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2006年4月11日 (火)

「中国飢餓農民を救った日本軍」の記事に感銘

 今日の産経新聞に、「中国飢餓農民を救った日本軍」という見出しの記事を見出し、引き入れられるように全文を読んだ。

 日中戦争の際、1941年(昭和16)から43年(昭和18)まで続いた旱魃により被災者3千万人、餓死者3百万人という、途方も無い「大陸規模」の犠牲者を出した大飢饉が中国大陸を襲っていた。この災害は天災だけでなく人災の一面があって、蒋介石の中国国民党軍は、「民衆が死んでも土地は中国人のもの。兵士が死ねば日本人がこの国をわがものとする」といって、軍糧を過剰なまでに取り立てたという。日本軍は、餓死寸前の農民に軍糧を放出し、飢餓農民を救ったのだという。

 河南省の災害史を調べる中で、この歴史の真実を発見した作家の劉震雲氏はこの歴史事実を素材として「温故一九四二」という小説を出版し、それが中国でロングセラーとなり、現在映画化が決定されたというのだ。

 反日の暴風が吹き荒れた一年前とは打って変わって、このような小説が映画化されることは、日中関係にとって大いにプラスだろうと思う。当局の審査が厳しく、映画のクランクインが遅れているという。間違っても「親日映画」とならないような「検閲」が行われているのかも知れないが、小説の方は広く読まれているというのだから、矛盾が拡大するような映画を作れば、検閲の跡の方が醜く浮かび上がることになり、却って逆効果になるだろう。

 中国大陸で残虐の限りを尽くしたというイメージが定着した観のある日本と中国の教育現場、それは中国版愛国教育の直輸入も預かって力があったことが、日教組系の教職員らが中国に毎年のように渡って本場「愛国教育」を学び、持ち帰って実践してきたことの影響も大きいのだろう。中国各地に作られた「官製」愛国(反日)歴史資料館は、あるいはこうした日本の教師たちと、中国共産党政府の合作だったのかもしれない。そういえば南京に建設された南京大屠殺記念館には、当時の日本社会党の肝煎りで、日本の援助によって作られたという話を聞いたことがある。

 「歴史の偽造」は共産主義国ではさして珍しいことではないが、自由主義国家であるはずの日本人がそれを推進したとは何とも解せない話である。しかも、それほど熱心に、隣国の「愛国」教育を真似ておきながら、肝心の日本における「愛国心」教育には徹底して反対なのである。普通に考えれば、やはりおかしいであろう。

 むしろ、「官」ではない中国人の「庶民」感覚こそが、日中の懸け橋になるのでは、という期待ができるというのは皮肉なことであろう。「庶民の味方」で「反政府」の立場を少なくとも建前では日本本国において一貫してきた社会党系の人々は、一歩大陸に足を入れると、「官」べったりになり、「庶民」を無視しているのだから。面白いもので、これが本当は本音なのだろう。そもそも社会主義は極限まで「官」を肥大化させ、その重みを「民」に背負わせてきたのが、20世紀後半の歴史の示すところでもある。

 また、「日中戦争」は、歴史を政治の道具とする中国の伝統に共産主義が拍車をかけた形で、歴史事実の探求が、きわめて困難な状況が続いてきた。日米戦争に関しては、日米双方の資料をつき合わせて相当事実に近いであろう戦史の刊行が可能となっているが、児島襄氏の「日中戦争」を読んだ際どこかに書いてあったが、結局当事者である蒋介石政府は台湾に逃れ、その後、漁夫の利を得る形で中国大陸における権力奪取に成功した中国共産党が、自分たちに都合のよいように歴史を書いてきたのである。そして、現在に至るまで、双方の資料を客観的に突き合わせて歴史の事実を探求していこうという試みは、なされていないのである。

 日本国内にも、一方的に日本の「悪」のみを断罪して止まない、一群の人々が存在する。彼らの主張する日本暗黒史に少しでも疑問を抱こうものなら、ありとあらゆる罵詈雑言、あるいは物理的心理的な恐怖を与えられることを覚悟しなければならない。そうした異常もほころびつつあるとはいえ、まだまだ健在だといわねばならないだろう。日中の歴史の真実の探求は、まだまだ50年、100年というスパンでしか実現しようのない事業なのかもしれない。

以下、記事の全文引用です。

「庶民にとって、歴史とは生活の連続。生活とは食うこと」

小説「温故一九四二」を邦訳、映画化も  中国飢餓農民救った日本軍

 【北京=福島香織】一九四二年、大飢饉で河南省の農民を救ったのは、日本軍だった―。そんな歴史の真実を捉え、ロングセラーとなっている中国の小説がこのほど日本で翻訳出版された。劉震雲さん著、劉燕子さん翻訳の「温故一九四二」(中国書店)だ。日中政府が歴史問題で対立を深めるいま、庶民にとっての歴史とは何か、二人の「劉さん」にたずねた。
 「庶民にとって、歴史とは生活の連続。生活とは、食うこと。食べるものがなければ飢え死にするしかない」と、劉震雲さんは力をこめる。同小説は、日中戦争の最中の一九四一年―三年、河南省を襲った旱魃による被災者三千万人、餓死者三百万人という大飢饉の状況を農民、蒋介石ら指導者、米国人記者、日本軍の立場から多面的に描き出した。
 飢饉の原因は天災だけでなく、中国軍の容赦ない軍糧のとりたてのせいでもあった。その中で、日本軍は餓死寸前の農民に軍糧を放出した。他の中国人から収奪したものだったとはいえ、農民はこれに応えて、猟銃やクワを握って武装し、軍糧を巻き上げてきた中国軍を武装解除させた。
 「民衆が死んでも土地は中国人のもの。兵士が死ねば日本人がこの国をわがものとする」と軍糧の過剰なとりたてを黙認する蒋介石に対し、食べることが何より優先事項だった庶民。「最後に歴史を動かすのは庶民の基本的生活の要求だった」と劉震雲さんはいう。
 河南省生まれの劉震雲さんは、当初は故郷の災害史をまとめるつもりで、祖母や叔父らをインタビューし新聞記事を集めていた。史実に初めて触れて驚愕すると同時に「人の記憶は意外にあいまい。こんな大事件をみんなあまり覚えていない」と、ショックを受けた。それではいけないと、九三年に小説として発表。以来、読者の圧倒的支持を得て、今も重版が続くロングセラーになった。”中国の山田洋次”と称される馮小剛監督による映画化も決定。当局の審査が厳しくクランクインが遅れているものの「遅くとも来年の冬には完成する」という。
 翻訳者の劉燕子さんはこの小説に魅了された一読者だった。九一年に留学。今は大阪で、文芸誌「藍・BLUE」編集長を務める。「日中の懸け橋になりたいと思って文芸誌を編集してきた。この小説こそ日本の人々に読んでほしい」と、日本語で「劉震雲文学」の世界を再現した。翻訳に当たっては、防衛庁の戦史と照らし合わせ、史実を確認した。
 昨年四月の反日デモから一年。しかし劉震雲さんは「故郷(河南省)の老人たちは、日本人に好感を持っている。子供のとき日本兵にアメをもらったりしたそうです」とほほえんだ。

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