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2006年1月 5日 (木)

「忠」を心に

あけましておめでとうございます。
本年も宜しくお願い申し上げます。

今年、久しぶりに、新年の一般参賀に行って参りました。午前中の10時10分の第一回目は二重橋の皇居正門入口の所でしたが、11時の二回目には正面までいくことができました。「天皇陛下万歳」と久しぶりに叫ぶことが出来ました。清清しい新年を迎えることが出来ました。

年賀状には、「元日や 一系の天子 富士の山」という根岸系の歌人でもある内藤鳴雪の句を書きました。この歌は、占領下に、墨塗られたものの一つです。

教科書に記載された「一系の天子」に墨を塗って60年が経つと、心の中に墨を塗られた知識人、官僚、政治家たちがよってたかって、「一系の天子」を断ち切る法改正を試みる時代になってしまうのですね。

福沢諭吉が「帝室論」で述べたように、万年の春の如き皇室を仰ぐ日本国民と生まれた喜びを新たにし、「皇室典範」の拙速な見直しに反対の声を上げていきたいと思います。

外国による未曾有の占領という、民族の屈辱の歴史を忘却したところにすべての問題があります。故江藤淳氏の著書のタイトル「忘れたことと忘れさせられたこと」をきっちりと思い出すことが必要です。「忘れたこと」とは、「忘れさせられたこと」のことです。「忘れさせられたこと」は、たくさんありますが、その最も重大なことの一つが、日本民族は、有史以来、天皇の「国安かれ民安かれ」という祈りに守られてきた尊い国柄を守ってきたということだと思います。

そして、外国に作られた「憲法」を押し戴いて、それを厳格に解釈し現実に適用しようとするわけです。占領下に絶対的武力の威圧の下に飲まされた「毒」である「日本国憲法」に対して、それでも当時の先人たちは血涙を流しつつギリギリの抵抗を行ったわけですが、そんな苦悩も、きれいさっぱり忘れてしまって、自分の頭で考えていると自分では思っているけれども、実は、そのように考えさせられているとは気付かないのですね。

山本七平氏は、戦後の日本人は、自分を説明することが出来なくなっている、と指摘しました。

日本人は、自分たちが誰であるのか、忘れようとしています。しかし、本当は、思い出そうと無意識に行動しているのではないかと思われます。初詣の参拝者は年々増えているといいます。お盆にお墓参りをする家族はまだまだ多いでしょう。

日本人にとっての「天皇」とは一体何か。それは理屈を超えた存在であり、いわば「親」のようなものなのだが・・・。「親」を理屈で理解するものは居ない。「天皇」も、理屈で「解る」ものではない。それは間接的に色々なことはいえるが、ではなぜそうなのか、といえば、それは「天皇」だから、としか言いようのない、実感があるのだ。まさに、日本人なら解る、のだが、とりあえず「外国人」にもわかるような「理屈」をつけることも、方便としては必要なのだが・・・。「伝統」の一言で済ませられるほど、健全な社会なら問題ないのだが、深く病んでいるいまの日本には、「理屈」という対症療法も必要なのかもしれない。

今年は、「一系の天子」さまを、素直に仰ぐ民草の心を、自分の内にもきちっと磨き直して、精一杯の忠義を尽くす一年としていきたいものと思います。

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コメント

明けましておめでとうございます。

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一箇所に、多くの情報を集めて、力にしたいと思っています。

投稿: 年上の長谷川 | 2006年1月 7日 (土) 午後 10時58分

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