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2006年4月22日 (土)

「あたまことば」と「こころことば」そして、愛国心教育

 むかし、日本の文化や伝統について勉強を始めたころ、気をつけなければならないと、よく先輩方が言われていたことが、この「あたまことば」と「こころことば」の違いについてだった。

 「あたまことば」とは、簡単に言えば理屈のことだといえよう。頭の中で理屈を捏ね回して観念の遊戯をする。その論理が如何に精緻であっても、そのようなものでものごとの本質は捉えることは出来ない。

 「こころことば」とは、実感に即した言葉、「切れば血の出るような」言葉である。腹のそこからの言葉、心のそこからの言葉、定義すること自体が難しいが、理論理屈のことではない。歎異抄で親鸞が法然上人に騙されて地獄に堕ちてもよい、と言い切ったような、言葉だ。

 保守VS革新という構図が意味を成さなくなり、今や世を挙げての「革新」の時代である。

 「おやっ」と思う人もあるかもしれないが、小泉内閣のスローガンを見れば「改革を止めるな」であるし、今や、古きよき日本を守れ、という政治勢力は消滅したといってよい。その意味で戦後60年が経過して、ついに日本は革命派が天下を取ったのである。

 勿論、「革新的保守」というカテゴリーも考えることが出来るし、米英流の保守主義思想には学ぶべき点が多々あることも事実である。

 しかし、肝心の「日本」そのものに依拠した政治勢力がなくなったということは、何と表現したらよいのか、奈落の暗闇を覗き込むような恐ろしさがある。

 「保守」を標榜する人々の中にも、「共和派」がいる。それは、自民党内に伏在していた、アメリカ主義者たちである。この人々は反共ではあったかもしれないが、尊皇ではなかった。

 あたまだけで考える人々は、その内容が保守的言論であろうと左派的言論であろうと、「革命派」であることに違いはない。あたまで理解しようとしたって、「天皇」はわかりっこないのだ。

 教育基本法改正法案の与党協議で、愛国心が排除され、国を愛する「態度」を養うのだという。「心」はどうでもよいというのが透けて見える。しみじみとした情感は既に枯れ果てているのだ。これが、戦後政治のなれの果てかと思うと、日本人が戦後「心」を失ってきた総決算を見るようである。

 国を憎む人々は、「良心の自由」をたてに、愛国心を否定する。愛国心を押し付けるな、という。その論理は公明党も一緒なのだが、彼らの「心」とは、国を憎むところに存在するのであって、国を憎む心の自由を国に保障しろといっているのだ。そして、教育の中では国をバカにし、ないがしろにし、憎悪する心を助長することは野放しになっている。「愛国心」を養う自由は完全に抑圧されているのだ。

 特に反日イデオロギーに凝り固まった人でなくても、「愛国心」など教育で押し付けるべきではない、としたり顔をする人もいる。自分が所属しているカテゴリーに対する親近感というものはそれなりに自然と芽生えるものではあるだろう。しかしそれを深め、意義付け、正しく導くということは、野放図にして育つものではない。
 敗戦後、アメリカという国は知っていても、日本という国の名すら知らない子供たちがいたことを、平泉澄博士は書き残している。その子供たちに日本の国の歴史の話をしたときのエピソードは、涙なくしては読めないものがある。亡国の教育を施しつづけて60年。日本はようやく本当に国を失おうとしている。

 「国はどこにあるのか」

 乃木大将が、学習院院長をされていた晩年、生徒たちに質問した。「心の中にあるのだよ」と院長先生はやさしくさとされたという。同じことを、森信三先生も書き残している。「国は心の中にある」その国を豊かにする教育を、今の言葉で言えば愛国心教育となるのではなかろうか。

 今、心の中に、「日本」を持っている人がどれだけいるだろうか。「日本」という国号を耳にして「日本」が心の中に躍動する人々は、まだまだ多いに違いない。しかし、なぜ躍動するのだろうか。「日本」とは何か。どんな国なのか。それを明快に語れる人は少ない。ましてやしみじみと語れる人をや。心の中で、「日本」が滅びはじめている。そして、心の中から「日本」がなくなる日こそ、日本という国がなくなる日なのだ。あとには、元日本人であった人々の子孫の形骸だけが残り、その中身はアメリカ文明か、朝鮮か、中国か、何れにせよそれらの亜流にしかならないだろう。

 「日本」とは何か。教えられないならまだしも、「日本」という言葉の内実が実に貶められている昨今である。

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