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2005年12月16日 (金)

皇室典範改正問題・・・意味不明の櫻田論文

今日(12/16)の産経新聞正論欄に、桜田淳氏が書いていた。

共感するところもあるが、いかがなものかと思われた。

「熱い議論に相応しからぬ皇位問題」という題にあるように、確かに、個々の国民が、軽々しく論うべき問題ではない。謙抑であることは美徳でもあるだろう。

しかし、氏は「有識者会議」答申を、「公論」に一応の形を付与したものと評価されるべきであろう、と評価する一方、噴出している批判的な議論に対して、「熱い議論」の対象とするに相応しいものであるか、と上記の視点を持ち出して批判するのである。

続いて氏が指摘しているように、「有識者会議」答申の意味は、「次の次の次」の皇位継承についてのことであり、今後数十年という年月を経て後のことである。であるから、「早晩、皇統が断絶するという議論」は「仰々しい」のだと批判するのである。

しかし、ちょっと待ってほしい。数十年もの後のことなのだ、というが、まさにその事を、今の時点で決めてしまおうというのが「有識者会議」の答申ではないのか。法改正が成立してしまえば、それが何十年後であろうが、その通りになるというのが成文法というものの性質ではないのか。一度確定した法は、それが如何に破壊的な極悪な法であってもそれを利用しようとする輩がいる限り、「合法的」に害悪を流し続けるかは、「男女共同参画社会基本法」にみるとおりである。

氏は、この文章を見る限り、特にこの問題に関する定見はないらしい。論じること自体が「畏れ多い」という。その感覚は大切であり、この感覚を感じることのないものには、まず論じる資格がないのだと思う。

その点において「有識者会議」答申に対して、批判を加えている論者の多くは、その感覚を桜田氏に勝るとも劣らず把持しているものと思われる。

氏は、「皇家の家法」であるところの皇室典範、という点を踏まえ、「民主主義の手続きから超然としたものであるべき」とする。まさに正論であり、明治憲法と旧皇室典範の関係はその通りになっていた。現在の皇室典範が、日本国憲法の法体系の従属下におかれたこと自体が、占領遺制以外の何者でもなく、「「国会の決議した法律」という現在の位置づけこそがきちんと検証されるべき事項」という指摘は、まさにその通りだと思う。

しかし、そのこと自体が果たして「有識者会議」答申の中で提示されているのか。むしろ、答申は、皇室の意思の反映ということについては、積極的に排除し、否定して出来たと言っても過言ではないものではないのか。吉川座長はそのことを明言したのではないか。

自説の最も核心たるべき点を、はじめから否定されて、一体何を論じているのか。

「皇室の有様について、「皇室は、かくあらねばならない」といった窮屈な議論の仕方を歓迎しない」などと言うが、誰も、「皇室の有様」について「皇室は、かくあらねばならない」などということを論じていないではないか。

第一代神武天皇が即位されてから今日まで2666年125代にわたる皇位継承の歴史を顧み、その中で、女帝は例外的な存在であったこと、女系に到っては一例もその例がないこと、という事実に、国民が気付かないうちに、たんなるムードで、そそくさと決めてしまおうとする、その姿勢自体に重大な疑義を投げかけているのである。

氏は皇室が「女系」を認めるならばそれもよい、としているが、結局は、「女系」容認論者であるに過ぎない。

史上、一度だけ、皇統以外の天皇が演出される危機があった。称徳女帝の御世、弓削道鏡がそれである。和気清麻呂公が、宇佐八幡の神託を伝え、皇族以外の臣下の者が皇位につくことはありえない、と伝えたことにより阻止される。その際、称徳女帝はお怒りになられて、和気公を配流にしてしまった。

和気清麻呂公は忠臣として後世に伝えられたが、時の帝の忌避に触れて罪まで得ているのである。

皇統は、男系男子が継承すること、史上8人10代の女帝については、先例と認めることは出来ないということ。最低この2つの要件が、皇統についての厳然たる「法」なのであり、世におもねり、皇室にその責任を転嫁し、隠微に責任を回避した物言いは、この人自身に、論じる資格も覚悟もないことを物語る以外ではない。

最後に、三島由紀夫氏の「英霊の声」に触れて「などてすめららぎは人となりたまひし」というリフレインの降りを取り上げて、「天皇は「ひと」であってはならない」と言外ににおわせた三島、という言い方をして、それを「硬直した姿勢」といって、「不適切」だと決め付ける。なるほど、櫻井氏には、全く「骨」がない。如何なる皇室の危機に際しても、「静かに淡々と。そうした姿勢で臨めば十分である。」としらっとした顔をしているのであろう。そんな人とは、「口もききたくない」と、在天の三島氏ならば言うであろう。

旧皇室典範を現行皇室典範の位置づけに変えられたことも、憲法をつくられたことも、人間宣言も、神道指令も、11宮家の臣籍降下も、すべて、未曾有の敗戦を喫した我が国が受けなければならなかった占領の汚辱以外のなにものでもない。

独立回復後の戦後の日本の歩みは、まずは物質的な復興、経済復興から始まらねばならなかったかもしれないが、国の根幹にかかわる部分を精神的にも制度的にも歪められた点について、復興することが、本筋の道ではないのか。その義務さえも放置したところに断じて道はない。

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