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2005年6月28日 (火)

天皇皇后両陛下のサイパン行幸啓

 平成17年6月27日から28日にかけて、米国自治領・サイパン島に、天皇皇后両陛下が行幸啓された。

今年は終戦60周年だが、陛下が南洋方面への慰霊の旅を願われてから既に一年以上も経過している。昨年はパラオ共和国への行幸が、警備などの体勢が取れないとの理由で中止となっていた。

 サイパン島の玉砕は昭和19年6月、3万を超える陸海将兵とともに1万を超える日本人、朝鮮人など民間人も犠牲になった。米軍の犠牲も3500人に及んだと言われている。連合艦隊司令長官、南雲中将もサイパン島で最後を迎えた。太平洋に浮かぶ小さな島で繰り広げられた激戦は、その後のアッツ島、ペリュリュー・アンガウル島、硫黄島、そして沖縄の戦いの嚆矢でもあったといえよう。

 生き残りの島民の方々40名が、両陛下をお迎えして、「海ゆかば」を歌った。


 海ゆかば 水漬くかばね 山行かば 草むすかばね 大君の 辺にこそ死なめ 顧みはせじ

 古く万葉集の大伴氏の言立から歌詞を採り、信時潔氏が作曲した歌曲である。
 大伴氏は太古より武によって天皇に仕えた家柄である。

 どの民族もそうだろうが、危急存亡の時には、時代を超えた形を示すのだろう。

 それにしても、この歌を聴かれた両陛下のお心はいかばかりであられただろう。

 昭和天皇から受け継がれた戦没者慰霊という重責を担われてこられた 今上天皇。その祈りあればこそ日本は保たれているのではないのか。そのようにしきりに思われる。

 山本七平氏が、日本民族が自己のアイデンティティを確保する中核が、将来に渡って天皇であり続けることができるのか、という問いを発していた。

 これについては、既に、日本民族は、長い歴史の中で答えを持っているといえる。

 天皇陛下の祈りと、それに感応する民草の真が通じ合う限り、日本民族は永遠に滅びないのだ、と。

 終戦の際、阿南陸相と鈴木貫太郎首相の間で交わされた言葉に集約されるのだ、と。

 今回のサイパン行幸においても、天皇陛下の祈りに呼応する民草の真心があった。

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コメント

コメントありがとうございます。

「洪思翊中将の処刑」を読んだとき、朝鮮民族の底力のようなものを感じました。

「当時の朝鮮人の境遇、歴史」を顧みるときに、このような人物がいたことを忘れないようにしたいと思っています。

昭和天皇は、昭和62年沖縄に行幸されるはずでした。しかし、不慮の病にかかられ、行幸中止の已む無きに至ったわけです。

思はざる 病となりぬ 沖縄を 訪ねて果たさむ 務めありしを

と詠まれた御製を、忘れることは出来ません。

表現が浅薄との指摘は重く受け止めたいと思います。

投稿: 橘 正史 | 2005年7月18日 (月) 午後 09時28分

サイパン戦では1100人の朝鮮人も亡くなったという。「どの民族もそうだろうが、危急存亡の時には、時代を超えた形を示すのだろう。」は、当時の朝鮮人の境遇、歴史を顧みる上でも欠かせぬ視点だろう。また「昭和天皇から受け継がれた戦没者慰霊という重責を担われてこられた今上天皇」。なればこそ、昭和天皇にもっと早く行ってもらいたかった。今上天皇はどのようなお気持ちでおられたのだろう。「天皇陛下の祈りと、それに感応する民草の真が通じ合う限り、日本民族は永遠に滅びないのだ、と。」の表現では浅ましい。天皇にはもっと深い念があると信じたい。

投稿: 藤岡隆幸 | 2005年7月18日 (月) 午後 06時25分

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