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2005年7月18日 (月)

草莽の思ひ

あさみどり 澄み渡りたる 大空の 広きををのが 心ともがな

澄めるもの 昇りてなりし 大空に 向かふ心も 清くぞありける

様々の 虫の声にも 知られけり 生きとし生ける ものの思ひは

 学生時代に憶えた 明治天皇の御製歌です。

 明治天皇御製のおおどかな調べは、拝誦し奉るたびに
味はひ深く、心澄みゆく心地がします。

 およそ 日本民族が、歴史上に おぼろげながら姿を現したとき
既に、天皇はおはしました。

 明治以後、国家体制を巡る思想・権力闘争は、明治22年の
大日本帝国憲法の発布で大きな区切りを迎え、以後、明治憲法
体制下において、日本は驚異的な発展を遂げました。

 明治日本の国家目標は、只管、国家の独立にあったといえるでしょう。

 自由民権運動は、人民の権利を国家に認めさせることに急でした。
 一方、国権派は、国権無くして民権なし、の立場から、国権の強化
をまず確立することが急務であるとしました。

 国家の独立なくして、国民の自由も権利もない。明治の日本は、
まだ国家の独立さえ覚束無く、欧米列強の、弱肉強食の掟が支配する
世界に乗り出したばかりでした。

 富国強兵は、そのために強いられた、国家独立の手段でした。

 明治日本は、欧米列強に併呑せられない為に、欧米列強に学びました。
 そのためには、多くのものを犠牲にしたといえましょう。
 明治天皇は、洋服を着られ、政務に精励されました。

 明治憲法の規定は、君主権を制限し、当時としては破天荒なほど
 人民の権利を保障したものでした。

 その憲法は、全て天皇が臨席して行われた会議で議論されたものでした。

 「民の竈はにぎはひにけり」とおおせられた仁徳天皇の故事を引くまでもなく、

 「いやしくも民に利あらば 何ぞ聖の業に違はむ」と、建国の詔を出だされた神武天皇の古事を
持ち出すまでもなく、

 目の前に、その聖代は、あったのだと思います。

 万葉集に詠まれた

 御民吾れ 生ける験あり 天地の 栄ゆるときに 遭へらく思へば

 との感慨は、全ての国民が、感じる心をもちて感じることを得ることが出来た事実なのではないかと思えてなりません。

 敗戦後

 何事も 吾らは耐へむ 日の本の すめらみことの いますかぎりは

 との歌を詠んだ人がありました。

 時代がどんなに傾いても、「すめらみことのいますかぎりは」 何度でも立ち上がってくるのが日本民族の底力だと思います。

 

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