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2005年6月 6日 (月)

「みじかい命」を読んで

竹山道雄氏の作である。1975年とあるから昭和50年に出された。

隠れキリシタンと、キリシタンバテレン、そして取締役人を中心とした物語である。キリシタンバテレンとは、宣教師のことである。

この物語は創作であり、時に現代のことを語らせるなど、唐突な点があり、時代を超えた思索をうかがわせるものである。

「乱世の中から」の中で、キリシタンの問題について「みじかい命」のことを読んで欲しいと書いてあったことから、読んでみたが、著者の名に恥じない、晩年の名作であると思った。

これは、小説であるよりはむしろ思想の書と言ってよいと思う。あるいはむしろ、著者畢生のライフワークである、西洋文明の本質とは何かについての考察のある意味集大成的な意味合いもあるかもしれない。

日本にキリスト教が伝来した戦国末期、それは種子島銃に象徴されるように、軍事が背景にあった。

信長・秀吉・家康そして江戸幕府へと連なる、対キリシタン政策は、様々な変転を見るが、最終的には完全に禁止される。日本に渡っていたバテレンは、殺されるか、追い返されるか、棄教して日本のキリシタン摘発に利用されるか、何れかの道を歩むことになる。

日本が当初キリスト教を受け入れたのは、一つには仏教八宗に九つ目の宗派が加わったようなもの、という認識があったことによる。そして、警戒心を持つようになったのは、仏教が「他宗を誹謗せず」を旨とするのに対し、キリスト教は徹底的に他宗を誹謗し、攻撃し、改宗させることを「デウス」の御旨であると信じ、行ったことによる。

また、その教理が、余りにも支離滅裂で、空想的なことについて、「はでうす」などのキリスト教の教理に対する反論の書が出ることになる。

それは極めて論理的であり、多くのバテレンが答えに窮した。日本人は、最も手ごわい相手であると、ヨーロッパに報告されている。

「みじかい命」の主な登場人物として、歴史上実在した人物が名を連ね、その中で交わされたであろう様々な議論が尽くされている。

日本人が提出した疑問は、第2次世界大戦後、キリスト教世界の中でようやく問題になった。いわば300年以上も日本人の精神活動が上回っていたともいえるかもしれない。

日本がキリスト教を禁じた最大の理由は、スペイン・ポルトガルの世界軍事制覇の野望を見抜いた点にあった。
ローマ法王を中核とするカトリックは、スペイン・ポルトガルと共同関係にあり、布教は、植民地化への尖兵の役割を果たしていたのだ。

これを、竹山氏は、布教インペリアリズムと呼んでいる。先ず、キリスト教徒を増やす。そして、その地を教会に寄進し、教会領とする。事実長崎は教会領となり、域内の神社・仏閣は悉く破壊され、住民は強制的に改宗させられる。さらには、日本人を奴隷として南方に売り飛ばす奴隷貿易船が長崎から出ていた。秀吉がキリシタン禁令を出したのは、この事実を掴んだからに他ならない。

この布教を先頭にした植民地化を防ぐために、当時の為政者が辿り着いたのが「鎖国」であったわけである。

竹山氏の問題意識は、明治維新後、そして昭和初期、戦後の精神状況に及んでいる。

キリスト教から派生したものとして、ナチズム、コミュニズムを上げる。その相似には驚くべきものがある。

面白い言葉としては、平和インペリアリズムという言葉である。いわゆるソビエトが行った平和攻勢のことをさしているのかもしれないが、もう少し大きな意味として捕らえると、平和という「神」を先立てた帝国主義的侵略主義のことだ。

こうなると、今でも生きているといわざるを得ない。これも相当ぼろが出ていることに間違いないのだが。

「みじかい命」の物語の舞台の一つ、長崎県浦上村は、後に原爆で焼かれるわけだが、江戸期を通じて隠れキリシタンを温存したこの地に、何故「デウス」は原子の火を投じることを防がなかったのか。

これは、ローマ教会がユダヤ人虐殺を防がなかったこと、これはむしろ反ユダヤ主義を千九百年に渡って宣伝してきた教会自身の問題であったわけだが、それと同じ問題ではないか。

現代文明とその根にあるキリスト教文明。そして、日本人の問題。このことを徹底して考えようとしたのが、竹山道雄氏であったと思われる。

その問題意識の根は、昭和初期の思想風潮にある。日本人は、キリスト教の鬼子である共産主義と思想の戦いを戦ったのだ。だがしかし、そのやり方は、キリシタン対策よりも余程劣っていた。それは、明治維新以後の近代化が、一面において西洋化であり、内面に既に敵を受け入れていたことによると思われる。

この思想の不徹底が、昭和の敗戦をもたらしたと言っても過言ではない、とは著者の言葉ではないが、そう思われてならない。

あるいは、思想の戦いは現在も継続中であるのだと、いえるのかも知れないが。

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コメント

「共産主義はキリスト教の鬼っ子」
勉強不足の私にとって新鮮であり深く頷ける表現です。なるほどそう言う見方もあるのですね。

確かに、排他的で恨み節的なところは同根のような気がします。

投稿: 山の不動 | 2005年6月 7日 (火) 午前 07時54分

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