「皇室典範に関する有識者会議」報告書・批判 その1
皇位の正統性は、第一義的に、神武天皇から皇統連綿と受け継がれたその事実にある。それは一点の疑いも入れることは出来ない。そして、それこそが最重要問題であり、全ての議論は、この皇位の正統性とその永続を如何に守るか、であって、それ以外ではない。
皇位を巡る様々な諸要素は、神話的要素ももちろんあり、封建的な世襲という中世武家などの家督相続的な要素も色濃くあるであろう。様々な要素の上に、国民の総意というようなものも、憲法にそうかかれているからというのではなく、昭和天皇が終戦のご聖断を下されたとき国民を信頼されたその一点に基づくものであり、これは一つ伝統の要素が新たに美しい形で歴史に出現したとはいえるものである。
さて、歴史上に存在した女性天皇、つまり女帝であるが、これも男系の女帝であって、それ以外の例が皆無なことは報告書も認めざるを得ない。であるから、皇統を”女系”に開くことが、「伝統」に反することも認めている。
ところが、有識者らは、ここで「伝統」という言葉を概念操作している。「伝統とは、必ずしも普遍のものではなく、各時代において選択されたものが伝統として残り、またそのような選択の積み重ねにより新たな伝統が生まれるという面がある」と述べているが、「伝統」に関する極めて薄っぺらで、弛緩した、怠惰な認識でしかない。
小林秀雄氏が、「伝統」という一文において、最も意識的に集中して見出さなければ「伝統」は存在しないに等しい、そして「慣習」はその逆で無意識の内に最もよく現れるものだと述べたことがある。イギリスの保守主義の理論から言っても、コモン・ローは、見出すものであり、得手勝手に作り出していいものではない。一言でいうなら、この「有識者」らの「伝統」観は、極めて貧弱であり、端的に間違っているということができる。日本の伝統の中核である、皇室の、更に重要事項である皇位継承に関する議論する基礎的な知識さえない、非「有識者」であることが、この一文からでも読み取ることが出来る。
「有識者」らは、報告書において、如何にして、これまでの”伝統”を否定し、男系継承を相対化し、断ち切るかに意を注いでいる。
「男系継承維持の条件」として続けて論じている記述は、言葉自体が極めて下品であり、その点だけでも許しがたいものがある。「血統に基づいて継承」などと、いう表現は、皇位継承を、犬の血統書と同次元で捕らえているとしかいえない許しがたい無礼である。
そして、歴代天皇の半数近くが非嫡出子である、と表現している。しかし、宮中における婚姻制度が現代と全く異なる近代以前の例において「嫡出」「非嫡出」という言葉は不適切であり、不確かでさえある。こうした、現代の観念的な用語でしか語ることの出来ない報告書は、それだけでもトータルファクトたる真実をつかみ出す能力の欠如をしめすものである。古代においては、兄弟間における継承が頻発した例もある。しかし、「伝統」とは、錯雑紛糾した歴史の事実の矛盾錯綜の中から、一筋の不易なる本質を見出す営為そのもののことであり、「有識者」らには、そのような片鱗さえも見出すことが出来ない。彼らは事実に触れることも出来ず、ただ、自らが架空の観念を操り、その架空なる観念そ操作することによって、事実そのものに触れている錯覚をしているに過ぎず、積極的に自らを欺いている、ともいえる。
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