« 「世界が裁く東京裁判」が、八重洲ブックセンターでベスト1に! | トップページ | 和歌から見えてくる日本人の生き方 »

2005年9月25日 (日)

忘れられた歌人・国学者 房内幸成

「天朝の御学風」という本の著者である。昭和19年にこの本は成った。

不知火という歌集と、民族の慟哭という著書のあることが確かめられた。

三井甲之氏に師事し、その教えのまにまに、明治天皇御製を拝誦する日々を送った方である。

鹿児島に生まれ、群馬でその生涯を閉じられた。

戦前、戦中、戦後の激動の中で、日本民族の本然を貫かれた一人である。

「言の葉の道」という文章が「天朝の御学風」に収められている。

「国語が歴史と伝統とを伝へてきたといふことは、国語そのものに歴史と伝統とがあるといふことでもある。従つて言の葉の道にたづさはる者はすべて歴史の継承者、伝統の体現でなければならない。」

その一念を貫かれたのは、まさに著者自身であられたことと拝される。

出身校の出水高等学校の校歌は、房内幸成氏の作詞だということで、学校のHPでは、特に校長先生が調べられた房内氏についての論文を掲載しておられた。

戦後の風潮の中で、その学風は受け入れられることはなかったが、それでもこの国の国土に根ざす人々に、その息吹を伝えていかれたことが伺える。貴重な論文であり、校長先生に感謝申し上げたい。

また、鹿児島の矢筈岳の山頂に、次の歌碑があるそうだ。

 『草も木も なびかさんとや 梓弓 矢筈が岳に 登る楽しさ』
                   寛政4年3月4日 高山彦九郎作  房内幸成書

高山彦九郎は群馬県新田郡の出身で、高山神社まである。光格天皇の御世の人である。
薩摩行は、後に、幕末の志士の一人、平野国臣が高山彦九郎に倣って行った。

そのとき、平野国臣が詠んだ歌は「吾が胸の燃ゆる思ひに比ぶれば煙は薄し桜島山」であるが、これは余談。

高山彦九郎は上州から薩摩に、房内幸成氏は薩摩から上州に、これも何かの縁なのであろう。

一度行って見たいものだ。

山と無線を楽しむ会の方に、篤く御礼申し上げます。勝手に使わせて頂きました!)

|

« 「世界が裁く東京裁判」が、八重洲ブックセンターでベスト1に! | トップページ | 和歌から見えてくる日本人の生き方 »

コメント

私は、出水高校の卒業生です。77歳です。
房内幸成さんの1980年の講演録(出水校60周年)が入手できました。
校歌の鳳凰は、ウミアイサという鳥のことだと有りました。
その関連であちこち調べていたら、ここに来ました。
高山彦九郎とか平野国臣まで登場して驚いています。

投稿: 大田信一 | 2018年5月21日 (月) 午後 10時24分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 忘れられた歌人・国学者 房内幸成:

« 「世界が裁く東京裁判」が、八重洲ブックセンターでベスト1に! | トップページ | 和歌から見えてくる日本人の生き方 »