痛感します。全ての人間には、長所と短所があり、それは往々にして裏腹の関係にあります。先生がご自身の短所を矯めることが若し出来たとしても長所を失わせることにつながりかねないでしょう。その逆も又真でありましょう。とするならば、取るべき道は自ずと明らかになるはずです。

私は、「人寄せパンダ」という言葉は、褒め言葉だと思います。ただ先生はパンダではなく猛獣であられたことと、最後には自分の息子たちまで食い殺そうとしたということ。或は、獅子は我が子を千尋の谷底へ突き落とす、ということなのでしょうか。その辺りは分かりません。猛獣は、草食動物と違って群れることは出来ないのでしょう。それは人それぞれの生き方の違いであって、持って生まれた資質の違いでもあるのでしょう。烏合の衆が役に立たないことは論を待ちませんが、一騎当千の強者であっても、ただ独りであるならば、万の敵には滅ぼされるしかないでしょう。本当の王者というものは、「桃李物言わずと雖もその下に自ずから道を生ずる」という風でなければならないのでしょう。

 「山中の賊を破るは易く、心中の賊を破るは難し」とは王陽明の言葉ですが、その伝記を読みますと、宦官の誹謗中傷による苦労の連続であると同時に、征旅の途中にも多くの門人らが集ってきて陣中に講義をなすという人物であったということです。賊の平定にも見事な手腕を見せ、明の危機を幾たびか救われました。「聖人に成る」事を生涯の目的とし、また見事にその生涯を生き抜いた方でありました。最近、感動した本として安岡正篤先生の「伝習録」所載の「王陽明の生涯と教学」でありますが、西尾先生が、一体何を目指されているのか、不敏な私にはどうにも見えません。あるいは、先生はその時その時の興味関心で持ち前の優秀な頭脳を駆使されて切り込んでいくというスタイルで生きておられるようにも見受けられます。

西尾先生の「先見性」については、よく長谷川さんからも聴かされます。私には判断するほどの材料も関心もないので、そういうものかな、と思って聴いています。寝るケーノ先生の言葉は、長谷川さんの言葉そのものですので、あるいは、そのような会話をなされての結果の言葉なのかも知れません。しかし、私は、ある点において、西尾先生が「指桑罵槐」としか云いようのない読むに耐えない言葉を吐き続けておられることに対しては、断固として否、といい続ける覚悟です。

ネット上における言論の自由の問題は、新しくもまた古い問題です。西尾先生が、実名と経歴を公表しない言論は拒否するという宣言をブログでコメントされました。言論人としての西尾先生も、終わりになってしまうのか、と暗然たる思いが致しましたが、それはそれで仕方のないことであります。私が尊敬する一人の小林秀雄氏が、ある学生の「歴史が鏡であるということが分からない」という学生の不躾な質問に対して、「あなたがおっかさんを思い出すだろう。するとおっかさんはあなたの中に甦るだろう。おっかさんはあなたの中にあるじゃないか。日本の歴史もあなたの中にあるんですよ。・・・人間は、自分が生きてきたことに対して責任を取らなくてはいけない・・・」(うろ覚えです。後で正確に調べて改めて記入します)というようなことを述べています。「自分が生きてきた責任を取らなくてはいけない」との言葉は、私にとってインパクトのある言葉でした。歴史が自分の中に甦らない人にとっては、歴史は無いも同然であり、伝統も同断である。甦らない人にとっては、歴史は常に外に存在する「モノ」にしか過ぎない。それは自分とは関係の無い対象物に過ぎない。その感覚こそは、「革命的感性」とでも呼べるものであって、その洗礼は、戦後生まれのものは必ず受けていると断言してよい。それは、歴史の命を感じ取る自然の感性を麻痺させる悪性の病気なのだが、それは思想の左右を問わずおかされている深刻な「死にいたる病」であると思います。私は、西尾先生にもそれを見出しますし、私自身の中にも見出します。「信仰心」や「宗教心」というものを何の痛痒もなく否定し去ることの出来る「感性」自体が、「革命的感性」と意って間違いないと思います。戦中に、天皇主義者の仮面を被った革命派が日本を敗戦に導いたとの仮説は、真実味を帯びていますし、全部でなくとも、そういう側面もあったのかもしれないとも思われます。(参考:「大東亜戦争とスターリンの謀略」)三島由紀夫氏は、ナショナリズムの九割は左翼に取られる、と言っています。「愛国主義」は、右翼の専売特許でも、保守の旗印でも何でもありません。大体中国の愛国主義教育を見るだけでも分かりそうなものです。三島氏は、「天皇」だけは左派はどうしても飲めない、と言われました。「天皇」を否定したり相対化するということは、要するに突き詰めて考えて行けば、左派と選ぶところはない、ということになります。共産党が象徴天皇制を現憲法下では認める、というような偽装をあえてしなければならないほどに、「天皇」は左派にとって正面からぶつかることを避けなければならない強烈な存在なわけです。彼らとて「天皇」を残して「革命」など不可能なことは百も承知です。しかし、正面からの突破は難しいと踏んで、側面や背面から、「女性天皇」賛成→「女系天皇」容認→「男系」断絶→天皇否定、という回りくどい道筋を考案したに過ぎません。大体、福島瑞穂氏が「女性天皇」を絶賛したといっても、何時彼女が反天皇の旗印をおろしたのか。それくらいだから、現在の混沌たる情勢の中にあって、「保守主義者の仮面を被った革命派」がいても全然不思議ではありません。こうしたとき人は何をどう信じればよいのだろうか。行動を見るしかない。また言葉と行動の一致を見るしかない。声高に論う人の言葉は、眉に唾して聴かねばならない。静かにものを考える時間を持たなければならない。私は、戦前の左翼の方が、戦後の保守主義者よりもよほど日本人だった、と言った方の言葉に説得されています。私は、保守的言説をしているという理由で人を信頼することはありません。その言説が、その人の人生とどう関っているのか、その点に見極めがついてきた段階である程度信頼を置くことにしています。勿論、自分に対しても、よそ目には相当甘く見えているかも知れませんが、主観的には厳しく自己を監視しています。自分をも容易には信じられないという点で、私は戦後的な人間の一人であります。私の内なる「確信」は、その意味で煉獄とも言える内心の葛藤を経てきたものばかりで、「妄信」という言程、私の嫌いな言葉はありません。しかし、「信ずる」という行為が、最終的には「決断」であり、その中には野蛮人の勇気が潜んでいることをも認めるものです。要は、「信じる」ということは「責任を取る覚悟を定める」ということと同義でもあると思っています。その意味で、西尾先生は、ご自身の「確信」に対して、責任を取る覚悟がおありなのだと思っておりますし、言論人であるだけに、その責任の取り方は、断じて市井の一般人と同じレベルであっていいとは思われません。
 私は、純真に直ぐに「信じる」事の出来る方を貶めたり否定するつもりは毛頭ありません。というよりも、まっすぐに「信じる」ことの出来る素直さは宝であるとさえ思います。自分に持ち合わせが無い分、余計にそう思います。そうした人々はあるいは間違った事を信じるかも知れません。それによって罪を犯すこともあるかも知れません。しかし、そうした中で確実に人生の中において責任を取っていくのです。勿論、最近の人権思想がそうした責任を取り人間としての厚みや深みを得る機会を奪う現状があることも承知の上で、そう思います。人間の評価は、棺桶の蓋が閉まるまで分かりませんし、あるいは閉まった後でも定まらない方もおります。毀誉褒貶は世の常であり、要は自分が納得できる人生を如何に歩んでいくのか、という一事に尽きるのでしょう。繰り返しますが「山中の賊を破るは易く、心中の賊を破るは難し」江戸時代までの学問は、正に人生の工夫そのものでありました。西尾先生は、荻生徂徠の「論語徴」を読んでおられるということですが、その読書が「心読」となられることを心密かに(といっても書いてしまっては密かになりませんが)願っています。

*******引用以上******

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