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2006年4月 4日 (火)

敗戦で失われたもの~河村幹雄博士の場合~

 大正から昭和初年にかけて、とりわけ教育問題に熱心に取り組まれ、著名であった方の一人に、河村幹雄博士がおられる。

 氏は明治十九年に、北海道石狩に生まれ、明治44年に東京帝国大学を卒業された。その後直ぐに九州帝国大学の講師を嘱託せられ、翌年には九州帝国大学工学科大学助教授に任ぜられた。大正8年には九州帝国大学教授に任ぜられ、同年理学博士の学位を受けられた。昭和5年斯道塾を福岡市に開かれたが、翌昭和6年12月27日、永眠された。享年46歳。

 短い生涯であったと言わねばならないが、「遺稿集」の編集後記に切々と述べられる言葉は、博士の遺徳を偲ぶに十分であろう。

「「私が亡くなったら書遺したものは皆焼いて灰にしてくれよ」とかねてより言い置いて博士は逝かれた。それにも拘らず今、ここに遺稿を編纂・刊行するに到つたことは、博士の心を知らない背命の所業である。我々はかかる背命の恐るべきを思はなかつたのではない。然し何人かよく直ちにこの命に従ひ得たであらう。博士を知る人にして、片々たる草稿と雖もこれを愛惜し保存すべきを力説高調しない人はなかつたのである。」

「博士の本領は、寧ろ、その行住坐臥の間、実践に於て体現され、或は講演に、或は講義に、或は座談に、そしてその公私の生活の裡に直接表現されたのである。それ故にその筆録されたものが如何に勝れてゐるにもせよ、その一部分を輯めて遺稿として刊行することは必ずや博士の偉大なる生命に外的な限定を加へることとなるであらう。時にふれ折に際し、豊かなる情意と透徹したる識見とを以てすべての者を蘇らせすべての者に力を與へられた博士の生命の全貌をここに現すことはできないからである。偉大なる生命は却つてこれに直接触れた人々を通じて無限の展開をなし、隠微の間におのづから結晶して何等かの形となるであらう。遺稿を求める我々の心は畢竟これ愚凡の迷執であるに違ひない。」

「然しながら日本は今意味深き歴史の刻々を経過しつつある。世界歴史の中心が日本に於て渦巻いてゐる。『重き悩みの近づき来るに』と博士の歌はれたその時が正に我が民族の目前に到来してゐる。この重き悩みを擔ひ了せ、歴史をして永遠の栄光に輝かしめる為には、高邁なる人生観に基く確固たる精神力と明晰なる洞察力とを有たなければならない。博士の思想は必らずこの力を我が同胞に與へるであらう。」

「かくして、遺稿に伴う必然的制約は博士を損ふこと頗る大であるとしても、遺稿が晦迷の中に陥らうとする我々の心に光を與へ、普く同胞に革新の原動力を與へるとするならば、背命の所業は寧ろ缺くべからずと思ふに到つたのである。」

 この遺稿集が編集されたのは昭和8年。全国から応募者があったという。その後、この10センチもある遺稿集をより精選して出版されたのが「名も無き民のこころ」である。これは戦後も版を重ね、読み継がれてきた。自分も戦前の版のものと昭和40年代に出版されたもの2冊を持っている。

 最近、ふとしたことをきっかけに、漫然と調べていたら、何と、最近「日米不戦論」という著書が復刊されたいたのに驚いた。博士は過去の人ではなく、今現在もなお、読み継がれ、また伝えようとする人々がいるのだということに感銘を受けた。

 そして調べてみると、「河村幹雄全集」が刊行されたことを知った。第一巻のみであるが奥付を見ると昭和20年6月20日に4000部第一版が出版されている。髪質も装丁も「遺稿集」に比べて遥かに劣るのは、戦争末期のわが国の状況を反映したものと思われ痛ましい。全4巻で計画されていたらしいが、2~4巻が見当たらないのは、やはり敗戦後の混乱期に、この試みが放擲されてしまったということなのだろうか、と推測するの他はない。もしそうだとするならば、きわめて残念なことであり、敗戦という政治軍事上の一時がもたらした、人文への痛手のひとつだと思わないわけにいかない。

 るる述べてきたのだが、本当は、次の一文を紹介したいが為に書き始めたものであった。これは、復刊した「日米不戦論」には掲載されていないらしい。女子教育にも心を砕いた博士の、女性教育論であり、今もなおまったく古びていない、貴重な一文であると思われるのだ。大正から昭和にかけての世相と、現在の世相がよく似ているということを思わないわけにいかない。それは、その頃にも「女権拡張論者」の耳障りな掛け声が世間を騒がしていたという一事のことをさしていうのである。今の世にないのは、博士のように、全人格を持って国民全体に感化を及ぼすような碩学の存在である。せめて、博士の言葉を、人として生きる道のよすがとして、紹介したいと思うのである。

婦人の中に未来の人は眠れり

婦人の中に未来の人は眠れり。人文の将来は婦人の中に潜めり。一民族に危害の及ばむとするに当り幼と婦人とを護らむが為に男子の挙りて死に赴くこと凡ゆる時代、凡ゆる民族を通じて易らず。之れ天の命なればなり。民族の運命、国民文化の将来、国家の前途を念慮とする者にとりて婦人程貴きはなし。然るに今日の女子教育を見よ男子の教育に比して甚だしく軽んぜらる。軽んぜらるるは忍ぶべし。誤り教育せらるるは忍ぶ可からず。婦人を誤り教育す。之れ民族を、人文を、未だ生ぜざるに先だちて殺すなり。恐るべきもの之に過ぐるなし。何をか誤れる教育といふ。婦人教育理想の誤謬之なり。婦人の個性を尊重せざる教育をなしつつあること之なり。男子を偉なりとする卑屈根性を基として教育を計画実行しつつある事、女子をして男子の後塵を拝せしめむとしつつある事之なり。婦人の使命の神聖なる、天分の貴き、男子の企て及ばざるものあるを覚らざる無自覚之なり。
婦人の使命とは何ぞ。人文を過去より承継ぎ現在に擴ごらしめ将来に伝達すること之なり。即ち人文の精を身に体し、之を亡びしむることなく次代の人に譲渡すること之なり。即ち、未来の人文を委ねらるべき赤子を生み哺み育て教へ導くこと之なり。之を為さざる限り婦人の教養は完からず。如何に修養に心懸くるも之畢竟自力作善の煩瑣聖道門、到底人格の完成せらるる望なし。唯一度嫁して妻となり子を生みて自ら母となり之が育成に心魂を捧げ尽くす時、期せずして人格の完成せられ無碍融通自在なる境涯に入り、真の道自ら修せられむ。然るに現代女子教育は此の最重大の一点を苟且に附しつつあり。或いは曰はむ、『嗟、賢妻良母主義か、古し矣、三五年のみに非ず、一昔、二昔古し』と。新旧を言はむとに非ず。天は覆ひ、地は載す。雨露濕ほし、天日は温め、春夏秋冬輪転して動植物化育すること茲に幾千万年。旧しとて天を如何、地を如何、風雨を如何、昼夜を如何、四時を如何、動植物を如何。余は唯真偽を問ふなり。道なりや外道なりやを問ふなり。正邪、善悪、美醜を問ふなり。人文百年の長計の為如何なるか之れ正しき措置と問ふのみ。新旧は問ふ所に非ざるなり。現代に職業的不具者を目標とせずして広く人文の各分野の智識を授けむとしつつある女子教育者なきに非ず。されど自己完成を究極の目的とし、之より一歩も進まむとせず、完成せる自己を家の為め子弟の為め捧げ尽くすべきを教へず。誤れり。更に婦人たる自己の完成は己を家と子弟との為に捧げ尽くしたる時に於てのみ可能なるを教へざるなり。
職業の如何を問はず男子は現在の為に戦ひ斃れつつあるなり。婦人は之に身を守られつつ生命と精神とを未来に伝ふる為に生き且つ悩むなり。誰か人生を喜劇といふ。偉大なる劇的作品の皆悲劇なるは何ぞ。人生は遂に悲劇たらざる能はざればなり。父は国のために死し、母は家の為に死す。之れ人生の真趣
なり。
『一粒の麦地に落ちて朽ちずば只一粒にてあるべし』

「河村幹雄博士遺稿 名も無き民のこころ」より

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