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2006年4月14日 (金)

自主性尊重の美名に逃げる親たち

 この間、滅多に見ないテレビを偶々見ていた時、昨今の青少年の性の事情について、番組がやっていた。

 産婦人科医の院長先生のところに、17歳の女子高校生が相談にやってくる。20代後半の会社員という彼氏も一緒にだ。妊娠していることが分かり、親と相談してくるように言う。二度目にも彼氏と二人でやってきた。親の姿はない。親は自分のやった行動の結果なんだから、自分で責任を取りなさい。産んだ方がよい、と言ったという。しかし、産んでも育てられる自信がないと彼女は言う。当然だるう。3度目にやってきた時、堕胎することに決めたという。今度も彼氏と二人である。親の姿はない。手術の当日にも、親はやってこなかった。

 この先生は言う。「子供の自主性に任せる、という親は物分りが良いのではなく、子供から逃げているに過ぎない。」と。

 その通りだと思った。今、このような無責任な親が増えているという。

 大体、20代後半の彼氏という男性は、相手が17歳の高校生であり、もし妊娠しても産み育てることが難しいこと位分からないはずはない。女子供を守ることも出来ないこの弱弱しい男は一体何なんだと思った。昔ならば、先ず第一にこの男の責任が問われただろう。自分が親なら断じて許さない。

 ヒニンすればいい、などと安易なことを言う手合いは多い。学校の性教育もそちらの方向に向かっている。しかし、何かずれている。

 昔、岡潔博士が、女児の初潮年齢が低下する傾向があることについて、人間が獣化しているのだ、と指摘したことがある。博士が指摘した時代よりも更に低下しているし、欲望に歯止めをかける訓練さえ怠り、性の乱れなどという言葉でさえ生易しいほどの目を覆わんばかりの惨状である。

 性は神聖なものである、という考え方は嘲笑の対象でしかなく、コミュニケーションとしての性などということばが教科書にまで登場するようになっている。国を挙げて気が違っているとしか思えない。

 自主性尊重の美名。その裏で深く傷ついていく子供たち。大人の責任放棄。この悪循環。

 子供から逃げている親は、自分自身の人生にも決して真正面から向き合っていない。この延長線上に、今の悲惨な世相があるのだ。地獄への道は善意に満ち満ちている。子供たちを地獄へ突き落とすのは、善意に満ち満ちた大人たちなのだ。その偽善に隠れた冷酷な心で、それとは知らずに犯す深い深い罪が、あとどれだけ重ねられるのだろうか。 

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