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2006年4月28日 (金)

お留守になって・・・

 はじめての?遠征に出て自分のところがお留守になってしまいました。

 世の中、空しくも悲しいことがあるものです。他人事とも思えないで口出ししてしまいましたが、空しいです。

 ある人が、人生における問題の7割は人間関係だ、といわれたことがあります。至言だと思いました。

 知って犯す罪と知らずに犯す罪はどちらが重いか。

 知らずに犯す方が深入りする分思いのですよね。「殺してはいけない」という言葉を知らないかのように、簡単に人を殺す事件が後を絶たないのは、この一言が脳裏に刻まれていないがためでしょう。仏教でもキリスト教でもよいのですよ。「不殺生」「汝殺す勿れ」なんてフレーズが頭の片隅にでもあれば、歯止めにもなるでしょうに。

 宗教的情操教育が重要なのは、こうした点にも言えるのであって、無神論の怖さはドストエフスキーが予言した「神がいなければ何でも許される」という人間性の暗部をのぞかせるものだからでもある。

 大体、特定宗教の戒律が、どこまで守られているのか、ということは、その宗教内の問題であって、それが説かれている、という一事が、どれほど社会に安心感をもたらすだろうか。

 教育基本法改正与党案の問題点について、今日の産経新聞に意見広告が出ていたが、日本のほとんど全ての宗教団体の念願にもかかわらず、「宗教的情操教育」の一項が消えているという。まさか、ただ一つの宗教団体のためではなかろうと思うが、昨今の状況を見ても、「宗教的情操教育」の復活は急務であろうに。

 韓国の騒動に絡んで思い出したのは、6年前、大久保駅で、線路に落ちた人を助けようと列車が来るのもかまわずに飛び込んで助けて命を落とした李秀賢さんのことである。「身を殺して仁をなす」とは論語の言葉だが、韓国の儒教精神の最も崇高な発露である。日本人として、一人の人間として、彼に感謝の心を忘れてはならないと思っている。

 戦争中であっても、国同士の戦いはそれとして、友情を確かめ合うことも出来た。今は、国同士は国交を結んでいても、友情を確かめ合うすべもない。竹島を巡る韓国の狂乱を見つつ、しかし、韓国人の中には、あの李さんのような偉大な青年がいたことをも、忘れてはならないと思ったのである。たまたま写真を見る機会を得た。本当にいい顔をした方だった。顔から受ける全体のなんともいえない明るくて、柔和で、落ち着きがある、賢者の顔をされていた。なるほど、この方は、正に神様仏様の化身であったのだ、と合点がいった。

 人間は、神にも悪魔にもなれる存在なのだ、と改めて思う。選ぶのは結局は自分自身に他ならないのである。

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コメント

我が心の神に目覚めよ。って、ところですかね。

自分に恥ずかしくない生き方が出来たか?
生涯、これに尽きるのだと思います。

投稿: 寝るケーノ | 2006年5月 5日 (金) 午前 06時20分

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