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2005年5月17日 (火)

「昭和の日」が成立しました。

思えば、昭和の終焉から既に17年もの歳月が経ってしまった訳です。
「平成」の御代は、その祈りとは裏腹に、波乱万丈の様相で推移してきました。
其の中で一つだけ明らかなことは、今上陛下が、昭和天皇の御心を心として、日々国民の為に祈り尽くされているお姿です。
どんなに政治が混迷しようと、どんなに経済が不況に陥ろうとも、日本には、天皇陛下がいらっしゃる。そう思えるだけで、どれほどの励みになることか。
しかし、残念なことに、今、教育の中で「天皇」について肯定的に教えられることは先ずありません。特に、昭和天皇については「戦争責任」という言葉でしか教えられないのです。
「日本の歴史に かつてない
敗戦の責め 一身に背負いて
戦を止められし 天皇陛下
ああ天皇さま ありがとう」
昭和五十一年、昭和天皇のご在位五十年の頃作られた歌です。
口伝に覚えたものですが、ここに歌われている昭和天皇像は、昭和の民に取って、余りにも自明な、命の恩人としての天皇陛下だったわけです。
「敗戦の責め一身に背負いて」という降りは、いわゆる「戦争責任」などという観念論の問題ではなく、終戦の御聖断によって敗戦を受け入れるという決断を下されたという意味における「敗戦の責任」を一身に背負われた、という意味で、それは、絞首刑台に立つ覚悟の上で、一身を投げ出されての、決断だったのです。
そのことを、昭和の民は、みな知っていました。
爆撃にたふれゆく民のうへを思ひ戦止めけり身はいかならむとも
身はいかになるともいくさとどめけりただたふれゆく民を思ひて
国柄をただ守らむといばら道すすみ行くともいくさとめけり
この終戦時の御製が、木下道雄侍従次長の手により公表されたとき、国民の衝撃の激しさは想像を絶します。
「天皇陛下をお恨み申し上げたこともありました、しかし、今日からは祖国再建のため、全力で頑張ります」と、全国ご巡幸をされた昭和天皇を目の当たりにした女性の手記です。
この、歴史を知る子供たちが、今、何人いるのか。
そのことを思うと、背筋が寒くなります。
「昭和天皇って、平安時代の天皇のこと?」と、平気で言う子供が出てきています。
「不作為の作為」とはこのことで、天皇を教えないこと、教えても戦争責任者として教えることによって、天皇のご存在を軽んじ、否定する子供たちを育てようとしているのが、今の大方の教師の姿勢だとしたら、これを「革命教育」と呼んで悪いはずはありません。また、おそらくはそうだと応えるのでしょうが。
しかし、それでいいのでしょうか。
知らないことは、最早犯罪に近い。
「知って犯す罪と、知らないで犯す罪はどちらが思いか知っているかね」
お釈迦様が、弟子にした質問は、今現在、有効でしょう。
「知らないで犯した罪の方が重い」のです。
長崎で幼児を突き落として殺した小学生、同級生を殺した女の子。
それが罪だと知っていれば、犯さないですんだかも知れない罪です。
そして、国家に反逆し、天皇陛下の尊い所以を知らずに、軽んじるという間違いを犯す。
ただ、知りさえすればいい、知れば自ずから頭が下がる。そういう形での尊敬でいいし、それ以上のものを求めるのではない。その積み重ねが、伝統であり、歴史であるのだから。
「実るほど 頭を垂れる 稲穂かな」
中身が空っぽであればあるほど、人は威張りたがるものらしい。
そんなちっぽけな人間になるなと教えるのが、人の教師たるものの務めではないのか。
聖書に有名な山上の垂訓に、イエスは「柔和なるもの そのものは 地を継がん」と説いたとあります。
天皇陛下のお姿を、正にこの「柔和なるもの」「MEEK」そのものであると言ったのは、侍従を務めた真崎氏でした。
天皇は、日本が世界に誇れる、世界遺産だ。それは、かつてあった偉大な文明の痕跡ではなく、今尚、脈々と受け継がれ、生き通している、叡智そのものだ。
それを受け継がない教育とは一体何なのか。
それを伝えずに、日本は存続しうるのか。少なくとも僕は、天皇のいない日本に生きていたくはありません。
革命醜慮を滅ぼすことは、日本人の務めであると、固く信じて止みません。

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