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2005年5月 6日 (金)

やっぱり憲法

憲法問題について、考えてきて、日本国憲法前文に「日本性悪説」が盛り込まれていることに、改めて気付きました。

このことをつきつめて考えてみると、結局、憲法は、ある特定の歴史の見方がバックボーンとなって書かれているのだということに気付きます。

それは、「政府の行為によって戦争の惨禍が起こった」という歴史の見方です。

ここから導き出される、日本国憲法の至上の命題が、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こらない」ようにすること、ということになるわけです。

これは、自明のことでしょうか?

よく「憲法の精神」という言葉が使われることがありますが、それは、この歴史の見方を含んでいるのでしょう。

「昔、日本は悪い戦争をして、世界の国々に大変大きな迷惑をかけ、また国民も大変苦しみました。そこで、日本を再び戦争させないようにするために、この憲法をつくりました」

こんな物語が、何となく蔓延しているのが、戦後日本の「閉ざされた言語空間」なのではないかと思われます。

あれっ、と思うほど、憲法学と何の関係もない、文学作品や、研究論文などにおいても、「平和憲法」やら、「危険な国家主義」という言葉が、自明のこととして使われています。

この言語空間から利益を得ている人たちもいますが、私などは、このような言語空間に違和感、もっと言えば息苦しさを感じています。それが近年、大変ひどくなってきまして、このままでは窒息してしまうのではないかと思えるほどに、この言語空間の息苦しさは増しています。

結論から言ってしまえば、この息苦しさの正体は、間違いなく「憲法の精神」そのものから来ています。

そして、その中核となる毒素が、「日本性悪説」にあることもまた、間違いなさそうに思われます。この毒素にかかると思考の中枢神経が麻痺して、類型的な前提が無自覚に刷り込まれるということになり、「精神の自由」を完全に奪われることになるのです。

その解毒剤は何かといえば、正しい「歴史の見方」であり、最終的にこの毒素を除去することが、日本の精神的自由の回復のために必要不可欠な要素であることが判ります。

憲法九条問題をテクニカルな面についてだけ、考えてみましたが、より本質的な部分というのは、やはりこの毒素のことに思い及ばねばならないように思われました。

やっぱり、憲法が、問題だったんです。

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