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2005年6月 2日 (木)

大東亜戦争のことをその根本から考える為には

 大東亜戦争のことをその根本から考える為には、500年にわたるヨーロッパの世界植民地化の歴史を学ばねばならない。

 そして、日本が、僥倖により、その魔の手から逃れられたのではなく、鎖国により一度は明確に押し返したという史実を改めて丹念に辿る必要がある。

 そして、明治開国後、産業革命を経て飛躍的に武力を増大した欧米列強に対して、富国強兵策を取り、対抗して行ったという史実。

 少なくとも500年のスパンで物事を考えないと、本質は見えてこない。

 最近の政治家には、そうした大局観がなくなってしまった。それで、中国から「靖国神社に参拝するな」というイチャモンにも堂々と対処できない。

 「A級戦犯」などという東京裁判ででっち上げられた呼称を、今尚後生大事に抱いている。サンフランシスコ講和条約において独立回復した時点で、「戦犯」などという占領下の遺物は解消しているのだ。日本人の立場からすればA級戦犯など、有り得ないのである。

 そのことすら忘れてしまったということは、日本の政治家ではないということだ。「A級戦犯」がないのだから、分祀など論外である。

 勿論、「敗戦責任」はある。それは日本人が日本人の手で整理をすればよいことだ。戦後になって1949年に誕生した中国共産党政府に何を言われる筋合いもない。

 それよりも、中国は、欧米列強から蚕食され、亡国の道を辿り植民地化されていった近代史において、何故そのような道に転落して行ったのか、そのことをこそ反省したらどうか。群雄割拠し、遠交近攻の伝統的な権謀術策を巡らし、自ら国家を解体していった愚かさを反省してみるが良いのだ。

 中国大陸という広大な土地を治めるには、絶対主義的な独裁体制しかない、それが伝統的な支那王朝の歴史だが、結局は中国共産党政府もその歴史のひそみにならって絶対権力を持って人民を支配するしかなかったのではないか。更に言うならば、民族の自立を踏み躙り、チベットやウイグルなどで、弾圧を繰り返す政策は、かつて日本がやったと非難していることなど足元にも及ばない残虐さで、しかもこれは事実として、実行しているのだ。

 大局に立てば、こんな中国に対して、ヘイコラすることなど全く必要ない。むしろ危険である。

 戦前にも、大陸の権益を守ることが日本の進路を決める際、大きなファクターとなり、結局はそれが大東亜戦争の遠因にもなっていった。それは当時の経済界が秋波を送っていたのではないのか。今、中国への経済的利益を確保しようと血道を上げ、それがため国の進路に干渉するようになった一部の経済界は、大戦の教訓を全く学んでいないとしかいいようがない。政熱冷経など、幻想に過ぎない。やがては、かつてと同じように、一切の財産を奪われて、命からがら脱出するのが落ちだ。それともまだ多大な犠牲者を出したいというのか。自分の懐さえ潤えば、国の進路など関係ないというのか。

 経済界の方には「帝国としての中国」(中西輝政著)を読んでから発言してもらいたいものだ。山本七平氏の見方には、何か欠けているものがあるように思えてならない。経団連会長が山本氏の本を推薦していると何かで目にしたので、敢えて一言したい。その内に、その「何か」が何なのか、書いて見たいと思う。山本氏も1000年単位でものを見る目を持っていた人物でもある。キリスト教というファクターが、やはり気にかかる。

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