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2005年7月 4日 (月)

大和ミュージアムと、心をなくした日本人

大和ミュージアムが広島県の呉市にオープンして2ヶ月で31万7千人を超えたとききました。
文藝春秋他多くの雑誌などでも紹介され、盛況な模様です。

私も2度ほど足を運びまして拝観致しました。実物の10分の1の模型は大きなプラモデルという感じでしたが、技術の発展を軸に辿った呉の歴史の展示は興味深いものでした。呉に海軍鎮守府が置かれ、近代日本の歴史に大きな役割を果たしてきたことが確認できます。

佐久間艇長の遺書で有名な第6号潜水艇の事故についても展示がありました。

世界最大の戦艦(このレコードは未だに破られていないそうです)であった大和が、昭和20年3月沖縄に向けて艦隊特攻を敢行し、雄図空しく米機の来襲により撃沈されます。特攻隊が米艦目掛けて突入していく様は、壮烈の一言に突きます。やがて原爆投下、玉音放送と続く映像には、誰もが足を止め釘付けになったように立ち止まるのです。

日本民族が歴史上初めて敗戦を喫した大東亜戦争。その記憶は、日本人であればやはり何かを感ずるのでしょう。

大和乗組員の方々の証言、また戦死された方々の遺書なども展示されています。

単なる技術の話ではなく、魂のある技術を学べるところだといえるかも知れません。

人間魚雷「回天」の実物が展示されています。そこには、塚本太郎中尉の肉声による遺書が聞けるようになっています。
「勇躍戦地に赴き」という形容は、決して軍国主義の宣伝文句ではなく、当時の一つの実感だったと思われます。

国を挙げての戦争に敗れた虚脱が、今にいたるまで日本人の魂に深い傷を残していると思われます。


「敗戦の虚脱に生みし子らなれば魂込もらずて鬼となりしか」

連合赤軍が、同志を次々に惨殺し、浅間山荘に立て篭もった事件がありましたが、革命の狂気に憑かれた若者の親が詠んだ歌と記憶しています。「魂込もらずて」という言葉は、本当に悲しい言葉です。「心をなくした日本人」という言葉もあります。

「こころ」とは、日本語だけにある、不思議な言葉ですが、「こころ」は誰もが皆持っていると信じ合っているから、日本社会の秩序が成り立っているわけです。「こころ」は目に見えませんが、水のように日本人を漬しているといえるでしょう。ところがこの「こころ」をなくした人は、何をするか分らない怖さを持っています。今、日本人の心を持っていれば決してしないこと、出来ないことをする人が次々と出てきては信じられない行為をします。犯罪になることもあればならないこともありますが、そうした「こころない」業を見せ付けられるたびに、「こころ」を傷つけられてしまうのです。心理学などという舶来の学問が「心のケア」とか言いますが、何故「こころない」人がこうも次々と出てくるのか、そのことへの対処は余りないように思われます。「こころあるひと」「なさけあるひと」といえば日本ではまず一級の人と見て間違いありません。

心のないものは、妖怪や化け物、人外の化生であると、昔の人は言いました。

敗戦の虚脱の闇から生まれた妖怪たちを退治して、日本を一日も早く「心ある」国になるようにと思います。

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