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2005年6月14日 (火)

竹山道雄と山本七平

 山本七平氏と竹山道雄氏をたまたま同時平行で読み進んでいる。

お二人とも「キリスト教」というものについて深く考察を巡らせた知識人であることで共通している。

 竹山氏は、いわば正統な知識人である。東京帝国大学に学び、卒業後も研究者として大学に残ったのだから、これはもう我が国の知識人の正統派中の正統派といってよい人物である。戦前には著述は殆どなく、翻訳の仕事を幾つか出しておりシェバイツアーの研究では、「愛と光の戦士」という題の本も出している。「ビルマの竪琴」は余りにも有名で、当時、このファンタジーがどれほど敗戦に打ちひしがれた国民の心を慰めたか知れない。また、終戦後の世相を鋭く切り分けていく論策を次々と出していく。昭和30年に出した「昭和の精神史」は画期的な著作であり、戦前・戦中の日本の歩みの背後にあったものを抉り出し、浅薄な史的唯物論者を撫で斬りにした。

 山本氏はどちらかといえば正統派知識人というよりも、かなり異端・特異な知識人であり、昭和40年代になって、イザヤ・ベンダサンのペンネーム(山本氏は翻訳者として論壇に登場)で「日本人とユダヤ人」を世に出したのを皮切りに、比較文化論を通じて日本人及び日本文化の特質について多くの問題提起を行った。

 「水と安全はタダだと思っている日本人」という認識を打ち出したことは、日本人自身の自己認識に画期的と言っていい影響を与えたように思われる。

 竹山氏は明治三十六年生まれで、大正十年生まれの山本氏より少し前の世代に属する。

 また、軍務経験の相違が、両者の思索の彩を大きく違ったものにしたとも思える。

 竹山氏は、戦前・戦中・戦後と一貫して東京帝国大学・東京大学に教師として在籍し、謂わば象牙の塔の中から世の動きを見つめてきた観があるが、一方山本氏は、氏が多く論究している通り、フィリピン戦線に一兵士として従軍し、底辺から見た帝国陸軍を眺め、敗戦の悲惨を身をもって体験した。この違いは実に大きいものがあろうと思われる。

 そして、もう一つ。竹山氏は、キリスト教徒ではなく、従ってキリスト教に対する厳しい見解を打ち出すことへの宗教的な葛藤を持つ必然性がなかったことである。山本氏は、カトリックだった母親を持ち、自らも洗礼を受けてクリスチャンになっている。時々垣間見える「護教」的論述もは、あるいはそのためなのかも知れないと思うけれど、確証はない。

 お二人とも、朝日に代表される「進歩的文化人」の系列に連なる、一連の戦後知識人の論策を徹底的に批判し論破していることで共通しているが、竹山氏が、日本の国柄について、ある確固たるものを持っているように見受けられるのに比べて、山本氏は、「左右の全体主義に影響されない天皇論を書いてみたい」と言われていたことからも推察されるように、自ら改めて日本なるものを再構築する欲求を持っておられたことは、氏の膨大な著作からも伺われるように思われる。これは、日本の国柄について無条件の信頼を置く、というわけにいかないという位置に立っていたことをうかがわせる。これは、あるいは、明治生まれと大正生まれの差だ、と言ってしまえば身も蓋もないことになるが。

 たまたま、両者を読み比べるような形でこの半年ほど読書を積んできたが、おぼろげながら以上のようなことを感じた。不思議なことに、お互い批評しあって欲しい人同士であればあるほど、そういう文章に行き当たらないもので、未だに、竹山氏が山本氏を、山本氏が竹山氏を論述した文章に行き当たっていない。もし、知った人がいたらご教示願いたいものなのだが・・・。

 今日、たまたま田中美知太郎先生の「思想に強くなること」をぱらぱらとめくっていたら、キリスト教について、先生が簡易な言葉で、次のようなことを言われていた。「ギリシャ・ローマの文化もキリスト教も、本格的に入ってきてからまだ2世代位しか経っていない。これからもっと本格的にきちっと学ぶことが大切だ。日本への回帰という昨今の風潮の中で、西洋かぶれのように思われるかも知れないが、日本を本当によく知るためにも、西洋についてよく知ることは決して避けて通ることはできないのだ。」うろ覚えだが、以上のような趣旨であったと思う。

 こう見てくると、お二人がキリスト教という西洋の精神的支柱であり西洋文明の核心にある宗教について、徹底的な考察を加えられたことは、後世の私たち日本人にとって、大きな遺産であると思われる。

 戦後60年という干支の一巡りを向かえ、戦後も還暦となった。

 赤いちゃんちゃんこを着せて、もう一度、その歩みを振り返り、その中で奮闘してきた、尊敬すべき人々に改めて敬意を表す時に来ているのかも知れない。

 大方の答えは、恐らく既に出ているのであって、その多くが記憶の彼方に忘れ去られてしまっていることに、平成の混迷の由来もあるような気がする。

 冷戦のはじめから終わりという歴史を丸々含む「戦後」という時代は、その本質への考察を抜きには、把握することが難しいと思う。そして、冷戦後の時代も既に10余年が経過しているが、継続と変質の両方をしっかりと見据える現代史論が出てきて欲しいものと思われる。

 何といっても、戦前の歴史もややこしいが、戦後の歴史も充分にややこしいものである。そして、きちっと読み解く力なくして、次の時代の戦略もきちっとは立たないのではないかと思われるのである。

 しかし、不思議なことに、日本人の歴史への関心は、終戦までで大方終わってしまう。やはり、国家が一丸となって戦うという、壮大な一体感が、あの時に終わってしまったのだということなのだろうか。

 多くの先達の仕事をきちっと継承して、新しい日本国家学を創出すること、それは、現在の日本知識人の壮大な使命ではないかと思われるのだが・・・。

  

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