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2006年4月13日 (木)

「比較文化論の試み」(山本七平)再読

 この間、ふと、山本七平氏の講演録である「比較文化論の試み」(講談社学術文庫)を読み直した。
 最初に読んだのは恐らく高校の頃だったと思うが、その頃にはこの本に書かれてあることを読み取るには余りにも未熟に過ぎたのだと思う。茫漠とした印象さえも残っていないのがその証拠である。

 今回、読み直して、あまりの新しさに一驚した。それは、真理というものは古くならない、という古典的な新しさである。

 山本氏は、日本でも随一といってよい「聖書学」に通じた人物だった。自身も無教会派のキリスト教信者であられたという。イザヤ・ベンダサンというペンネームにより「日本人とユダヤ人」を著し、一世を風靡した。比較文化論的なアプローチが脚光を浴びるようになるきっかけになったものではないかと思う。

 自分がなぜそのように考えるのか、という内省を経ない一切の認識は、真に客観的なものとは言い難い。「戦後人がもつ一つの確固たる迷信」という氏の言い方は、戦後の価値観にどっぷりつかりそのことに疑いを抱くことのない人々への痛烈な一針であるように思える。

 バブル以降の平成大不況がようやく回復の兆しを見せてきた、とか、格差社会が到来する、とかいう様々なご託宣が飛び交っている。しかし、その内面を見透かしてみれば、その貧弱と空洞は呆れ返るほどのものでしかない。 
 「経済的破綻がが必ずしも文化的破綻を招来しない過去の実例」を上げ、「経済的破綻は絶対の一民族の、民族的破産でも文化的破産でもなく、その更生・再生の早さをみれば、破産そのものは、一民族の歴史の全過程の中では、一挿話に過ぎないといいうるほど短いことも珍しくない」と氏は指摘しているが、経済だけが尺度の価値観がこのまま続けば、次のようなことになるのではないか。

 「文化的破産はこれと同じではありません。その破産は、経済的破産なくこれを迎えることもあれば、経済的破産とともに起り、それが回復した後も回復せず、その民族を、新しい形のまことに始末の悪い文化的内乱状態へと陥れ、最終的には回復不能の状況にしまして、一民族・一文化を人類史上から消してしまうこともあります」

 現在、日本人が祖先から受け継いできた価値観を蔑ろにして戦後60年。小手先でどうなるものでもないような人間の生き方の破綻が随所に目立つようになってきた。それは、明治以後の文明開化のひずみと、戦後それに拍車をかけたアメリカニズムの浸透が大きな影響を与えていることは間違いない。日本人が文化的な死に向かって突進している。

 この問題について、どう対処すれば良いのか、この小著の試みは極めて示唆的である。

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