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2005年8月17日 (水)

平成 夏の陣

 国民新党が結成され、第44回衆議院選挙の枠組みが出揃いつつある。

 素人目にも、いかにも貧弱で小泉にしてやられたという感が拭えない。「まさか解散するとは」、まさか「公認をはずすとは」、まさか「落下傘対立候補を出すとは」、とまさかの連続で、あれよあれよと土俵際に追い詰められてしまったように見える。

 しかし、落下傘候補が善戦するとしても、その選挙区に民主党候補が出れば、正に漁夫の利を得て軒並み議席を奪う、ということだって決して有り得ないことではないだろう。「一気に政権交替へ」という民主党の掛け声にも力が入って当然だろう。

 してみると、小泉首相は、言われているように「自爆テロ解散」で、正に自らも潰し、反対派も潰すための解散をしたのだろうか。郵政・郵政と言い、それだけを対立軸にして、この小分裂劇を起こし、それぞれの候補を思うように配置していくやり方は、徳川幕府の「大名鉢植え政策」にも通じる、幕藩体制にも見えてくる。正に「夏の陣」というに相応しい、政治体制の変革を狙った解散劇なのか?などと思ってみても、その先に描かれている構想が見えるわけでもありはしない。

 自らの主体性で作り出した舞台でもないこの総選挙ではしゃいでいる民主党にも、余り期待を寄せることは出来ない。ここまで断行した小泉の指導力というのか、その実行力だけは際立っていると言ってよいだろうが、それも国家全体の状況を見据えてのことなのか、「自民党をぶっこわす」という公約を果たすためなのだろうか、それにしても、靖国参拝を含め、公約に対する誠実さを感じさせないことから、この郵政解散も、郵政問題ではなく、何か全く別の意図の下に行われている可能性さえないとはいえないように思われてくる。

 日本はかつて、アメリカが中国と連携して日本に対して圧力をかけられた経験を持つ。1930年代それはピークに達し、結局日本は戦争への道を歩まざるを得ない状況に追い詰められていった。

 アメリカと中国が組むと、日本にとってろくなことはない。

 反日暴動といい、靖国・教科書問題といい、日本の文化や伝統、歴史への直接介入を公然と始めた中国の最終目標が一体何処にあるのか。日本の影響力を排除し、アジアあるいは世界における覇権の確立という点は疑う必要はなかろう。

 日本の目標は一体何処にあるのか。これは、世界からも見えなければ、日本人自身にも自覚されていないのではなかろうか。「亡国のイージス」という映画が上映されているが、「進むべき道を見失った国家に、守るべき未来はあるのか」という問いかけは、「亡国」というものの内面的な、ということは本質的な要素をつかみ出したものといえるだろう。

 「守るべき未来」とは、「守るべき歴史」に直結するものではないか。歴史なき国民など本来有り得ないのであり、歴史を失った結果、今、日本は未来をも失おうとしているのだ、と。

 戦後日本の国是は「人命尊重」であり、その論理の延長線上に「非戦」だとか「不戦」などという空疎な「誓い」が繰り返されてきた。しかし、「人命尊重」は、「非戦」あるいは「不戦」によって守られるのか、といえば、既に「拉致問題」一つ取ってみても、事実に於いても論理においても破綻していることは明らかであるのだ。とすれば、今、小泉さんが繰り返しす「謝罪」も、「不戦」の誓いも、それらすべてが既に破綻しているといえよう。

 そこに、無理に築き上げようとしている改革とは、砂上の楼閣に過ぎないのではなかろうか。

 「人命尊重」に反対する理由はない。しかし、それが「非戦」や「反戦」「不戦」の誓いによって守られるものだとする思想的退廃に、この国を委ねること、それこそが正に「亡国」の思想であるといわなければならないだろう。その点、「亡国のイージス」はそれなりに捉えているものと思える。命を捨てて任務を遂行するものの姿を描いていることは明らかだからだ。

 日本は、国際的に責任を負っている。日本の政治には、その責任感に欠けたところがある。その根底にあるものは、間違いなく、「憲法」であろう。

 今、「憲法9条」キャンペーンが、マスコミから左翼政党など、津々浦々までこれでもかというように行われている。それは正に、「憲法9条カルト」といっていいほどに、歪んだ空気をかもし出している。カルトだからこそ、それはまじないのように繰り返され、それに反する思想を一切許さず、「軍国主義者」「戦争肯定論者」として排斥、抹殺しようとする。段々、露骨になってきているように思えてならない。

 盧溝橋にある抗日戦争資料館(名前はうろ覚え)には、最後の結論部分に、この「日本国憲法第九条」が、大きく奉られているそうだ。なるほど、中国からすれば、日本がこれに呪縛されていれば安心だろう。大陸への軍事干渉をそうやられてはたまらない。たとえ、中国共産党政府が、日本の軍事力によって成立が可能になったとはいっても。だから、中国が、日本を押さえつけておくために「憲法」を利用することは、中国の国家戦略にとって何ら不都合なことではない。そして、そのためには日本国内にいるカルトたちを利用することは、安上がりで効果的な中国の政戦略といえよう。

 驚いたことに、杉並区で新しい歴史教科書が採択されたが、それに反対した市民グループらは、中国の反日デモ断固支持、尖閣列島は中国領土、竹島は韓国領土だ、と大真面目に主張して街頭演説をしていたのだ。どういうつもりかは知らないが、彼等は、言葉の正しい意味での売国奴、中国語で言えば漢奸ということになるのだろう。

 プラトンの理想国家からすれば、こういう人々こそ国外追放して一掃してしまわなければならないだろう。言論の自由の無い国と言論の自由のある国では、言論の自由のある国の方が圧倒的な不利を味あわねばならない。しかし、これまで冷戦下でともかくも凌いで来られたのは、圧倒的な経済力の格差があったからである。しかし、中国が経済成長し、少なくとも一部分において日本の生活レベルを超えるという事態になりつつある今日、政治体制の違いは大変なハンディキャップになる。

 しかも、言論機関の大多数は、そうした空気に敏感に反応し、またその性質上自国への批判をこそお家芸としているのだから、自由な言論で批判をしているのか、他国の圧力、あるいは空気によって批判をしているのかの、明確な区分は出来なくなってしまうのだろう。主観的には自由な批判をしているつもりでも、客観的に見れば疑いもなく他国の手先となってその攻撃の尖兵を務めているということになろう。勿論、報道機関はそのように利用されてきたし、これからもそのように利用されるものであることを国民全てが肝に銘じているならば、害も少なかろうが、批判力の弱い若年層には、鵜呑みにされる危険がある。かくしてヒットラーが言ったように嘘も百回言えば本当になるのだ。時間の経過は、全体主義国家を利することになるのだろう。

 だからこそ、真の意味の言論の自由が大切であるし、自由な政治体制が重要となるのではなかろうか。国民的成熟は、この困難を乗り切る中からしか陶冶されないのだと思い、国難に当るしかないのだろう。

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コメント

ごめん、奥様と同一人物であります。

投稿: 年上の長谷川 | 2005年8月18日 (木) 午後 09時55分

造反組みとされてしまった人たちに
素晴らしい議員がいっぱいいます。

そういう人の資質を見抜けず、潰そうとしている一点を見ても、小泉さんはおかしいよね。

投稿: 年上の長谷川 | 2005年8月18日 (木) 午後 09時54分

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