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2005年8月15日 (月)

終戦60周年の8月15日

明日は、終戦60周年の8月15日。
昭和天皇の御聖断によって、日本は長い苦しい戦いにピリオドを打った。

爆撃にたふれゆく民の上を思ひいくさとめけり身はいかならむとも
身はいかになるともいくさとどめけりただたふれゆく民を思ひて
国柄をただ守らむといばら道すすみゆくともいくさとめけり
外国の陸に小島に残る民の上やすかれとただ祈るなり

「宮中見聞録」「皇室と国民」「側近日誌」を残した木下侍従次長が、切腹覚悟で独断で公表したと言われる、昭和天皇の終戦時の御製である。

昭和天皇の戦後は、正に慰霊の巡礼の旅であり、祖国復興の為の献身的な奉仕のご生涯であられた。

終戦の詔書は、日本国民たるもの、永遠にこれを拝承し、聖旨に添い奉るべきものと信じる。

国民が玉音放送で終戦を知った日、それが昭和20年8月15日の意味である。法律的な問題とは別の、民族の魂の記憶が、8月15日をして終戦の日たらしめた、と言える。戦後長くそのことに疑いを抱くものはなかったが、近年、「いや、8月15日は終戦の日ではない、法律的には9月2日降伏文書に署名した日だ」などという、賢しらな言挙げをするものが出てきた。確かにそうかもしれない。しかし、8月15日という民族の記憶の方が、遥かに重い意味を持つ日であることを忘れてはならないと思う。

 

大西瀧治郎海軍中将は、特別攻撃隊の生みの親として知られている。
昭和十九年十月十七日、第一航空艦隊司令長官として、フィリピンに赴任、神風特別攻撃隊を編成した。その第一陣の出発に当たって、次のような訓示を残した。

「日本はまことに危機である。しかもこの危機を救いうるものは、大臣でもなければ大将でも軍令部総長でもない。勿論自分のような長官でもない。それは諸子の如き純真にして気力に満ちた若い人々のみであう。随って自分は一億国民に代わって皆にお願いする。どうか成功を祈る・・・・皆は既に神である。神であるから欲望はないであろう。がもしあるとすれば、それは自分の体当たりが無駄ではなかったかどうか、それを知りたいことであろう。しかし皆は永い眠りにつくのであるから、残念ながら知ることも出来ないし、知らせることも出来ない。だが、自分はこれを見届けて、必ず上聞に達する様にするから、そこは安心して行ってくれ しっかりたのむ」

大西中将は、その後、8月15日、遺書をしたため、多くの部下を死地に投入せしめた責任を取って自決した。享年50歳。

 特攻の英霊に曰す
 善く戦いたり、深謝す。最後の勝利を信じつつ肉弾として散華せり。然れどもその信念は遂に達成し得ざるに到れり、吾死を以て旧部下とその遺族に謝せんとす。
 次に一般青壮年に告ぐ。我が死にして軽挙は利敵行為なるを思い、聖旨に副い奉り、自重忍苦するの戒とならば幸なり。隠忍するとも日本人たるの矜持を失うなかれ。諸子は国の宝なり。平時に処し、猶を克く特攻精神を堅持し、日本民族の福祉と世界人類の和平の為、最善を尽せよ。

「世紀の自決」という本がある。終戦時に際して、自ら敗戦の責任を取り、自決された方々568柱の方々の中から144柱の方々の文献を集めた本である。

この書に序文を、安岡正篤氏と岡潔氏が書いている。

安岡氏は次のように述べる。

「祖国はその懐かしい山河と共に、民族の生命と伝統を顕現してをるものであり、地球は幾十億年もかかって、生命を創り、人間を生み、心霊を高め、民族を育て、国家を開いて、人類文明を発達させてきました。その自然と生命と人間精神に共通する進歩の原理原則は、常に試練と犠牲と無くしては行はれないことを、科学によっても明らかにされてをります。書経に所謂「自ら靖んじ自ら献ずる」ことによって、人も、家も、国も、人類も、文明も進歩発達してきたのであります。明治維新の偉大な先覚者浅見絅斎が「靖献遺言」を著したのも、自ら靖献して殉義殉国した人々を世に表彰したのですが、この一巻の「世紀の自決」も亦新たな一つの「靖献遺言」と言ふことができませう。」

また、岡氏は、

「父は私にこう教えた。日本人が桜が好きなのは散り際が潔いからであると。
実際日本歴史を展げてみると、万世一系の皇統をめぐる何と云う見事な花吹雪であろう。
弟橘姫が御夫君日本武尊の身代わりに野分の海に飛び込んでおられる。莵道稚皇子(うじのわきいらつこ)が、自分が生きていては自分が天皇にならなければならないという理由で、さっさと自殺してしまっておられる。何と云う崇高さだろう。解脱した人でなければ出来ない行為である。
 山城大兄皇子の御一族が蘇我氏に焼き亡ぼされるために生駒山を降りておられる。
 楠正成が綸旨を畏んで湊川へ行って、一族と共に死んでいる。若武者北畠顕家が阿倍野で尊氏の大軍を迎え討って花々しく散っている。楠正行が梓弓を引いて帰らぬ百余人のまごころを如意輪堂の壁に書き残して、飯盛山に勇ましく散っている。西南に目を転ずれば、菊池氏の一族が永きに汎って、死ぬべき所で死んでいる。
 明治維新に近づくとまたひとしきりの花吹雪である。この皇政復古が無かったならば日本は亡ぼされていたに決まっている。私達は取り分けここで死んだ人達に感謝しなければならないのであるが、この大業は非常に多くの、日本民族の中核の人達の死によってあがなわれたのだと云うことがわかるだけで、つまり花吹雪が全体として望まれるだけで、一片(ひとひら)一片の花片は仲々拾い出しにくい・・・。
 このあと日本民族は、力さえ強ければ何をしてもかまわないと思っているとしか思えない欧米人に向かって、けなげにも力を持て立ち向かい、民族の滅亡を賭して死の戦いを戦うのである・・・
 日本民族は明治以後欧米からまた物質主義と云うひどい濁りを取り入れてしまった。そしてそれを澄ますことによって自覚を得ようとして、先ず百年以上に汎る死の戦いを戦い尽くしている。戦後だけ見れば人道中の四悪道(畜生道、修羅道、餓鬼道、地獄道)と云う外はない。然しこれは、戦前戦後を通じて、濁水を思い切り振っているのであろう。然しもう本来の日本民族の心に目覚めてもよいころであろう。
 その為にはこの五百余片の花片を一片一片拾い上げて丁寧に見ようではないか。与謝野晶子は日露戦争中に、君死に給ふことなかれ、と歌っている。一片の花片にの蔭には数々の深い悲しみが秘められていることであろう。日本民像が暫く見失っていた自分を取り戻すのに、必ず非常に役立つと思うのである。
 貴方がたは最早戦争が済んだと云う時に自殺できますか、何と云う崇高さであろう。私は再び解脱した人の行為を見せて貰ったと云う気がする。」

 多くの先人の命の積み重ねの上に、私たちは生かされている。そのことを偲び、感謝と追悼の思いを新にする一日としたい。

 ますらをの かなしきいのち つみかさね つみかさねまもる やまとしまねを  (三井甲之)

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