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2005年6月 2日 (木)

日本海海戦100周年 水師営の会見 唱歌

 旅順攻略戦は、奉天会戦、日本海海戦と並んで、日露戦争のハイライトですが、海軍の伝統を継ぐ呉市において、この日に「水師営の会見」の唱歌が、海上自衛官によって1番から9番まで歌われたことは、特筆しても良いかも知れません。


 乃木、東郷と並び称された、日露戦争における陸海を代表する二人の英雄ですが、戦後日本の中にあっては、東郷平八郎元帥以上に、不遇を蒙ったのが乃木大将だったことは、よく知られた事実です。

 「坂の上の雲」で日露戦争の一大叙事詩を書き上げた司馬遼太郎氏でさえ、乃木将軍に対しては厳しい眼差しを隠していません。「乃木愚将論」は、大正から昭和にかけての知識人の代表格でもある芥川龍之介は「将軍」の中で、乃木大将を揶揄しています。

 しかし、昭和の文人、福田恒存氏は乃木愚将論の誤りを指摘し、小林秀雄氏も「歴史と文学」の中で、歴史がある一個人に異常なまでに重い役目を背負わせることがあるとして、乃木大将に触れています。そこで紹介されているウオッシュ・バーンの「乃木大将と日本人」(講談社学術文庫に入っていました)は、一読の価値があります。

 何れにせよ、これほどの英雄が何故戦後、教科書に載らないのかといえば、それは明治天皇に殉死した乃木大将は、東郷元帥以上に、「始末に困る」人物であったからかも知れません。

 しかし、この方々がおられなければ、日本はどうなっていたか。朝鮮半島はロシア領となり、北海道位までは最低でもロシアに取られていたかも知れません。そして、常にロシアの顔色を伺うだけの東洋の小国として生き残れたかどうか、恐らく最終的にはアメリカやイギリスなどとロシアによって日本は山分けにされていたかも知れません。当然、アジアの独立など、遠い夢物語になり終わっていたでしょう。

 勿論、大東亜戦争などは起こりようもなかったでしょう。日本という国の存続さえ、ありえたかどうか分らないのですから。

 そうしたことは、日露戦争当時の指導者層をはじめ国民全部が自覚していました。

 旅順要塞の陥落は、旅順港に逃げ込んだロシア太平洋艦隊を撃滅するためにはどうしても必要な戦いでした。(少なくともそう思われていました)バルチック艦隊がやってくるまでに、これを落として、ロシア太平洋艦隊を沈黙させなければなりませんでした。期限を切られて、東洋一と言われた要塞を落とさねばならなかったわけです。
 屍山血河その形容通りの修羅場となります。6万という死傷者数は、未曾有のものでした。下士官一人一人にいたるまで名前を憶えたという乃木大将の手元に、毎日もたらされる死傷者の名簿。その状況を想像するだけでも、とてつもない苦悩を背負われたことを信じないわけには行きません。そのことを念頭に歌うと、次の歌に顕れた史実が、乃木大将の立派さが、分るというものです。

水師営の会見 (大正3年) 文部省唱歌

1、旅順開城約成りて
  敵の将軍ステッセル
  乃木大将と会見の
  所はいずこ水師営

2、庭に一本なつめの木
  弾丸あともいちじるく
  くずれ残れる民屋に
  今ぞ相見る二将軍

3、乃木大将はおごそかに
  御めぐみ深き大君の
  大みことのり伝うれば
  彼かしこみて謝しまつる

4、昨日の敵は今日の友
  語る言葉も打ち解けて
  我は称えつかの防備
  我は称えつ我が武勇

5、かたち正して言い出でぬ
  「此の方面の戦闘に
  二子を失い給いつる
  閣下の心如何にぞと

6、「二人の我が子それぞれに
  死所を得たるを喜べり
  これぞ武門の面目」と
  大将答え力あり

7、両将昼餉共にして
  なおも尽きせぬ物語
  「我に愛する良馬あり
  今日の記念に献ずべし」

8、「厚意謝するに余りあり
  軍のおきてにしたがいて
  他日我が手に受領せば
  長くいたわり養わん」

9、「さらば」と握手ねんごろに
  別れて行くや右左
  砲音絶えし砲台に
  ひらめき立てり日の御旗

この歌を、海軍の伝統薫る呉において歌われた意義、あの旅順陥落に払った犠牲は、バルチック艦隊を迎え撃った日本海海戦の勝利と、切り離せないことだったからかも知れません。改めて、そのことが思われます。

更に、東郷平八郎元帥が、日本海海戦の5日後、捕虜となっていた、敵将ロジェストウェンスキーを見舞ました。そのエピソードはまた別に譲りますが、この水師営の会見に優るとも劣らぬエピソードが残されています。

そして、後日談として、ある地で、日本海海戦勝利の記念碑が建立されるとのことで、東郷元帥に揮毫の依頼があったところ、元帥は、敗者のことを思えば、勝利という言葉を書くことは出来ない、といわれ、「日本海海戦記念碑」となったというエピソードを、ある本で読みました。

呉の大会も「日本海海戦100周年記念大会」でしたが、この東郷元帥の姿勢にならったものと思えば、そうであったか、と思わざるを得ません。そのことを付け加えておきたいと思います。

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