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2005年5月26日 (木)

竹山道雄を再読しよう  「乱世の中から」 竹山道雄評論集を読みつつ思う

 以前「白磁の杯」を紹介した著者の竹山道雄氏について、二十代後半の後輩に話しをしたとき、「ビルマの竪琴」の著者、と言ってもわかってもらえなかったことに、軽いショックを受けた。

 想像以上に、過去に埋もれた人になってしまっているのか、と感じさせられた。しかし、文明史論における氏の業績は、今尚その光彩を失っていない。否むしろ、今の時代より一層再読されるべきではなかろうかとさえ思う。

 


西欧キリスト教文明の持つ、光と影について、あるいは、近代文明の本質にあるジキル氏とハイド氏的な本質について、その深奥を抉り出した竹山氏の論考は、今こそ重要な意味を持ってくると思われる。

 このことを紹介しようと思ったら、やはり同じことに気付く人はいるもので、

亀井秀雄氏という北海道の大学教授のエッセイを見つけた

 竹山道雄氏の文明論は、「昭和の精神史」が有名でもあり、また戦前・戦中の日本を文明論の文脈から読み解くためには殆ど必須の文献であると思われるが、それだけでなく、同じ精神に貫かれた、論考が長く生命力を持ち続けている。

 「乱世の中から」は、昭和49年に発刊されている。著者が亡くなる十年前ということになるが、晩年には余り仕事を残されていないように見受けられるので、この著書は著者の文明論の集大成的な観を為しているように思われる。

 執筆時期が、1953年から1972年という長期にわたるものだが、その冴えは全く一貫している。キリスト教論であり、キリスト教に基く近代西欧文明論であり、その接木をした近代日本の文明論という脈絡に繋がっていくのである。

 日本人には到底想像も及ばない、西欧の文明史に対する警戒のセンスを見出すことが出来ると思われる。

 今、最も注目されている隣国・中国の動向についてであるが、かの国が、共産主義という、西欧文明の異端を基軸に据えてきたことを思えば、伝統的な中華思想の文明論的考察に加えて、上記のキリスト教文明論を明確に意識しておく必要があるように思われる。

 これに加えて、イスラム教の文明について考えなければならないが、今はそこまで考えが及ばない。
 

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投稿: 小野不一 | 2018年10月21日 (日) 午後 02時58分

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