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2005年11月15日 (火)

映画化された「春の雪」を見ました。

映画化された「春の雪」を見ました。

映画を見ようと思って原作を引っ張り出して何気なく開いて拾い読みしたところが、蓼科が偽装自殺未遂する場面でした。あのおぞましい古証文のような約束のシーンが、映画では冒頭に描かれていました。

映画としては仕方ないのでしょうが、原作では後半まで隠されていた背景にあるエピソードが、最初からあかされてしまうというのはいかがなものかと思われました。

原作の冒頭で触れられたあの日露戦争の絵画は、やはり省略されていました。

それに替わって、二人の叔父の遺影が、日露戦争の影を浮かび上がらせる役割をしていましたが、それはそれなりに自然でもあるのですが、やはり神聖性としてはやや一段下ったように思われてなりません。

大正様式ともいえる和洋折衷の世界の猥雑な美しさとでも表現すべき中にあって、「雅」が己の本質を守るために、綾倉聡子になったのではないかとさえ思えました。

十分役にあった美しさだったと思います。

今、あらゆるタブーが打ち壊され、野蛮で即物的な恋愛しか存在せず、丈低い男女の野合しか存在しない現代という不毛の時代の、その魁の時代である大正。その中にあって、絶対のタブーを侵し、命を捨てるという行為は、血の匂いのする業火すれすれの文化の生命滾る営みであり、それこそが「雅」の姿なのだということをまざまざと示しているのではないかと思いました。

いつか、「春の雪」という名の楽曲が作られる日が来るような気がします。

古い没落した伝統の暗い淵の底からくる復讐の予感を基調低音とし、無垢の信頼から些細なずれを生じさせ、次第に大きくなる振幅、そして転換。「序、破、急」のリズムによる。

そしてこの「雅」の復讐という、「豊穣の海」の中での「序」といえる「春の雪」から、次の「奔馬」が映画化される時代もやってきて欲しいものと思います。残念ながら、今回の映画では、その導入になるエピソードは省かれてしまっていました。「春の雪」は「春の雪」だけで完結させ、「奔馬」という、現代ではまだまだ「危険」な作品への架け橋は慎重に取り除かれてしまっていました。これは、原作に対する剽窃であり、冒涜であるとも言えると思います。

「豊穣の海」はやはり四部作であり、それでなくては、輪廻転生のテーマも、単に来世で結ばれよう、幸せになろう、というような陳腐で中途半端なものに堕落せしめられてしまうでしょう。映画の最後の余計なナレーションは、まさに作品全体を陳腐化させる以外の何者でもありませんでした。

それでも、「春の雪」の映画化は、意義あるものと思われます。

映画化が可能なのは、「暁の寺」までで、おそらく「天人五衰」だけは、不可能ではないかと思われます。芸術としての言葉が最大に発揮され描き出された絶世の美女と信じる絶世の醜女を、映像ではどうにも描くことは出来ないと思われるからです。

最後の原稿を書き終えて後に、自ら割腹して命を絶ったことにより、この作品はこれからも蘇り続けることになると思われます。

僕も過去2回だけですが通読し、1回目よりも2回目により強い印象と感動を得ましたが、次に通読するときにはおそらくまた違った、より深い印象と感動を得ることが出来るという予感を持っています。

輪廻転生というテーマは、読者にとっても永遠に作品が甦り続けるという意味も込められているように思えて来ます。

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