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2005年10月14日 (金)

映画「なごり雪」を、DVDで見た。

大分県臼杵市が舞台の、美しい映画だった。作られたのはまだ数年前、新しい映画であるのに、そこに描かれた世界は、懐かしい町、懐かしい人、懐かしい、昔のにっぽんだった。

臼杵には、行った事がある。

崖に掘られた石仏群を、大分市から、車で山を越えて見に行ったのだった。

野仏のような、優しい顔をした仏たちがいた。映画の中で、夏の祭りで、夜にあの野原を篝火が整然と縦横の模様をなして燃えているのが眺められるシーンがあったが、僕が見たのは、秋の昼下がりの、草原だった。ちょうど、明日香に似ている、とそのとき思った。

分かれるのは、きらい、と雪子が何度も言っていたが、確かに、分かれるというのは辛いものだろう。それも、置いていかれる方の身になったらどうだろう。

映画を見ながら、僕は、故郷のことを思い出していた。東京に上京して以来、余り戻ることのなかったところだ。今、僕の周りにいる人々は、その多くが、先祖代々この土地に暮らしてきた人たちだ。その人たちは、よきにつけあしきにつけ、全く言葉にする必要がない前提を沢山持ちながら生きている。余所者から見れば、しがらみとしか言い様のないものの中で生きている。そのしがらみを断ち切って、根無し草としての生き方、つまり決して土地に根ざさない生き方を選択したものとして、そのしがらみは、ある意味、置き去りにしてきた、何ものかを意味している。

僕が本当には、土地に根ざして生きている人々の気持ちがわからないのと同じように、根無し草の僕の気持ちが分ってもらえることもあるまい。あるあきらめの中を生きる。それはごまかしではなく、ただ違うのだ。

「なごり雪」という、誰もが知ったフォークソングを種として、臼杵という、進歩という名の破壊の浸潤を阻止してきた町を主人公として、美しい日本語の生きている世界を描いたということ。物や金をめざす生き方が、相手への思いやりを最優先して生きる生き方と対面する。

最後のシーンで、男泣きに泣く、号泣する場面があった。今、失われた最たるものの一つだろう。

壊すのは簡単でも、大切に保ち続けるのは難しいのだろう。その難しさを乗り越えて、大切に保ち続けた先に、何があるのか。変わらない町、変わらない人の思いがある。変わらないものの中で、確実に変わっていくのが齢を重ねていく人というものなのだ。

大林監督の話にあったが、言葉が明快で、ごまかしの言葉がない。きれいな日本語で通している。それが、この映画の不思議な懐かしさ、つまり今の日本にはない言葉の美しさと、それが生きる世界がどのようなものかを目の前に見せてくれた。

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