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2006年1月

2006年1月21日 (土)

幡掛正浩先生を悼む 〜ものいわぬ仏の心が天皇陛下の大御心〜

 1月14日、元神宮少宮司であられた幡掛正浩先生が逝去された。享年92歳であられる。

 私は、先生に一面識があるわけでもなく、謦咳に接したことがあるわけでもない。しかし、先生の文章を通じて、遠く尊敬申し上げていた一人である。遂にご生前謦咳に接する機会もないままとなってしまったことは、返す返すも残念でならないが、先生の残された文章を通じて、その志を少しでも受け継げるように努力して行きたいものと思うのである。

 それにしても、皇室典範の問題が浮上する中、おそらく大変な御憂念を持たれたまま、幽界に旅立たれたことと思われる。そこで、少しでもこの問題について、先生が抱懐されておられた思いを拝察申し上げることができればと思う。

 「神国の道理」という著書がある。その最後の文章に「問答・天皇意思と国法」という一文がある。

 そこに、一つ考えさせられる一文があった。

「なるほど、陛下は国の危機だとか、そうしたことについては何も仰せにはならないけれど、その何も仰せにならないということのうちにこめられた千万無量の思いというものについて、われわれは、もっと慎重に考える必要がありはすまいか。
「仏教に、”慈眼衆生を視る”ということばがあるが、僕が学生時代師事した老師は、これは、地獄の釜の口で乱舞している無自覚な衆生を、唯、無限の慈悲心をもって、もの言わず、じっと視つめている仏のすがたであると説かれたことがある。
「貴君は、このもの言わぬ仏に向かって、ものを言わせようとしているわけではないか。衆生よ、こちらへおいで、そちらへ行くのは危ないと。
「貴君がそのように言わせたいとねがう気持ちは僕にもわからぬでないが、それはあくまで貴君や、あるいは僕などの小思量底の分別というものだ。なんにも言わず、じっと視ている仏の眼ざしは、そんな小思量を超えた、ほとんどはかり知ることの出来ぬ深いかなしみが湛えられているとは思わないか。この無言の大悲心こそ、本当はことばあるに勝って強い力をはたらかせる当のものだ。畏いことだが、大御心というものを僕はそのように億念し、考え、戴いているつもりだ。」

 この一文を拝読しつつ、皇后陛下の次の御歌が浮かんできた。

    うららか(平成十年)

ことなべて御身(おんみ)ひとつに負(お)ひ給ひうらら陽(び)のなか何思(なにおぼ)すらむ

 ありとあらゆることをご一身にお引き受けになり背負われておられる陛下の大御心への、慎みと畏れと敬いを込めた、皇后陛下のみ思いをお述べになられた御歌である。

 思量分別を超えて、受け止めておられる、仏さながらの陛下のお姿である。

 皇室典範の問題について、陛下にご意見を、という声もあり、それも尤もだという向きもあるが、こうしたことを考えるとそうしたことも、やはり臣下の思い上がりではないか、と思うようになった。陛下を相対の議論の場に引き摺り下ろそうとする態度ではないのか。

 陛下は、常に国民が最も良きことを志向するように、祈られている。

 国民が議論を尽くさないで、安直に、陛下のご意見を、などというのは、国民としてのまじめさにもかけるのではなかろうか。勿論、細田官房長官のように、これは陛下の大御心だ、というような言い方は、断じて許されるものではない。

 なぜ、三笠宮寛仁親王殿下が、あれだけ踏み出されてご意見をお述べになっておられるのか。

 日本の国民として、一人一人がまじめに物事を考え、結論を出しているのか。甚だ心もとないといわなければならない。思うに、この問題を巡り、日本という国がどのような国であるのか、祖先から引き継いだこの国を、どのような形で子孫に伝えていくのか、そのことが切に問われているのである。このことに心を致すことができなければ、他のあらゆる問題を論じることは出来ない。

 天皇について、国民があまりにも無知になってしまった。そのことと今日のことは無関係ではない。

 国民が知ると知らぬとに拘らず、天皇陛下は祈り続けておられるのである。知らぬですまされることではない。

 現行憲法第一章が「天皇」であることの意味と意義をよくよく考えてみる必要がある。「天皇」について知らないということは、「日本」という国について知らないということであり、それは「自分」自身をも知らないということである。戦後の日本人が無自覚な人生しか送れない(というのも独断ではあるが)原因は、まさにここに存すると言っていいのではないか。

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2006年1月19日 (木)

民主党前原代表「女系」容認発言に反発

毎日新聞が、民主党内の動向について伝えている。

http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20060119k0000m010082000c.html

これまで、政府・自民党サイドの動きが注目されてきたが、民主党内においてきちっとした議論がなされることは重要であろう。

しかし、如何なる議論にもせよ、「女系」が皇統でない以上、その「容認」論は無意味である。

如何にして「男系」継承を守るのか、そのことにあらゆる努力を集中させることそれ以外に、道はないのだ。

考えてみれば、日本という国は、他のあらゆる国々と違って、最初に天皇のご存在があって、次に国が生まれた。

もうすぐ2月11日の建国記念の日がやってくるが、日本という国が今ここに存在する以上、そのはじめがあるのは当然であり、それが神話・伝承しか存在しなかった時代にまで遡れる国など、世界中どこを探してもないであろう。

神話・伝承が無意味かつ無価値だというならば、ローマ法王の存在だろうが、キリストの存在だろうが同じように無意味かつ無価値だということになる。聖書の世界を科学的に証明出来なければ、それは無価値だというような議論は、それこそ現実を無視したものでる。

現存する日本最古の歴史書である「古事記」「日本書紀」の記述の内容の解体的な批判的研究などは、否定することに情熱を覚える好事家の学者に任せておけばよいのである。そこに書かれていることは、事実そのものではないかもしれないが、歴史的事実の反映があることは間違いない。

日本の皇室に「姓」が無いこと。「万世一系」は事実なのだ。

「万世一系」という言葉が、戦後占領下にあってGHQのプレスコードの検閲対象になり、以後60年もの間メディアをはじめ否定的文脈以外で語られたことは殆ど無かったと思われる。

それが、今、「万世一系」の皇統を守れ、と自然に出てくるのはなぜであるか。それは、深い歴史の底から湧いてくる日本人の心の中にある確信が言わしめるのだと思う。

人のことはいざ知らず、自分の心に徴してそう思う。

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2006年1月17日 (火)

「男系」の伝統は、女性蔑視と何の関係もないこと、再論


反天皇主義者を自認する痴れ者が、わがブログをのぞいたらしい。

一般の、ふつうの女性に対して、「女系」が如何に重大深刻な問題であるのか、知って欲しいという思いで書いたものを、「女系」を容認する女性すべてを反天皇主義者であると指弾したように悪意に満ちた曲解を敢えてした。

痴れ者が、痴れているのは仕方のないことであり、それ自体を非難するつもりはないが、曲解をそのままにしておくのはやや害があるかも知れないと思うので、もう一度、敷衍しておきたいと思う。

「男女共同参画」という概念が俄かに浮上して、何らかの社会貢献にかかわってきたご婦人方がすべてこの「運動」に巻き込まれている現状を先ず認識したい。

そして、「女性」という括りによって、社民、共産系の議員や運動家、学者らとの垣根をなくして、思想的背景を持たずに、純粋に社会貢献に尽くしたいという思いで活動しているご婦人方が、同じテーブルの上でそれと知らずに、オブラートに包まれた「ジェンダーフリー」思想の洗礼を受けつつあるという構造があることを、念頭においてもらいたい。

薄められた毒を飲まされているうちに、一般庶民の良識なり常識が少しづつ崩されていき、正常な判断力が狂わされていくのである。そして、ある政治的スローガンに対する抵抗力が低下して、あるいは同調していくのである。しかも、それが自分の頭で考えたと錯覚させられており、それだけに頑強な力を持つ。

少し齧った程度の知識ではあるが、ユングの心理学における「アニマ」論と、その弟子たちが発展させた「アニムス」論からも説明がつく。女性の心理構造として、一つの強烈なドグマをひとたび受容すると、合理的、論理的な自己批判なり自己分析が出来ずに、一直線に突っ走ってしまう傾向があること。

インド独立運動の思想的指導者だった、アラヴィンダ・ゴーシュが、あらゆる運動は、女性が動き出したとき本物になる、と喝破したが、ジェンダーフリー運動はフェミニズム運動から派生してきたものであり、そもそも女性が動いてきたものである。其の背後に、男性の扇動者がいるとしても、はじめから女性をターゲットにして行われてきたものである。

人類の半分が女性であるという事実を元に考えれば、一般女性を巻き込んだ女性運動が重大な影響力を持つことは必至である。

その意味で、もともとが革命を志向するジェンダーフリー運動の思想的洗礼を知らず知らずのうちに受けさせられている可能性が、社会的に一生懸命活動している女性であればあるほど高いことは論を待たず、おかしいと思っても個人で太刀打ちすることは難しく、沈黙させられてしまうのである。

いずれにせよ、もともと極めて政治的な偏向性を帯びた女性学という擬似学問が蔓延っている現状の上で、革命的な底意を秘めた「女系」論に対して、違和感を失わしめられていることが考えられるのである。

本来、合理的な区別であろうが、男女の区別はすべて差別であるとする、過激な男女平等原理主義をうたった女性差別撤廃条約は、アメリカなどでも批准されていないにもかかわらず、日本が不用意に批准したがために、日本の社会的な動揺が生まれているのである。

フェミニズムが男性に対する女性の権利獲得の運動であるとの一般的な見方があるが、その底にあるものは、女性に対する徹底した憎悪と敵意であることも強く指摘されている点である。

男女平等原理主義は、女性性の破壊をその中に秘めているのであって、女性のための運動では、必ずしもない。

「男系」の伝統は、女性蔑視とは何の関係もない。むしろ、日本の歴史は、他国に比して著しく女性の優位を示している。それが女性蔑視の歴史だというのは、色眼鏡をかけて見れば空は尽く赤いものだ、というに等しい愚論に過ぎない。日本最高の小説が「源氏物語」であり、それは女流文学としても世界最古であり、かつ最高のものである。平安の女房たちの気概の高さは、男たちの俗物性を見下して、誠に意気軒昂でさえある。時代の変遷はあろうが、日本の歴史での女性の活躍は相当なものであることは間違いない。

しかし、家系に関する観念においては、「男系」が当然とされてきたのは、歴史上一貫しているといってよく、その伝統の中にあって上記の女性の活躍があったことを踏まえれば、「男系」と女性蔑視は全く別の観念であることが思量されようものである。

むしろ、女性の力は「男系」継承を助けて力があった。「妹の力」への畏れは、伝統的な日本男性の観念でさえあると思われる。

それはそれとして、「男女共同参画」だから「女系」もあり、などというのは、愚の骨頂に過ぎない。そのような洗脳から、一人でも多くの女性が脱却して頂きたいものと思うのである。

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左近の櫻、右近の橘

幕末の志士は折にふれては和歌を詠み、漢詩を作った。都都逸も歌った。

日々を死と隣り合わせに生きた志士たちの歌は、専門歌人が到達することの出来ない境地を開いたともいえる。

その淵源を尋ねれば、それは吉野朝の準勅撰集とも言える「新葉和歌集」に到るだろう。

皇位の正統性を徹底的に主張し、道義の所在を明らかにし続けた、吉野の朝廷に連なる方々の和歌が集められた。雅の伝統が一時に花開き、切々たる名歌を多数残したのである。

幕末の志士たちが景仰した楠木正成公はまさにこの時代の人物であった。

京都御所の紫宸殿の前庭にある、左近の櫻、右近の橘は有名であるが、幕末の志士の中で、これになぞらえられる方を挙げれば、佐久良東雄こそは左近の櫻であり、橘曙覧こそは右近の橘である。

私のペンネームを「橘」としたのは、曙覧とは直接関係がないが、改めて気付いて見ると、ある種の感慨が浮かんでくる。

曙覧の歌の中で、剣の歌四首を紹介してみたい。

眞荒男が 朝廷思ひの 忠実心 眼を血に染みて 焼刃見澄ます

 (ますらおが みかどおもひの まめごころ めをちにそみて やいばみすます)

正宗の 太刀の刃よりも 国のため するどき筆の 鉾揮ひみむ

 (まさむねの たちのはよりも くにのため するどきふでの ほこふるひみむ)

国を思ひ 寝られざる夜の 霜の色 月さす窓に 見る剣かな

 (くにをおもひ ねられざるよの しものいろ つきさすまどに みるつるぎかな)

国汚す 奴あらばと 太刀抜きて 仇にもあらぬ 壁に物いふ

 (くにけがす やっこあらばと たちぬきて あだにもあらぬ かべにものいふ)

まさに、今、国を汚すものが、国内に充満し、臭気芬々、息が詰まる。武士の時代は遥か昔に過ぎ去り、武士道は観念のみとなり、腰に大小はない。しかし、「するどき筆の鉾」と「仇にもあらぬ壁に物いふ」ばかりの気概は、少しは身の内に在るようだ。

世は移り 人は変はれど 変らぬは わがすめろぎの 一筋の道

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2006年1月16日 (月)

えっ、自衛隊って、憲法に書いてないの?それって、おかしいんじゃない??

ものは言い様だと、つくづく思う。

憲法九条墨守の運動がいたるところに目に付くようになった。

九条を変えようなどという奴は、軍国主義者で右翼で、平和の敵で、人民の敵、などぞろぞろと色々なレッテルが準備されている。その身振り手振りがいかにもきな臭い。

さて、では、こういってみたらどうだろう。

「自衛隊は憲法に規定されていません。憲法に自衛隊をきちっと書いて下さい。」

この問いかけに対して否という人は、確実に少数派だ。

現在進行形で大雪の災害に救援に当たっている陸上自衛隊の活躍など、国民も良く知るようになった。10年前、阪神淡路大震災の時、救援に赴いた自衛隊に対して、「自衛隊は帰れ」などという横幕を出して反対したという市民派グループなど、今度はよもやあるまい。

防衛庁の省昇格がこの通常国会で論議される模様だ。「防衛庁」は内閣府の管轄下にあり、国会に独自に法案を提出することが出来ない。防衛省になれば、独自に国会に法案を提出することが可能になる。

何が違うかといえば、それだけ迅速に危機に対処できるというわけだ。このことは大切なことである。

憲法には書いていないが、戦後の日本にとって、自衛隊は黙々と国の守りに着いてきた。

憲法改正に関する国民投票法案も国会に上程される模様だ。

自衛隊という国を守るための大組織が、憲法に規定されていないということは、大変おかしなことである。

是非とも、自衛隊を憲法の中にきちっと書くようにして欲しいものだ。


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2006年1月15日 (日)

A級戦犯=曲学阿世の元凶/所功氏

「皇位継承のあり方”女性・母系天皇”は可能か」(PHP新書382 所功)が緊急出版された。氏の40年来の”恩師”だという皇學館大学教授の田中卓氏の強い勧めによるものとある。

ぱらぱらとめくって、10分後、床にたたきつけていた。腸が煮えくり返るとはこのことだ。
小泉内閣に、女系容認の悪知恵を授けたのは、この男か、と写真をにらみつけてやった。

所功氏の専門は法学であり、これまで様々な日本の伝統に関する著書を著してきたことも承知している。

氏は明確に意識しているのだ。「男系」による継承が2千年来の皇位継承の原則であったことを。そしていわゆる女系の導入が、その伝統の大転換であることを。だから、「母系」などという新語を新たにまた提出したのである。

それにしても、この本は、悪質である。

「皇統」「皇室」の定義を根本から変えようというのだ。定義を変えれば何とか形を整えることができる、そういっているに過ぎない。つまり、内実は関係ないのだ。こういう誤魔化しをあからさまに主張して恬として恥じない人種をなんといえばいいのか。

私は、氏の何十分の一も勉強はしていないだろう。眼を通すべき文献にすべて眼を通しているわけでもないと思う。しかし、勉強とか何とかいう前に、愛子様がご生誕になられた際、ある人と議論になったとき、愛子様がご即位されたとする。その次はどうするのか。配偶者たる人物との間に生まれた御子が、皇位継承をしたとしたら、「男系」の立場からすればそれは別の家系に移ることになる。そうなったとき、素直に天皇として仰げるのか、内心に問うてそれは否だ。また、国民一般の常識からしても、受け止め方は二つに分裂することになるだろう。それは「君徳」以前の問題である。「血統」の維持の問題であるからだ。皇統が男系による継承で維持されてきた以上、女系はすでに皇統ではありえず、万世一系の天皇の歴史はそこで終わるのだ。それでいいという人間は最早共に論ずるに足らない。

もちろん、ではどうするのか、皇統が絶えるのを座視せよというのか、という反論が当然帰ってくるだろう。何の努力もなく、可能性を一つ一つ潰していくしか能のないものが、忠義顔して言うのだ。占領軍に強制的に臣籍降下をさせられた旧宮家の皇籍復帰はあり得ない、と。国民感情にそぐわない、血縁としても遠すぎる、というのだ。だから、何の関係もない一般国民の子を、天皇として仰げというのか。ふざけるな、といいたい。

伏見宮家が40親等はなれるという。結構ではないか。少なくとも確実に系統をたどることが出来、しかもその間現皇統との距離が遠くならないための縁組を何度かにわたってしているのだ。そもそも今のような皇統の危機に際して儲けられた制度であり、役割なのであるから、血縁の遠さはこの際問題ではない。

「有識者」の連中が、あたかも現皇室の意を受けているかのように臭わせ、反論を封じようとしている姿勢は、それこそ自分らが否定する天皇の政治利用そのものではないか。しかも「誤解」を誘っておきながら「誤解」した方が悪い、ということになるようなやり方であり、ペテン師か詐欺師か、というやり方でしかない。

所氏の基本姿勢がわかる部分がある。この本の21ページに

「いうまでもなく憲法は「国家存立の基本的条件を定めた根本法」であり、法治国民ならばそれを遵守しなければならない。その現行憲法に、天皇は日本国・国民統合の象徴と位置づけられ、皇位は皇室の子孫が「世襲」すべきものとされている。だから我々は、その主旨に適合する法律などを用意して「世襲」の保持に努力しなければならない。」

つまり、このGHQが作成した現行憲法を全面的に容認し、その立場(つまり占領軍の立場)に立って日本を改造しなければならない、といっているのだ。

ああ、伝統尊重の仮面をかぶった占領軍の手先だったのか、と慨嘆せざるを得ない。

現行憲法は、その成立事情からしても到底日本の「根本法」足り得ないものである。しかも、憲法改正論議が愈愈政治日程に上がろうとしている今日、60年前の亡霊の如くに「占領軍」の意思をもって日本の慣習法としての根本法である皇位継承法を覆そうというのだから恐れ入る。

天皇が「象徴」足り得るのは、憲法の条文によるのではない。憲法の条文は、現代における皇位の解釈に過ぎない。皇位を日本国及び日本国民の統合の象徴と解釈するのは、現代法としての枠組みに過ぎない、しかしそれは「なぜ」を説明しないのである。なぜ皇位が「日本国及び日本国民統合の象徴」足り得るのか。その説明には、125代2666年に渡る歴史・文化・伝統の理解が必要なことは言うまでもない。憲法に「天皇」が規定されている以上、憲法はこの2666年の歴史・伝統・文化を踏まえたものであることは当然のことである。そして、「世襲」という言葉が、当然、皇統の歴史・伝統における継承法を踏まえた文言であると解釈するのが正統な解釈である。

占領軍の強圧の下につくられた憲法であっても、日本国の連続性を担保したものとしようとした先人の苦悩がそこにあるのであって、憲法の解釈には先人苦悩の跡を明瞭に汲み取っていくことが重要である。

かつまた、現在の憲法改正論議も、現在の状況の中で必要な変更ということも当然であるが、それ以上に、日本国本来の姿はどのようなものであるのか、という根底的な議論なくしてはあり得ないものである。国家契約説一辺倒の改正ならしないほうがましともいえる。

複雑な議論は必要ない。「女系」は天皇ではない。もし、そのような改変がなされるならば、私は、その「女系」が皇位を僭称することに対し、一生をかけて断固反対と糾弾の声を上げ続ける。

この議論は、女性の皇族が果たしておられる役割の大切さを否定しているのではない。そういう議論の混同を狙っての議論のすり替えを行うことは許されない。

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2006年1月12日 (木)

必読!「天皇様、その血の重みーなぜ私は女系天皇に反対なのかー」(文藝春秋2月号)

 髭の宮様として国民にも親しみのある三笠宮寛仁(ともひと)親王殿下が、皇室典範改正問題を巡って、初めて公の雑誌にご意見を述べられた。前に、福祉法人の機関誌で述べられたご意見は、私的な場なので内々に、という形で公表されたものであり、なるべく控えめに皇族の意見を世間にもれ伝わるように、というご配慮があられたように拝されるが、今回の文藝春秋でのご発表は、最早、そのような控えめな形では到底伝えることが出来ないという、危機感に立たれてのことと拝された。

 内容は多岐にわたるが、そのすべては、皇室の伝統の中核である皇位継承について、そのプリンシプル(原則)を守ることへの強い意志が漲っている。

 ここでは、皇室の伝統について、皇族の日常について、語られている。そして、「女系天皇容認、長子優先」を打ち出した「有識者会議」の報告書の問題点について、櫻井よしこ氏が、寛仁親王殿下からざっくばらんに引き出している。

 最初の話題は明治天皇についてと、昭和天皇のエピソード。
 昭和天皇の公平無私のお人柄、そして人間というものについて透徹してご存知でいらっしゃったこと。専門分野を超越してすべてをわかってしまわれておられ、誤魔化しの通じないお方であられたことなど。

 そして、皇族の役割がどのようなところにあるのか、について。

 福祉に携わられる伝統の一環として、ハンセン氏病への取り組みについてなど。皇族は「ニッチ」産業だ、とくだけていわれる。政治が手の届かないところ、気のつかないところにも、国民のために手を差し伸べる役割を務めてこられていること。

 皇族であるということが重荷であるかどうかという、突っ込んだ話もされています。

 学習院初等科の時代に、クラスメイトから「お前たちは俺たちの税金で食わせてやってるんだ」などといわれたことなどを紹介されています。

 皇族には、医療保険がない、ということ。病気になられた時は自腹を切るしかないとのこと。

 宮内庁病院は、皇族のための病院ではなく、基本的に宮内庁職員のために作った共済病院のようなものであること。皇族病棟はあるが、両陛下を想定したものであること。

 皇族の歳費は3千万程度であること。「侍女」と呼ぶ若い女性などの人件費だけで歳費の半分は飛んでしまうこと。講演料や印税がなければギリギリの生活になるだろうとのこと。

 決して多くない歳費に対して、国民からの公務や暮らしぶりについての期待は大きいこと。

 こうしたことを踏まえて、皇族という存在を突き詰めて考えたとき、「存在していることが大切」と述べられている。

「血統を守るための血のスペア」として存在価値があるのだと述べておられる。

これについて、櫻井氏が「日本文明の核」と表現し、次のように述べる。「日本は半ば神話の時代から今日まで、神武天皇の血を引く天皇を戴いてきた、万世一系、つまり男系の血筋を重んじてずっと継承してきた。その事実自体が日本民族の生成の物語なのです。その物語は、大切なものとして受けとめなければならない。」

 アメリカ人のエピソードとして、殿下の友人マイヤースさんのことを語られた。日本に来て商売を始めた人だが、派閥政治など根回しの文化や、大臣がコロコロ代わって誰と約束していいのか皆目わからなかった。そのとき、「天皇を担保と考えた」と言う。「天皇を担保と考えると、日本は絶対に変わらないのだから、自分は商売を続けられると考えた」という。振り子の原点、と殿下は語る。

 「二千六百六十五年間も続いてきた世界でも類を見ない、まことに稀有な伝統と歴史を、一年、わずか十七回、三十数時間の会議で大改革してしまうということが、果たして認められるのでしょうか。あまりに拙速にすぎませんか、ということは強く申し上げたい。」と述べられる。

 また憲法第一条に象徴と書かれてあるが、「国民にじっくり考えてもらわなくてはなりませんが、考えるだけの情報があるのかというと、必ずしもそうではない。百二十五代の天子様のうち、何方をご存知でしょうか」と、指摘されている。

 女系容認について、それは「皇室の伝統を破壊するような女系天皇」という厳しい表現をなされておられる。
 「皇室の伝統を破壊するような女系天皇という結論をひねり出さなくても、皇統を絶やさない方法はあると思うのです。たとえば、継体天皇、後花園天皇、それから光格天皇のお三方は、それぞれ十親等、八親等、七親等という、もはや親戚とは言えないような遠い傍系から天皇となられています。光格天皇の場合は、前の天皇の内親王さまのところに婿入りされて、内親王様は皇后になられている。そんなに古い時代のことではありません。光格天皇という方は孝明天皇のお祖父様ですから、明治天皇から見ると曽祖父様で、我々からもすごく近いところにいらっしゃる方です。
 また、宇多天皇という方は一度、臣籍降下なさって、臣下でいらっしゃった間にお子様も儲けられているのに、その後、皇室に適格者がいなくなったのか、皇族に復帰されて、皇太子になられ、天皇に即位されています。お子様も一緒に皇族になられて、その後、醍醐天皇になられています。
こういった事実はいくつもあり、選択肢もたくさんあることをメディアはもっと発表すべきです。そうすることで国民が事実をよく理解し、選択肢の中のどれかをやってみて、それでもどうしようもなくなった時、初めて女性、女系の議論に入るという方法もあるではないですか。「有識者会議」では、そういった議論をしていなかったように思います。」

 ちなみに、有識者会議は歴史や伝統は無視するということを方針としていた。座長の吉川弘之元東大総長は「歴史観や国家観で案を作ったのではない」と公言している、という。
 また、櫻井氏は、「報告書の中で非常に面白いのは、今、皇族のうち男系男子が五人いらっしゃるとして、出生率が1.29である、男女半々で生まれるとすると子の世代には男系男子は3.32人、孫の世代には2.08人、曾孫の世代では1.34人と急速な減少が見込まれる、などと、すべて計算で理屈付けを行っているのです。吉川座長はロボット工学の権威で、まさにその発想を天皇家の問題にも適用しているのですが、人間も歴史も、ロボットのように計算どおりにはいきません。」と指摘し、

 「歴史観や国家観がないだけでなく、倣岸不遜でもあります。殿下が「ざ・とど」に書かれたエッセイについて新聞記者から質問を受けた吉川座長は、「どうということはない」と答えています。この無礼さは何なのでしょう。」と、批判する。

 そして、櫻井氏の次の指摘は、この問題に真向かう国民の姿勢について、極めて大きな示唆に富んでいるといえよう。

「過去の日本においては、男系のお世継ぎが眼の前にいない時、先人たちは大変な苦労と工夫をして、女系をとらずに男系の継承をつないできました。殿下がおっしゃったように、十親等も離れていれば、赤の他人かもしれませんが、あえてそれでいい、それでも男系を守ることが大事なんだと考えた。その祖先の心というものを大切にしなくてはいけないと思います。」

 続く

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「女性の方」に誤解して欲しくないこと。〜「女系」容認は女性尊重と何の関係もなく、「男系継承」は女性蔑視と何の関係もないということ。〜

1、「女系」天皇の反対は、女性蔑視でも女性軽視でもないこと。女性が仕事を持つことへの反対でもなければ、女性が管理職になること、もっと言えば女性が首相になることへの反対でもありません。

2、「女系」と「長子優先」がセットになると、一切の原則が無くなります。「男系」はもちろん、「女系」でも皇統をたどることは不可能になり、皇統の内実は失われることになります。反天皇制論者ならいざ知らず、皇室を大切に思う大多数の国民にとって、それは耐え難いことです。

3、古事記・日本書紀の記述によれば、皇統の原点は「天照大御神」という女神に到ります。「太古女性は太陽だった」という有名な言葉の背景に「天照大御神」という太陽の女神があったと思われます。「男系」の皇統をたどれば、天照大御神に行き着くことを考えれば「男系継承」は女性蔑視と何の関係もないことがわかります。むしろ天照大御神を始祖と仰ぐ皇室を尊重することは女性尊重の原点ともいえます。

4、8人10代の女帝(推古、皇極/斉明、持統、元明、元正、孝謙/称徳、明正、後桜町)の歴史をつぶさに省みたとき、多くの女帝の方々が如何に男系継承のために尽くされたかが解ります。

 ここでは直近の後桜町天皇の御事跡をみてみます。
 先帝であられる桃園天皇が22歳の若さで崩御され2皇子は未だに5歳と3歳に過ぎず、先々代の桜町天皇の皇女で21歳になられていた智子内親王が、中継ぎ役として即位されました。これが第117代後桜町天皇です。
 女帝は在位7年の後、明和5年に11歳になられた英仁親王を皇太子に立て、2年後の明和7年に女帝31歳の時に譲位あらせられました。ところが在位9年目にして、後桃園天皇が22歳の若さで崩御されてしまい、生まれたばかりの欣子内親王殿下しかおられず、通常の形での継嗣は不可能になりました。
 天皇崩御の前々日、後桜町上皇は閑院宮家の9歳になれたばかりの祐宮様を「ご養子」(猶子)にする勅許を得、また欣子内親王を入内立后するようにされたのでした。更に、74歳で崩御されるまで、光格天皇の君徳養成の為に一方ならぬご配慮をなされたのでした。「日本史上最後の女帝は、譲位の後にも皇位継承の危機を救い、また朝権再興の中核となる光格天皇を育てあげた、まさに”国母”のような存在であったといえよう」(「皇位継承」文春新書)と評されるとおりのお方であられたと存じます。
 光格天皇からは今上天皇まで(光格、仁孝、孝明、明治、大正、昭和、今上)父子相承にて皇位継承はなされてきております。
 後桜町天皇の御事跡を省みるだけでも、皇位継承のことを軽々しく改変することなど、出来はしないことと、国民として気付かねばならないと思います。

5、何よりも、皇室の伝統のことについて何も知らない人たちが、国民の知らないところで、国民の叡智の結集もせず、当事者であられる皇室の方々のお声も無視して、2千有余年の伝統を勝手に変えようとする姿勢は、ニヒリストかヴァンダリストかと思います。世界中の物笑いの種になり、日本人の国際的な信頼は一気に底を突くことになるでしょう。下品な日本人ではなく日本人は下品だ、ということになり、日本人はものの価値もわからない最低の民族だ、ということになりましょう。

6、正統性の修復不可能の分裂が起こります。「女系」天皇は「男系」で見れば全く別の家系であり、すでに「皇統」ではありません。片や、「男系」の皇統に属する方がおわすわけですから、「天皇」位の権威は著しく低下することになります。そして、「女系」でも正統というグループと、「男系」でなければ「天皇」とは認められない、というグループに国論は二分し、収拾のつけようのない事態に陥ります。日本中を戦乱に陥れた「南北朝」の再現さえありうると言えるでしょう。国民統合の象徴としての「天皇」はなくなり、国柄は根底から崩壊させられることになるでしょう。革命派、共和制派などの暗躍もなされ、混乱の収拾には膨大な犠牲を覚悟しなければなりません。「女系」容認がどれほどのリスクを持つか、少し想像力を働かせれば誰にでもわかることだと思います。

以上、思いつくところで書きましたが、反天皇主義者はいざ知らず、ふつうの常識を持った女性の方々で、もしか気付かない方がいれば残念なことと思い書きました。

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2006年1月11日 (水)

「長子優先」説に隠された罠 〜もし皇室典範がこのまま改正されれば、愛子様に施される「帝王学」は「ジェンダーフリー教育」になる!〜(皇室典範に関する有識者会議報告書 批判 その3)

「有識者」会議の面々が、如何にして「愛子様」を「皇位」につけるか、頭を悩ました点が、「男子優先」か「長子優先」かについての理屈付けであった。言うまでもなく「長子優先」と決まれば、自動的に「愛子様」は皇位継承順位2位となり、次に「皇長男子」が生まれても、継承順位は変わらず、この時点で近代皇室史上初の「女帝」誕生は確定することになる。

 もちろん、そこに留まらず、この”原則”は「女系」を確実にする「皇統断絶」の謀略でもあるのだが、その点はひとまず措いておくとしよう。

 悪知恵に長けた「有識者」らは、このために考えた。理屈付けに何が有効であろうか。そして一つの罠をしかけたのである。それが「ご養育の方針が早い段階で定まる」という理屈だ。これが”「帝王学」は早ければ早いほどよい”と俗受けを狙ったキワモノの論理であることは、すでに文藝春秋2月号の「天皇さま、その血の重み」の中で明快に否定されている。念のため、該当部分を引用しておく。

「(櫻井)ところで、拙速であっても、今、女系天皇容認という結論を急いで出さなくてはならないという根拠の一つとして、天皇になる方の帝王学は三歳くらいから始めなくてはならないと言う人もいます。」

「(寛仁親王)それもナンセンスです。たとえば先帝様(昭和天皇のこと/引用者註)のように、幼い頃からご学友が決められ、東宮御所に御学問所が建てられるといった時代には、帝王学というものがあったかもしれません。とくに先帝様の場合、東郷平八郎を総裁として、杉浦重剛が倫理学をご進講されるとか、錚々錚たる方たちが教育にあたられたわけですから、それは帝王学と言っていい。しかし、今の皇太子様からは、まったく私と変わらない教育を受けてこられたわけです。学習院で一般の生徒に交じり、一般の生徒と同じ授業を受けられてきたのですから。したがって、お父様やお母様の背中を見て、あるいはお祖父様やお祖母様の背中を見ながらお育ちになることが、結果として帝王学になるということであり、それならば、とくに焦る必要はないと思いますが・・・。」

 これでも「有識者」会議の報告書をベースに法案作成を急いでいる内閣府官僚は「長子優先」を主張するつもりだろうか。寛仁親王殿下が述べられていることは「事実」であり、特に際立った政治的主張ではない。しかし、事実に基づいた明快なご判断であり、国民の多くも十分に納得の行く話ではないか。もちろん、現状の「一般の生徒と同じ授業」のみで良いかどうかは疑問ではあるが、皇族としての心得そのものが当然に「帝王学」に繋がっていくものであるとは、当然に思量されることである。

 有識者らは、「ご養育の方針」というオブラートに包んだ言い方を用いることによって、反対するであろう保守派に対して、「帝王学」は早いほうが良い、という錯覚を起こさせ、更に言えば、所謂「三歳児神話」説(註)に否定的なふつうの国民の心理の間隙を突いて、「ご養育の方針」は早い方がよい、と同調を誘おうとしたものと考えられる。

 しかし、考えてみれば、この「報告書」のベースは内閣府の官僚が作文していることは間違いなく、男女共同参画の牙城である内閣府の官僚たちが「三歳児神話」説を知らないわけはなく、明確な誘導の意図を持って国民を欺瞞しようとしたと容易に想像がつく。

 これは、相当に念の入った悪意である。

 更に、ここからは憶測になるが、「ご養育の方針」が決められるとして、所謂「帝王学」について、「女性天皇」たるための「帝王学」として、新たに「ジェンダー学」が必要であり、「ジェンダーフリー教育」がなされなければならない、という屁理屈がつけられたとしたらどうなるであろうか。
 考えたくもないことではあるが、「愛子様」に対して「ジェンダーフリー」思想による「洗脳」が行われる可能性が高まるのである。あまりにも当然のことながら、「女性天皇のための特別な帝王学」などと言う触れ込みで、「ジェンダー学」の専門家と称するフェミニストの毒手が宮中を跋扈することになる。
 そんなおぞましいことまでなりかねない。もちろんフェミニスト官僚たちはすでにそこまで想定して着々と謀略を練っているに違いない。

(註:「三歳児神話」/三つ子の魂百まで、ということわざに現れているように乳幼児期から数え年三歳位までは母親が子供を見るべきだという伝統的な子育ての考え方を、厚生省が白書で「科学的根拠がない」として否定したことをさす)

以下参考「有識者会議報告書」該当部分

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2006年1月10日 (火)

<女系>と<女性>の違いが判れば・・・

成城大学の専任講師で「天皇家の財布」の著者でもある森暢平氏が、月刊現代2月号に「皇統維持どころか天皇制の危機を招く「皇室典範改正」最大のパラドックス」という一文を書いている。

この一文の興味深い点は、大学の授業で学生相手に「女系」天皇について、学生がどれだけ理解しているかを実際に試した点である。

「40分間、新聞熟読のあと、「<女性天皇>と<女系天皇>の区別がわからない人は」と挙手を求めたところ、約4割が手を挙げた。記事を読んだ後でも、愛子内親王が即位できるかどうか、と問題を矮小化して理解する学生がクスなくなかった。」

と報告している。「女性天皇」と「女系天皇」が全く異質であるということに、少なくとも意識的に考えることを求められた学生でさえ4割も理解できていないということは大きな問題であると思われる。

森氏が「皇室典範改正論のポイントは、<女性天皇>ではなく、<女系天皇>の是非である。大学生ならずとも、この点を理解できないと、事の本質はわからない」と指摘しているが、まさにその通りであろう。

そして、授業の中では、メディアリテラシー論的に、様々な情報を与えて学生の反応を追っていた。その詳細は記事を見て頂きたいと思うが、結論として、次の点は重要だと思われる。

「授業での反応を見た限り、<女系天皇>と<女性天皇>の違いを深く理解すればするほど、女系反対が多くなる。逆に、あまり興味がなく問題点の意味を深く考えない学生は、「別に女系天皇でもいいじゃない」という答えが多かった。」

また、世論調査の分析でも「やはり、<女系>と<女性>の違いが理解されれば、<女系>への否定的な考えが強くなる傾向にある。」としている。

森氏の立場は明確ではないが、この調査と分析は参考にすることができる。

私も身の回りに居る人に、「女性天皇」と「”女系”天皇」の違いについて尋ねると、大多数の人が判らない、と答える。5分で澄むので、と説明をすると、なるほど、そうだったのか、確かに問題あるね、とパッと認識が変わる。

とにかく、この重大問題に対して無関心で居られるやつは信用しない、と心定めて、積極的に議論を吹っかけていくのだ。大多数の人は、皇室は大切だ、と思っている。しかし、深い知識を持っているわけではない。そこで、愛子様でもいいじゃないか、という感情論に流されやすいのだ。

押えるべき点は最低以下の3点です。

1、10代8方の歴史上に存在した女帝は、すべて男系女子であったこと。また、中継ぎ的な役割であり、男系男子の皇統を維持してきたこと。
2、何度かの皇統の危機の際にも必ず傍系から男系の血を入れて一系を維持したこと。
3、女系は、王朝交替とみなされ、2000年の伝統の廃絶を意味すること。

この3つを適確に説明できれば、女系が問題であることは判る。決して難しい話ではなく、ちょっと考えれば誰にでも判ることに過ぎないが、皇室の役割についてあまり知らず知らないがゆえに関心も薄い中にあっては、下手をすると「どうでもいいこと」と思われてしまうかもしれない、というのが話している中での危惧であり、やはり皇室がどれほど大切なものであるのかを、改めて訴えていくしかない、ということになる。

いずれにしても、「女系」と「女性」の違いを明確に理解することは、国民の、あるいは、選良であるべきところの国会議員が、理解しておかなければならないポイントであることは間違いない。

櫻井氏が文藝春秋2月号で指摘しているように「女系天皇を認め、長子を優先するという報告書の方針は、GHQでさえ手を付けなかった皇室のお血筋、本質論に手を突っ込むことを意味します。もし、報告書の通りにことが進めば、殿下のご心配のように、日本の皇室は消滅してしまううかもしれません。その場合、日本はどうなるのか。日本民族を日本民族たらしめてきた精神文明の核とも言える皇室がなくなれば、私たちは無国籍の民のような、どこの誰ともわからない民族になりかねない。」のである。

これほどの重大問題に、無知無関心で居ることは、許されないのではないか。

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いざ子ども 馬に鞍置け 九重の 御階の桜 散らぬその間に(平野国臣)

文藝春秋2月号に、三笠宮寛仁親王殿下へのインタビュー記事「独占会見 天皇さま その血の重み―なぜ私は女系天皇に反対なのか」聞き手、櫻井よし子、が掲載されました。

早速購入して拝読させて頂きました。議論は皇族の役割、現実になさっておられるお仕事、余りにも少ない歳費のこと、皇室存在の意味、皇統をつないできた歴史、と多岐に渡っています。もちろん話題の中心は、「女系」問題で、「女系天皇は日本国の終わりの始まり」という見出しにもあるように、強烈な危機感が伝わって参ります。

問題の多い有識者会議について、櫻井氏が「日本に軸足を置いた方というのがどれくらいいらしたかははなはだ疑問です」と述べられているのを受けて、殿下が次のように述べられています。

「会議の構成について私が口を挟むわけにはいきませんが、二千六百六十五年間も続いてきた世界でも類を見ない、まことに稀有な伝統と歴史を、一年、わずか十七回、三十数時間の会議で大改革してしまうということが果たしてみとめられるのでしょうか、あまりに拙速にすぎまんせんか、ということは強く申し上げたい。」

横道にそれますが、「拙速」ということについては、月刊現代1月号において「「天皇と民主主義」という対談で、保阪正康氏が繰り返し述べています。この対談自体は、相手の原武史氏が「私は別に天皇制の護持論者ではありません」と述べているように、如何にして皇室をお守りするか、という問題意識を持たない冷笑的なものであって、違和感と憤りを誘われたものでしたが、保阪氏が「皇室問題はそんな短兵急な問題ではない」と述べているように、「拙速」という点についての認識は一致しています。

ここで二つのことが確認できるわけです。

第一に、有識者会議は人選から始まってその議論の内容に到るまで、極めて不適切かつ不十分であったという点。
第二に、あまりにも拙速すぎるという点。

拙速ということでは、昨年11月24日に「報告書」が提出された一週間後の12月1日には内閣官房準備室が設置され、今年の通常国会に改正案を提出する予定で作業が進められているという点です。何でこんなに急ぐのか。全く理由が示されないまま、内閣府が暴走を続けているわけです。

1月5日の朝日新聞は次のように報じました。

「政府が今月から始まる通常国会に提出する皇室典範改正案の概要が明らかになった。小泉首相の私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」がまとめた報告書を踏襲し、「女性・女系天皇」を認め、天皇直系の「第1子優先」で皇位を継承する。複数の政府関係者によると、改正案には、成立後、直ちに皇室に適用するとの規定が盛り込まれる。現状では敬宮愛子さまが父親の皇太子さまに次いで皇位継承順位2位になる。

 政府は改正案を3月中旬にも国会に提出する。これまで男系男子に限定してきた皇位継承資格を、「女性天皇」や、その血筋を引いた「女系天皇」にも拡大。天皇直系で、最初に生まれた「第1子」を優先する。女性天皇は歴代8人存在するが、女系天皇は過去に例がない。

 「皇籍離脱制度」を改め、女性皇族は結婚後も皇室にとどまる。皇族以外の男性も女性皇族との結婚で皇族入りする。「皇后」「皇太子妃」に相当する男性皇族の呼称を新たに定める。政府は「皇配(こうはい)」「皇婿(こうせい)」など複数の案を検討している。

 このほか、皇室に対する政府の経費負担について、原則として女性皇族は男性の半額と定めた皇室経済法を改正、男女同額に改める。 」

事は憲法改正、いやそれ以上の重大な問題であるにも拘らず、これほどのスピードで「法案化」が進められている点それ自体に著しい違和感を感じざるを得ません。

冒頭に掲げた歌は、幕末の志士、平野国臣が詠んだ歌です。ざっくばらんに意訳をすれば以下の通りです。

「馬の準備をせよ!天子様の一大事だ!間に合うように急げ!」

まさにこの通り。通常国会は2月には開会されます。すぐにも上程される可能性があります。

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2006年1月 9日 (月)

あらためて益なき事は、あらためぬをよしとするなり

あらためて益なき事は、あらためぬをよしとするなり

徒然草の第百二十七段は、この一文だけが記されている。

文章は、必ずしも長ければよいというものではない。徒然草も、短い一文だけの段に印象深い言葉が多い。

小泉内閣が強行しようとしている、「皇室典範」の”改正”は、改めて益なき事であり、あらためぬをよしとするほかはない。アメリカの大統領選挙のやり方も、国を二つに割って大変なエネルギーを費やし多大な弊害もあるが、みだりに改めないのは、国家の中心に関わる問題は軽々に手をつけると「パンドラの箱」を開けたような恐るべきことになりかねないということを、ギリシャ・ローマ以来の政治学の伝統の叡智の上に、感じ取っているからに違いない。

昨年の暮れから、大正時代について勉強してみようと思い、手ごろなテキストになるものを考えて手に取った本として児島襄氏の「平和の失速〜大正時代とシベリア出兵〜」(全8巻)があり、現在3巻まで読了し、4巻目を読んでいるところだが、第一次世界大戦が長引く中、ロシアに二月革命が勃発したところまで読んできた。革命派のボルシェビキは、ロマノフ帝政を打倒したが、当事者たちにとっても思いがけない政体の転覆だった。ロシアの専制君主体制は、それ自体として批判の俎上に上げられることは当然のことだったかもしれないが、その後のレーニンからスターリンに到る粛清の嵐や革命と戦争の輸出による悲惨を考えれば、帝政ロシアの方が遥かにましではなかっただろうか。

もちろん、日本の天皇は、ロマノフ王朝とは違う。また、現存するイギリス、オランダ、スウェーデン、スペインなどの王政の国々とも違う。明治維新から近代国家の建設は、天皇の存在なくしては考えられない。また、敗戦から戦後復興の歩みの中で、天皇が如何に国家の安定軸となったか、計り知れないものがある。

歴史の長さでも、少なくとも1500年以上の歴史を持ち、その源は遠く神話の時代に霞むほど古い。文句なく世界最古の王朝であることは間違いない。長い歴史と伝統の中で、国家の安泰と国民の繁栄を祈ってきたことでも一貫している。政治的中枢であるばかりでなく、文化的な中枢でもあり続けてこられたのが日本の皇室である。

一時代の風潮や、気まぐれな世論が、手を触れてよいものではない。もし検討を要するのだとすれば、まさに国民の叡智を結集して、慎重に取り扱わなければならないだろう。

今国会に改正案を上程するなどというのは、拙速というよりも国民が知らない間にやってしまおうという悪意さえ垣間見えるものだ。

恐るべきことに、共産、社民党は、「天皇制」の廃絶に繋がるこの改正を、今か遅しと待ち焦がれている。旧社会党系の議員も多い民主党も容認する構えだ。公明党は明確な推進派である。つまり、自民党がこの改正案を国家にに提出することを了承してしまえば、事は終わってしまうのである。それほどに事態は切迫している。

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2006年1月 7日 (土)

「こころ」「ことば」「こと」

昨年、このブログを立ち上げてから折々に拙い雑文を書いてきました。
雑文はいくら書いても雑文の域を出ません。スケッチ的な思いつきばかりで、中途半端なものばかりですが、その時々の思いつきも、何かの種として保存することは、必ずしも無意味なことばかりではないと思い、続けていきたいと思います。

なるべく触れずにおきたいと思っていた時事的な問題への感想や意見なども継続して書いてみたいと思います。

「徒然草」百五十七段には次のように書かれています。

筆を執れば物書かれ、楽器を取れば音をたてんと思ふ。盃を取れば酒を思ひ、骰子(サイ)を取れば攤(だ)うたん事を思ふ。心は必ず事に触れて来る。かりにも不善の戯れをなすべからず

この「心は必ず事に触れて来る」の一言は、実に含蓄のある言葉だと思います。心は形がありませんが、事に触れて形を現す、ということですが、その触れる事により、心もまた影響を受けるということです。

心と言葉と事の関係は、「こころ」「ことば」「こと」という音にもあるように深い結びつきがありますが、兼好法師はここで「心」と「事」の関係について述べているわけです。

人は自分が生きている時代から自由ではない。日々生まれてくる「事」が、自らの「心」に影響を与え、「言葉」によって表されていく。そしてまた「言葉」が「心」に影響を与えて、次なる「事」が生まれてくる。人が人として生きている限り、その時代を無視して生きることが出来ないことはあまりにも明白な事実であるにも関わらず、なかなかそれに気付こうとしないものなのでしょう。

しかしまた、人は「言葉」によって、時代の制約を超えて、「現在」を見ることも可能になります。日々生じる「事」を、「言葉」によって把握するとき、その「言葉」は、時代を写すとともに、時代を超えたものでもあるからです。時代を超えて、先人の言葉に触れ、それにより現代を見ることが出来る。人の「心」は常に全歴史を抱くことが可能なのだと思われます。

いわゆる「反時代的考察」などというものも、この「言葉」の本質的な働きなくしては不可能なのでしょう。

今年も、「こころ」「ことば」「こと」の3つをキーワードとして、手探りを続けて参りたいと存じます。

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雑感

寒い一日。足が冷たい。

東京では、地下鉄の駅に警官が2名立っているのを見た、ヘリコプターが編隊を組んで飛んでいるのを見た、何か物騒な感じがする、ときいた。

一年の初め。この一年の課題を考える。

昨日は、林道義氏の「家族を蔑む人々〜フェミニズムへの理論的批判〜」を購入し、今日は渡辺みどり氏の「天皇家の姫君たち〜明治から平成・女性皇族の素顔〜」を購入した。手元に置いてある本としては、「語られなかった皇族たちの真実〜若き末裔が初めて明かす「皇室が2000年続いた理由」〜」(竹田恒泰氏著)、「與謝野晶子に学ぶ〜幸福になる女性とジェンダーの拒絶」(中川八洋氏著)、「日本の君主制」(葦津珍彦氏著)、「森先生 修身教授録1」(斯道会編)がある。

月刊誌では、VOICE1月号に「皇室典範の改悪を許すな〜二千年の伝統を一年の議論で覆せると思う無知蒙昧」という百地章氏(日本大学教授)と渡部昇一氏(上智大学名誉教授・「皇室典範を考える会」代表)の対談が掲載されていた。月刊現代には、「皇室はどこへ行くのか/天皇と民主主義」という保阪正康氏(ノンフィクション作家)と原武史氏(明治学院大学教授)の対談が掲載されている。月刊正論には、「平成の和気清麻呂、出でよ!〜世界に誇る皇室の伝統を無視する「女系」容認に意義あり〜」という記事が掲載されている。内容は昨年11月30日に開催された「皇室典範を考える集い〜「有識者会議」の見識を問う〜」での発言記録である。

新聞記事の切り抜きなどは枚挙に暇がないのでやめるが、皇室典範問題、憲法改正問題などが主である。

様々な問題が山のように情報として伝わってくるが、そのいずれもが日本という国のあり方を決定する大きなものばかりだ。

国民の一人として、身近な問題とは別に、これらの大局的な問題についての関心を持ち、自分としての思いを持つことは大切なことだと思われる。

「国民主権」が憲法の原則だといわれるが、その実質が選挙権の行使にのみあるのだとすれば、すでに多くの国民は、「国民主権」を放棄していると言ってもいい位の投票率ではある。しかし、ともかくも、昨年秋の衆議院選挙で示された勢力区分は、選挙制度の問題はあるとしても、一つの動かしがたい結果ではあった。

これについて、年末に読んだ「保守主義の哲学」(中川八洋氏)を念頭に置いて考える。
問題は、議会の絶対多数を獲得した政党は何をやってもいいのか、という問題である。このような発想は、「専制」に近く、こうした議会の暴走は、「専制君主」よりも遥かに凌駕する損害を、国家・社会にもたらす「民主専制」という事態をもたらす、というのがアメリカを建国した保守政治家A・ハミルトンの確信だったという。アメリカ憲法には「国民主権」の規定がないというのである。そして、議会に対する警戒を制度化したものとして、「違憲立法審査権」が実質的に機能しているのだという。この根底にあるのは、イギリス伝統の「法の支配」の原則であり、アメリカはその良き継承者だというのだ。

一方、ルソーを源泉とするフランス革命のイデオロギーは、まさに「民主専制」であり、その巨大な損害は、フランス革命の200万人の犠牲者を皮切りに、ロシア革命、中国革命を始めとする革命の犠牲者の数を数えれば十分だろう。アメリカの成り立ちがフランス革命の思想と一線を画している、という認識は新鮮なものだった。

絶対多数を獲得した自民党が、やっていいこととやってはいけないことの区別をきちっとつけて安定した政権運営をしてもらえるなら、国家にとってよいといえる。しかし、「皇室典範」問題に見られるように、やってはいけないことに手をつけようとしていることは、極めて危険だ。

日本国憲法の性格は複雑で、フランス革命以来の革命思想もあれば、大日本帝国憲法を継承する日本国体を保持している面もある。また占領基本法的な性格が、前文と九条に集約されている。厳格に守ることが不可能なほど原理主義に構築されている。厳格に守ろうとすれば、実質としての国家・国民に深刻な問題が生じる。戦後60年は、この憲法の近代原理主義的な運用を抑え、「法の支配」の原理に近い伝統と慣習を軸とした運用と解釈によって乗り切ってきたのではないかと思われる。しかし、憲法を原理的に厳格に解釈することに何らの躊躇もない人たちが、運用をはじめたらどうなるか。

「合理主義的設計主義」の観念論が、今ある伝統の社会や人間の心性に対してもたらす破壊の意味をどう考えるか。

2000年の伝統をも、一朝にして否定してしまおうという姿勢は、傲慢以外の何ものでもない。「法の支配」は「死者の民主主義」ともいえるかもしれない。この国を守り伝えてきた先人たちのことを無視してはならない。いまの人間が一時の用を足すためにつくった法律を優先させることは、極めて危険な社会実験である。革命国家はそれをしてどれほどの災厄をこうむったか。

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2006年1月 5日 (木)

「忠」を心に

あけましておめでとうございます。
本年も宜しくお願い申し上げます。

今年、久しぶりに、新年の一般参賀に行って参りました。午前中の10時10分の第一回目は二重橋の皇居正門入口の所でしたが、11時の二回目には正面までいくことができました。「天皇陛下万歳」と久しぶりに叫ぶことが出来ました。清清しい新年を迎えることが出来ました。

年賀状には、「元日や 一系の天子 富士の山」という根岸系の歌人でもある内藤鳴雪の句を書きました。この歌は、占領下に、墨塗られたものの一つです。

教科書に記載された「一系の天子」に墨を塗って60年が経つと、心の中に墨を塗られた知識人、官僚、政治家たちがよってたかって、「一系の天子」を断ち切る法改正を試みる時代になってしまうのですね。

福沢諭吉が「帝室論」で述べたように、万年の春の如き皇室を仰ぐ日本国民と生まれた喜びを新たにし、「皇室典範」の拙速な見直しに反対の声を上げていきたいと思います。

外国による未曾有の占領という、民族の屈辱の歴史を忘却したところにすべての問題があります。故江藤淳氏の著書のタイトル「忘れたことと忘れさせられたこと」をきっちりと思い出すことが必要です。「忘れたこと」とは、「忘れさせられたこと」のことです。「忘れさせられたこと」は、たくさんありますが、その最も重大なことの一つが、日本民族は、有史以来、天皇の「国安かれ民安かれ」という祈りに守られてきた尊い国柄を守ってきたということだと思います。

そして、外国に作られた「憲法」を押し戴いて、それを厳格に解釈し現実に適用しようとするわけです。占領下に絶対的武力の威圧の下に飲まされた「毒」である「日本国憲法」に対して、それでも当時の先人たちは血涙を流しつつギリギリの抵抗を行ったわけですが、そんな苦悩も、きれいさっぱり忘れてしまって、自分の頭で考えていると自分では思っているけれども、実は、そのように考えさせられているとは気付かないのですね。

山本七平氏は、戦後の日本人は、自分を説明することが出来なくなっている、と指摘しました。

日本人は、自分たちが誰であるのか、忘れようとしています。しかし、本当は、思い出そうと無意識に行動しているのではないかと思われます。初詣の参拝者は年々増えているといいます。お盆にお墓参りをする家族はまだまだ多いでしょう。

日本人にとっての「天皇」とは一体何か。それは理屈を超えた存在であり、いわば「親」のようなものなのだが・・・。「親」を理屈で理解するものは居ない。「天皇」も、理屈で「解る」ものではない。それは間接的に色々なことはいえるが、ではなぜそうなのか、といえば、それは「天皇」だから、としか言いようのない、実感があるのだ。まさに、日本人なら解る、のだが、とりあえず「外国人」にもわかるような「理屈」をつけることも、方便としては必要なのだが・・・。「伝統」の一言で済ませられるほど、健全な社会なら問題ないのだが、深く病んでいるいまの日本には、「理屈」という対症療法も必要なのかもしれない。

今年は、「一系の天子」さまを、素直に仰ぐ民草の心を、自分の内にもきちっと磨き直して、精一杯の忠義を尽くす一年としていきたいものと思います。

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