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2005年5月

2005年5月29日 (日)

百年の課題

日本海海戦から100周年。あの世界を驚愕させたパーフェクト勝利は、それまでの白人至上主義の世界を揺さぶった。ヨーロッパでは黄禍論が流行し、アメリカは対日警戒心を強め、被圧迫民族の中には民族独立のムーブメントが起こった。

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2005年5月26日 (木)

竹山道雄を再読しよう  「乱世の中から」 竹山道雄評論集を読みつつ思う

 以前「白磁の杯」を紹介した著者の竹山道雄氏について、二十代後半の後輩に話しをしたとき、「ビルマの竪琴」の著者、と言ってもわかってもらえなかったことに、軽いショックを受けた。

 想像以上に、過去に埋もれた人になってしまっているのか、と感じさせられた。しかし、文明史論における氏の業績は、今尚その光彩を失っていない。否むしろ、今の時代より一層再読されるべきではなかろうかとさえ思う。

 

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中国・台湾・北朝鮮・韓国、そして日本

 中国問題は、日本の常任理事国入りへの本格的な動きとも連動して、久々に面白い様相を呈している。

 靖国神社参拝を口実に、小泉首相との会談をドタキャンした呉儀副首相の「傲慢」に、明らかに変わりつつある日本の空気が、更に固まっていくように思われる。

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2005年5月25日 (水)

やっと・・・

大きな仕事が一つ片付いたので、ほっと一息。殆ど毎日明るくなるまで作業をしていたので、BLOGを更新する時間も心の余裕もなかった。

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思い出すことども 続き


子供は子供なりに、真剣に考え、生きている。

大人の苦労も、狡さも知らない。

ただ、子供同士の間で、色々な関係がある。

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思い出すことども

ほろ苦い思い出というものは、誰にもあるものだろうと思うけれど、
僕も、人後に落ちず、色々とある。

中学2年の9月、2学期が始まったばかりのある日、思いを寄せていた同級生の子と、放課後一緒に町に出る機会を得た。何がきっかけだったのか、憶えていない。ただ、夏休み中に、アラン・パーカーの「小さな恋のメロディ」を読んで、そんな出会いをしてみたい、などと思っていたことは確かだ。彼女のことは、1年の頃から知っていた。一度、何かの機会に話したとき、好きな人がいるということを聞いた。2年になって同じクラスになっても、距離が縮まるわけでもなかった。

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2005年5月23日 (月)

某大学教育学部大学院主催の教育シンポジウムの現場を垣間見て

 教育問題は、学力低下、学級崩壊などが指摘され、指導力不足教員の存在が問題となっているが、大本である、教員養成コースがどうなっているのかについて、もう少し注目されてもいいのではなかろうか。

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2005年5月19日 (木)

「大日本帝国の興亡」 暁のZ作戦 を手にとって

 本の山の中から、昨日たまたま目に付いた一冊の本を拾い出したのがこの本だ。高校の時分に買ったものだから、もう随分前のものだ。結局読まずに放り出していたのだが、手に取って頁をめくると、次の言葉が飛び込んできた。

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2005年5月17日 (火)

「昭和の日」が成立しました。

思えば、昭和の終焉から既に17年もの歳月が経ってしまった訳です。
「平成」の御代は、その祈りとは裏腹に、波乱万丈の様相で推移してきました。
其の中で一つだけ明らかなことは、今上陛下が、昭和天皇の御心を心として、日々国民の為に祈り尽くされているお姿です。
どんなに政治が混迷しようと、どんなに経済が不況に陥ろうとも、日本には、天皇陛下がいらっしゃる。そう思えるだけで、どれほどの励みになることか。

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2005年5月12日 (木)

気力で勝負だ(~~)

連休もろくに休めませんでしたが、連休が明けて加速度的に忙しくなっています。毎日3時を回ります。
ちょっとへたれ気味ですが、何とか頑張らねば・・・。

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2005年5月 8日 (日)

ローマ人の物語と、日本人の物語

 WILLという創刊されたばかりの雑誌6月号に、「最後の努力―ローマ人の物語�]�V」の書評が掲載されていた。書評氏堤氏は、著者塩野氏に、「いかにしてキリスト教がローマ帝国を乗っ取ったか、そこを塩野さんがどう書くか、それがなによりの楽しみです」と言ったのだそうだ。

 丁度、そのところに話が進んでいるらしいこの最新刊ですが、自らに、「文庫で読むぞ」と約束している自分としては、まだ「パクスロマーナ」までで我慢するしかない。

 もう何度目かになる読み返しで、現在「ユリウス・カエサル ルイコン以後」を読んでいるところだ。

 良書であるかどうかの判定は、読み返しに耐え得るか、というところにあると思うが、「ローマ人の物語」は何度もの読み返しに耐えうる力を持っている。「偉大」という形容が最もふさわしい「ローマ」という国について、少なくとも現代において日本人は良く知っておく必要があるのではないかと思うけれども、部分部分の良書はあっても、通史でしかも痛快なほどスラスラ入ってきて、しかも通俗に流れない歴史書はそう簡単にお目にかかれるものではない。

 モンタリネの「ローマの歴史」や、ギボンの「ローマ帝国衰亡史」など、読もうと思って手元にある本はあっても結局殆ど手付かずなのだ。その点「ローマ人の物語」は、西洋人の持つ過去の遺産(彼らの血の祖先ではなく、文明の祖先ということになるであろうが)に、直接推参する道が開かれたことを意味し、慶賀に耐えない。

 とにかく、共和制ローマが終焉し、帝政ローマに移行してから、ヨーロッパ文明のもう一つの核であるキリスト教が、いかにローマ帝国を浸潤していくのか、その過程への興味は尽きないのだ。

 新潮社には、早く文庫化を進めて欲しいと、一読者として切に願っていることを、伝えたい。

 塩野氏は、所々で、意味深い言葉を引用している。

 「歴史はときに、突如一人の人物の中に自らを凝縮し、世界はその後、この人の指し示した方向に向かうといったことを好むものである。これらの偉大な個人においては、普遍と特殊、留まるものと動くものとが、一人の人格に集約されている。彼等は、国家や宗教や文化や社会危機を、体現する存在なのである。・・・危機にあっては、既成のものと新しいものとが交ざり合って一つになり、偉大な個人の内において頂点に達する。これら偉人たちの存在は、世界史の謎である」
      ブルクハルト「世界史についての諸考察より

 この言葉を、「世界史的諸考察」(ブルクハルト・藤田健治訳)から見つけようと思って、頁を繰ってみたが、まだ見つからない。訳が違うから見つけにくいとは思われるのだけれど・・・。

 日本の歴史において、上記の言葉で指摘されるような「個人」を考えるならば、直ぐに思い浮かぶのが、「西郷隆盛」である。西南の役で斃れた西郷の殆ど預言通りに、日本の近代史は進み、大東亜戦争の破局を迎える。

 グラックス兄弟からカエサルに到るローマの内乱の歴史を勉強すると、国家が迎える文明史的は危機を乗り越えるには、少なくとも百年一単位とする位のスパンでものを考える必要があるように思えてくる。

 今年が、日露戦争の勝利から100周年、大東亜戦争の終結から60年という節目の年であることを思い、近代の日本が抱えるに到った文明史的な課題は、今も尚、その解決を見ていないと思えてならない。明治の日本人が出した一定の解決と、その後の爬行、戦後復興と繁栄、その後の混迷。

 「天はその人に大任を下さんとするや、様々な困難を与えて、これを試す」という言葉がある。日本の今の混迷と苦難は、あるいは、この言葉にあるように、日本人が果たさねばならない、何らかの使命を、正に天から与えられるための試練である、と解することも出来ようか。

 このまま、米中の狭間に消滅してしまうような、そんなやわな国ではない。それだけは思う。

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2005年5月 6日 (金)

やっぱり憲法

憲法問題について、考えてきて、日本国憲法前文に「日本性悪説」が盛り込まれていることに、改めて気付きました。

このことをつきつめて考えてみると、結局、憲法は、ある特定の歴史の見方がバックボーンとなって書かれているのだということに気付きます。

それは、「政府の行為によって戦争の惨禍が起こった」という歴史の見方です。

ここから導き出される、日本国憲法の至上の命題が、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こらない」ようにすること、ということになるわけです。

これは、自明のことでしょうか?

よく「憲法の精神」という言葉が使われることがありますが、それは、この歴史の見方を含んでいるのでしょう。

「昔、日本は悪い戦争をして、世界の国々に大変大きな迷惑をかけ、また国民も大変苦しみました。そこで、日本を再び戦争させないようにするために、この憲法をつくりました」

こんな物語が、何となく蔓延しているのが、戦後日本の「閉ざされた言語空間」なのではないかと思われます。

あれっ、と思うほど、憲法学と何の関係もない、文学作品や、研究論文などにおいても、「平和憲法」やら、「危険な国家主義」という言葉が、自明のこととして使われています。

この言語空間から利益を得ている人たちもいますが、私などは、このような言語空間に違和感、もっと言えば息苦しさを感じています。それが近年、大変ひどくなってきまして、このままでは窒息してしまうのではないかと思えるほどに、この言語空間の息苦しさは増しています。

結論から言ってしまえば、この息苦しさの正体は、間違いなく「憲法の精神」そのものから来ています。

そして、その中核となる毒素が、「日本性悪説」にあることもまた、間違いなさそうに思われます。この毒素にかかると思考の中枢神経が麻痺して、類型的な前提が無自覚に刷り込まれるということになり、「精神の自由」を完全に奪われることになるのです。

その解毒剤は何かといえば、正しい「歴史の見方」であり、最終的にこの毒素を除去することが、日本の精神的自由の回復のために必要不可欠な要素であることが判ります。

憲法九条問題をテクニカルな面についてだけ、考えてみましたが、より本質的な部分というのは、やはりこの毒素のことに思い及ばねばならないように思われました。

やっぱり、憲法が、問題だったんです。

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2005年5月 5日 (木)

憲法論議の常識について

「憲法の常識 常識の憲法」を読了しました。

 著者の苦心は、いやというほど判りました。

 苦心の殆どが、憲法そのものと、戦後憲法学の歪みからきていると思われました。

 戦後憲法学が、何故、観念遊戯として、常識からかけ離れる道を歩んだのか。その原因を、著者は、「国家論の不在」としています。

 「憲法」が「国家」の基本法である以上、憲法を論じる前提として、国家論がなければ成り立たないと考えるのは、むしろ常識に属する問題でしょう。

 ところが、戦後憲法学は、「国家」を奇妙なまでに無視しました。

 国家論の不在が、奇妙なところで顔を出したのが、教育基本法改正における愛国心教育論議においてでした。

 連立与党を構成するさる政党は、「愛国心教育」に反対する理由として、「統治機構を愛せよということはできない」という議論を展開しました。ここでは、「国家=統治機構」ということになります。

 著者は、こうした認識に疑問を投げかけます。「国家」とは何か。「統治機構」は、「政府」のことであり、「国家」そのものとはいえません。「国家」とは、独自の歴史・文化・伝統を持つ、有機的統合体のことであることを指摘します。英語で言えば、ネイションとステイトというように区別できる事柄であっても、日本語特有の問題によって、議論を必要とするということになるのでしょう。

 憲法論議を腑分けしていくと、色々なことが見えてきます。

 例えば、国際法と国内法の関係です。

 「8・15革命説」が成立するためには、その前提として、「国際法絶対優位説」に立たなければなりません。そのため、「8・15革命説」が主流の憲法学の流れを汲んで、法学のあらゆる方面において国際動向を必要以上に敏感に引き込むことに繋がっているという点です。

 ジェンダーフリー論者は、「女性差別撤廃条約」を金科玉条として、この条約を批准したのだから、日本は国内法を全て改正すべきだ、としてきました。社会的な慣習や、文化・伝統も改変すべきだと主張する文化大革命の発想の元は、ここにあるわけです。国内法との調和主義に立つならば、このようなことはあってはならない暴走であることは、常識に照らして明らかでしょう。

 外国人参政権賛成論者は、EUでの域内による地方参政権付与の動きを見て、バスに乗り遅れるな式の早とちりな議論を展開したようです。

 しかし、「国際法絶対優位説」は、決して世界の潮流でも何でもなく、一つの学説に過ぎず、しかもそれは採用され難い、知的遊戯に過ぎないものなわけです。

 すると、戦後憲法学は、知的遊戯に過ぎなかった、ということになりますが、さすがに著者はそこまでは言っていませんが。

 憲法九条についても、第一項については、第一次世界大戦後に結ばれたパリ不戦条約を取り入れたものであり、これについて言えば戦前でも日本はこの条約を批准していたわけで、現在の世界各国でも憲法典に取り入れている国は決して少なくないことを指摘しています。この意味における「平和主義」については、日本国民の歴史的性向からしても、全く異論のないところです。

 問題は、第二項の非武装主義にあります。

 九条の制定過程について要点を書いておられますが、所謂「芦田修正」と呼ばれる「前項の目的を達成するために〜」という挿入によって、再軍備が可能になった、という点で、「自衛のため必要最小限度」という理由さえつけば、どこまでも解釈で軍備増強が可能な政府解釈の問題を突いています。

 九条問題は、マッカーサーが、世界のどこにもないユートピア的な空想的理想主義を描いたことから始まり、それをマッカーサー・ノートとして、憲法起草の責任者のケーディス大佐に指示したことに始まります。自衛権をも否定されたら国家として自立していくことは出来ないとしたケーディスの若干の修正が加わり、更に、帝国議会においても、大変な議論がなされました。しかし、GHQ監視下にあり、その日の議論は全て英訳されてGHQに提出されるという中で自由な討論は望むべくもなく、いわゆる芦田修正も、経緯がわからなければ判らないというレベルのものであり、曖昧と言われる日本国憲法の条文中、あらゆる解釈を許す、規範性さえ疑わしいものになってしまったというわけです。

 憲法九条が問題になるのは、矛盾が最露出しているためです。

 日本は事実として、戦後一貫して軍事力の空白の期間を経験していません。占領軍の圧倒的な力もありましたし、警察予備隊の創設、保安隊への改変、自衛隊の編成と、講和独立時には、既に自前の自衛力を保持するに到っていたわけです。

 この点からしても、憲法があったから国が守られた、という議論は成立しません。

 憲法があったから、戦争にならなかった、という議論ならばどうでしょう。これは、憲法前文の「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないように決意した」という文言を前提とした議論でしょう。即ち、日本が他国を侵略することを食い止めた、ということに他なりません。

 ここに貫かれているのは、自国への不信感であり、奇妙なことに、在日米軍について一時期アメリカで議論になった「ビンのふた」論にも繋がるような、日本悪玉論であります。

 日本国憲法は、国家性悪説、というよりは、日本国性悪説の上に書かれたものであり、であればこそ、以上のような議論がアプリオリに出てくることになるのでしょう。これは、一国の憲法としては、余りにも異常であるといわなければならないのではないでしょうか。

 憲法九条第二項に、自衛のための軍隊の保持を明記することが、大切であり、空想的、非現実的な非武装主義条項を廃棄することが、現実にも適合する必要な改正であることは間違いありません。

 九条を守る、と言っている人々に明確にして欲しいことは、それが、「平和主義」を守ることなのか、「非武装主義」を守ることなのか、であります。

 前者であれば、「平和主義」の内容については徹底した議論が必要ではあっても、大方の国民は納得するでしょうし、九条一項については、それこそ広めようなどと力瘤を入れなくても、多くの国々が了解している事項であります。何も戦前を衒って「世界に冠たるヘイワ憲法」などとうぬぼれる必要性も必然性もないわけです。

 問題は、九条二項の「非武装主義」ですが、かつての社会党党首が主張した「非武装中立」論が国民の失笑を買って見向きもされなかったことは、同党が既に消滅していることを見れば明らかでしょう。また、軍備増強を続ける中国や北朝鮮、または日本の領土を一部武力制圧下においている韓国という近隣諸国の情勢からして、非武装を称えることは、無条件降伏せよと言っているに等しい愚挙であります。

 これは、国民に、近隣諸国の奴隷になれと言っているに等しいと思われます。

 勿論、国家の現実は、そんな愚論に動かされるわけではありませんが、ホンネを隠した詭弁には、まだまだ人の良い日本人の中には騙される人がいないとも限りません。はっきりして欲しいと主張する所以であります。

 あんまりふざけていると怒られそうなので、ちょっとまじめに、論点整理を行ってみました。「憲法の常識 常識の憲法」が手元にない中で書いたので、あるいは同書の論旨と違っているところもあると思いますが、あしからずご了承のほどを。

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本当にコワイのは・・・

・・・しかし、ものを知らないというのは怖いことで、
「日本国憲法」が「ヘイワ憲法」だなどと、寝言をいう人がいる。

何故ヘイワ憲法なんだって聞いたら、いや、9条があるから。

へえっ。前文もでしょ。

そう、前文も。

じゃあ、なんて書いてあるの?

「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、」

「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」

「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」

「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」

一部分だけど、まあ、こんなところかな。

ふーん。「人間相互の関係を支配する崇高な理想」ってなんのこと?

えっ、えーと、なんだろうね。

「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持」って、要するに、自分の国は自分で守ることを放棄してるわけ?生存権も、他国に委ねてるんだ〜!

そういうことになるのかな。

それで大丈夫なの?

勿論、だいじょーぶだよ。だって、世界は、平和を愛する諸国民しかいないもの。

ふーん。きたちょーせんは?

もちろん、平和を愛する諸国の一つに決まってるよ。

じゃあ、中国は?

当然!

平和を愛する諸国民は、軍隊を持っていないの?

い、いや、そりゃあ、自衛のための軍隊は持ってるさ。

?核兵器は自衛のための兵器なんだ〜?

きたちょーせんも、ちゅーごくも、かくへいきもってるよね。

で、でも、アメリカも持ってるだろ。だからひつよーなんだよ。

ふーん。じゃあ、にほんももとうよ。

と、とんでもない!

なんで?

にほんは、へいわけんぽうがあって、世界人類ではじめて、げんばくをおとされた国なんだから、かくへーきなんて持っちゃいけないんだよ。

よくわかんないなあ。

9じょーに、かいてあるでしょ。「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」って。

じえーたいがあるじゃない。

あれは、「せんりょく」じゃないの!

そうなんだ〜。よくわからないけど。

けんぽーをまもれば、へいわでいられるんだね。

そうだよ。

じゃあ、けんぽーをまもろー!

・・・・

まあ、この程度が、ヘイワ憲法云々などと言っている人の、程度でしょう。この程度の低さがこわいといえば一番こわいですね。

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不気味な・・・

ぴーすぱわーっていう、ヘンなブログからトラックバックを張られたので、即刻削除致しました。

ちょっと中を見てみたら、「革命的警戒心を」なんて、とってもコワい、時代錯誤の用語を使ってるんですもの。こわいわー。

ちきゅう市民だって、気は確かかっていいたいですがね。

ひらがなで書けばやわらかくなるとでも思ってるんだね。

中国、韓国の反日には手放しで礼賛してるんだもの。笑ってしまいます。

憲法カルティストって、本当にいたんだ〜!くわばらくわばら。

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2005年5月 4日 (水)

「憲法の常識・常識の憲法」を巡って

「憲法の常識・常識の憲法」の著者が、五月三日の産経新聞「正論」欄で書かれていたので、それを紹介しつつ憲法について書いてみたい。

「憲法で最優先すべきは国柄の明記

改憲の方向では共通認識

 衆参両院憲法調査会の最終報告書も出そろい、ようやく憲法改正に向けて態勢が整いつつある。
 焦点の第九条についていえば、衆院の報告書(要旨)には「自衛権及び自衛隊について何らかの憲法上の措置をとることを否定しない違憲が多く述べられた」とあり、参院の報告書(同)でも「自衛のための最小限度の組織が必要であることには、おおむね共通の認識があった」とあるから、あえていえあ、あとは憲法にどのように書き込むか、という表現の問題とみてよかろう。
 五年間かけての調査結果にしては、いささか物足りない気がしないでもないが、こうして与野党間で、緩やかながらも憲法改正についてのコンセンサスが形勢されたことの意義は、極めて大きい。
 他方、自民党の新憲法思案要綱(要旨)では、「自衛のために自衛軍を保持する」とされ、民主党も憲法改正の論点整理(ポイント)の中で、「自衛権を憲法上明確に位置づける」と述べており、両党の間での話し合いの余地は十分あると思われる。

 現憲法が欠く日本らしさ

 ところで、「憲法」は、コンスティテューションの訳語であるが、本来は、それぞれの国の独自の歴史や伝統を踏まえた国の姿・かたち、言い換えれば「国柄」を意味する。ところがGHQ(連合国総司令部)の草案をもとにつくられた現行憲法の前文には、日本らしさはどこにも見られない。
 それゆえ、憲法改正、とりわけ新憲法の制定を考える際には、まず憲法の本来の意味である「国柄」という問題に立ち返り、わが国の個性や独自性を明らかにする必要がある。そして、それをもとに将来の国家目標なども射程に入れ、国家のグランド・デザイン(全体構想)を考えていかなければならない。具体的な条文の起草作業はその後である(拙著『憲法の常識 常識の憲法』文春新書)
 この点、衆院の報告書では「前文」で「我が国固有の歴史・伝統・文化等を明記すべき」(多数意見)と提言しており、評価できるが、問題は何をもって「我が国固有の歴史・文化・伝統」とみるかということであろう。
 これにつき自民党の試案要綱では、「日本国民は多様な文化を受容して高い独自の文化を形成した。多元的な価値を認め、和の精神をもって国の繁栄をはかり、国民統合の象徴たる天皇と共に歴史を刻んできた」というように、より具体的にわが国独自の歴史・文化・伝統の実体に言及しており、説得力があるように思われる。
 ただ問題は、このような皇室と共に歩んできたわが国民の歴史、つまり我が国独自の国柄への自覚を、いかにすれば国民の多数が共有できるようになるかということであり、そこに新憲法制定の成否がかかっていると思われる。
 しかし残念ながら、この点については必ずしも楽観を許さない。とすれば、回りくどいようではあるが、新憲法制定のためには、東京裁判史観を払拭し、自国の歴史、文化、伝統に対する国民の「自信と誇り」を回復することが先決問題である。
 そして、そのためにも教育基本法を改正し、歴史教育の正常化や愛国心教育の充実をはかっていくことは、喫緊の課題であるといえよう。

 まず軍隊の保持を明確に

 他方、憲法改正の当面の目標としては、第九条二項を改正し、軍隊の保持を明記することが考えられる。つまり、第九条一項の「平和主義」は維持しつつ、二項だけを改正するというものであって、これなら、先の両院憲法調査会報告書や自民・民主両党の改憲案から考えて、実現可能と思われるし、国民の多数の支持も得られよう。
 ちなみに、一昨年十二月に日本世論調査会が実施した憲法に関する世論調査では、「憲法を改正し、自衛隊の存在を明記すべきだ」とする国民は、59%に達している(神奈川新聞、平成16年1月1日)。
 護憲派が最も恐れているのは第九条の改正であるが、それはもちろん、第九条こそ彼らにとって最大のウィーク・ポイントだからである。現在、護憲派は全国各地、各職場に「九条の会」を発足させ、来るべき憲法改正のための国民投票に備えようとしているという。国会での攻防はあきらめ、主戦場を憲法改正のための国民投票に移しているわけである。
 戦いはすでに始まっており、これに勝利し憲法改正を実現するためにも、今後、一層広範な国民運動が展開されなければならないと思われる。

 先に「九条カルト」といういささか、過激な文章を書いてしまったが、憲法改正の焦点は、やはり九条になるという見通しが立つということである。

 それにしても、既に現実には、自衛隊の活動は国民の大多数に認知され、国連のPKOでも、カンボジアのみならず、ゴラン高原、東ティモールなど世界に展開しており、またイラク・サマーワへの派遣は更に一歩踏み込んだものであったことは誰しも認めるところあろう。

 また、一方において、北朝鮮、台湾海峡の火種のみならず、竹島、尖閣列島、北方領土など、我が国における領土問題。海底資源の問題など、領域防衛のためにも、今後一層自衛隊の活動は重要であることは間違いない。

 憲法九条は、敗戦・占領下の極めて特殊な政治状況の中で生まれたものであって、60年経とうとしている現在、無理があるのは当然のことなのだ。

 「憲法の常識 常識の憲法」は、憲法論の前に国家論がなければならないことを先ずはじめに指摘している。戦後の憲法論議は国家論が不在であったため、極めて歪んだものになってしまい、世間の常識と余りにもかけ離れてしまったことの指摘は強調してもしすぎることはないと思われる。

 ちなみに、よく戦後日本が戦争に巻き込まれなかったのは憲法九条のおかげだ、という。しかし、国が守られたのは、自衛隊の存在と、日米同盟の存在があったことを無視することは出来ない。現実は、憲法九条があった「から」国が守られた、というよりも、憲法九条があった「にもかかわらず」国が守られた、というべきである。

 「治にいて乱を忘れず」という言葉がある。平和な時代にあっても、常に戦争のことを忘れないことによって、戦争を回避する道も見出せる、ということである。「軍事力によらない平和」という空想は、少なくとも現実に軍事的緊張が存在している中にあっては危険を呼び寄せるもの以外のなにものでもない。残念ながら、世界の歴史上、「軍事力によらない平和」が実現した試しは、唯の一度だってありはしないのだから。

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9条カルト

日本国憲法 第2章
第9条「日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
�A前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」

この条項を、聖書の一節であるかのように崇め奉る人々がいる。

かつて、英文学者の佐伯彰一氏が、護憲派に対して「憲法カルティスト」という呼び名を奉ったことがあるが、それである。「日本国憲法」を不磨の大典とし、後生大事に崇め奉るその姿は、正に「カルト」と言っても外れていないように思える。

「憲法9条の理想を世界へ」などという噴飯もののスローガンさえ恥ずかしげもなく嘯く。恐らくは真面目にそういっているのだろうから、なおさらたちが悪い。

こうした面々は、必ず「反自衛隊」である。自衛隊の存在を「違憲」であるとし、ことあるごとに各地の基地へ押しかけては、「ハンタイ、ハンタイ」と叫ぶ。ゴムボートを海に浮かべてわめき散らす。まことに見苦しいことこの上ない。

「人権」が大切だというその人々は、自衛隊員及びその家族の「人権」は無視してもかまわないと思っている。ハンタイ運動が盛んな地域で、学校において、組合所属の熱心な活動家教師によって、人権が蹂躙された例は、調べたら相当なものになるのではなかろうか。

そうしたイジメは、彼らの心情からすれば無理はないのかもしれない。ヘイワのためなら、自衛官及びその家族の人権なぞ小さなことなのだろう。

しかし、自衛官は、そういう連中も含めた日本を守るために、いざという時には自らの身の危険をも顧みずに、国の防衛に当たることを宣誓して自衛官となっているのだ。

「自衛権」は独立国の最も基本的な権利であり、これなくしては国民の「基本的人権」さえ守ることが出来ないことは自明のことだ。

「戦争」は最大の「人権侵害」だ、という。そういう抽象的なことを幾ら言っても、ただ単なる寝言にしか過ぎない。

「憲法9条」という護符を持っていれば、テロリストは避けて通ってくれるものかどうか、そんな判断さえ出来なくしてしまう。

憲法9条は、拉致問題一つ解決できたか。竹島を武装侵略されても取り返すことさえ出来ないのは、政府答弁によれば憲法9条があるからだ。

国民の生命・財産も、領土さえも守れなくしているのが憲法9条であり、この条項は、ある意味最大の「反人権条項」と言える。

そのことに気付かず、寝言を繰り返す人たちが、まだこの国の中に、少しはいることが、まことにもって靴の中の石ころのようである。

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2005年5月 2日 (月)

「憲法記念日」は「国恥記念日」

明日は「憲法記念日」である。

 ある消えかけた政党の党首が、「日本国憲法のお誕生日」だとはしゃいでいる。お誕生日か何か知らないが、けったいなやっちゃと思われてならぬ。

 中国で反日デモが荒れ狂い、五月四日に向けて大規模デモが画策されているという。五月四日はかつて国恥記念日とされた日だ。

 五月三日は、日本にとっての国恥記念日である。国民の祝日には国旗を揚げるべきだと思う小生も、この日ばかりは半旗にしなくてはならぬと思う。

 大日本帝国憲法に殉じ、自決した最後の枢密院議長、清水澄博士(憲法学者)の遺書を次に掲げる。

 自決ノ辞
 
新日本憲法ノ發布ニ先ダチ私擬憲法案ヲ公表シタル團体及個人アリタリ其中ニハ共和制ヲ採用スルコトヲ希望スルモノアリ或ハ戦争責任者トシテ今上陛下ノ退位ヲ主唱スル人アリ我國ノ將來ヲ考ヘ憂慮ノ至リニ堪ヘズ併シ小生微力ニシテ之ガ對策ナシ依テ自決シ幽界ヨリ我國體ヲ護持シ今上陛下ノ御在位ヲ祈願セント欲ス之小生ノ自決スル所以ナリ而シテ自決ノ方法トシテ水死ヲ択ビタルハ楚ノ名臣屈原ニ倣ヒタルナリ

元枢密院議長  八十翁 清水 澄  法學博士  昭和二十二年五月 新憲法実施ノ日認ム

追言 小生昭和九年以後進講(宮内省御用係トシテ十数年一週ニ二回又ハ一回)シタルコト従テ龍顔ヲ拝シタルコト夥敷ヲ以テ陛下ノ平和愛好ノ御性質ヲ熟知セリ従テ戦争ヲ御賛成ナカリシコト明ナリ

 五月三日は、「占領憲法」を拒否して殉じた多くの先人の方々を偲び、本当の日本の憲法が生まれる日が一日も早からんことを祈る日としたい。

日本国憲法が国際法に違反して押し付けられたものであることは、明白であるが、詳しくは以下のサイトに論じているので、参考まで紹介したい。

不磨の大典『日本国憲法』は国際法違反の産物

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2005年5月 1日 (日)

「大東亜戦争殉難遺詠集」を読むにあたって

 「大東亜戦争」という言葉を、素直に使えるようになるには、相当な時間を要した。「太平洋戦争」という言葉で知られる、この戦争のことを日本人の立場から冷静に見つめようとすれば、「太平洋戦争」ではどうもしっくり来ない。「大東亜戦争」でなければならない、そのことに、心底納得するには、何年もの時間が必要だった。

 「はだしのゲン」という反戦マンガが、小学校の学級文庫においてあった。そこには、日本の正しさを信じる軍国少年のゲンが、実際の日本軍の残虐さを聞いて改心していくというストーリーが描かれていた。そこでは東條英機首相は、悪魔の化身のように描かれ、天皇は戦争責任があるという政治主張が込められていた。

 大学受験で世界史を選択したのには、何と無く日本の歴史を学ぶ気にならなかったせいもある。世界史の方がスケールが大きくて、日本史は何とはなしにチマチマしたイメージしか持っていなかった。

 大学に入って日本史を専攻したのは、そういう脈絡からは出てこないものだが、自分の力できちんと学び直したいという気持ちはあった。しかし、高校レベルの日本史さえ頭に入っていないので、日本史の全体像というものは中々見えてこなかった。大学の講義では、通史は無く、「歴史学」という実証史学の方法論や観念的な歴史哲学のさわりを流し、あとは極めて限定された限定的な分野の講義があるばかりだった。

 今ある知識の殆どが、大学の講義以外で身につけたものばかりであるのも、致し方ないことではあった。大学には、ただ単にものを考える時間を貰ったことだけが、感謝出来ることだった。

 最終的に、大東亜戦争を素直に受け入れられるようになったのは、靖国神社での出会いに依った。戦友連という団体が、日曜日毎に、首相の靖国神社公式参拝を求めて、広報活動を行っていた。大学の後輩に紹介されて、毎週手伝うようになった。

 往年の戦士たちに立ち混じって、合間合間に色々な話を聞いた。立ち居振る舞い、ものの考え方、大陸や南方の話。平行して多くの本を読んだ。恐らく大東亜戦争関係で100冊以上は読んだ。少ない数ではあるが、その読書の感触と、戦友連のおじいさんたちから得る感触が、重なっていくことによって、ようやく、深い洗脳の闇から脱することが出来たのだ、と思う。

 往年の戦士たちの「男のやさしさ」に触れるにつけ、この人たちの名誉を傷つける「侵略戦争論」を、心底許せなくなって行った。靖国神社に祭られている英霊の方々と、このおじいさん方は、戦友であり、どちらがどちらになっても決しておかしくない状況にあったのだ。いわば、戦友連のおじいさん方は、僕にとっては「生きている英霊」とでも呼ぶべき存在だった。

 平成4年、東南アジア諸国2週間の旅を行った。各地で、当時、日本と共に戦った方々や、現地に住んでいる日本人の方々とお会いする旅だった。無理に無理を重ねて、半年の準備を経ての旅だった。何の為にこんなことをしているのだろう、と自問自答が繰り返された。そんな時、毎週、靖国神社に参拝したとき、心が静まり、また準備を進める力を得た。
 才も能もない若輩者が、如何に意気込んで行こうと、何が判るわけもない、という自嘲も脳裏を翳めた。何の成果も得られないかもしれない、とも思った。

 タイ・マレーシア・シンガポール・インドネシアという4カ国を経巡った。多くの人々に遭った。取り分けて、タイのソムアン・サラサス氏(元外務大臣)、マレーシアのラジャ・ダト・ノンチック氏、インドネシアのオマル・ヤディ氏などは、各国の有力者でもあった。日本人でいえば、タイでは、住田さん。この方は大川周明博士に学んだ方だった。マレーシアでは土生さん。マハティール首相の下で政府顧問にもなった空手家でもある。インドネシアでは、藤田さん。インドネシア独立戦争に身を投じた日本兵の一人だった。各地で日本人墓地を訪れ、戦没者の墓に線香を手向けた。

 一つだけ得たものがあったとすれば、この無謀な行動によって、大東亜戦争の問題は、自分にとってものっぴきならない内面のものとなったことだった。

 名越先生のご好意で、先生の講義の時間の一時間を頂いて(30分といわれていたが伸びた)このことを他の学生百名位に話す機会を得たことがあった。殆どの学生が、内容に興味を持ってくれた。教条的な侵略戦争論で反論する学生が1〜2名いただけだった。「体験し、思索し、行動する」というテーマを貫いて得た体験により、観念的な反対論には全く動じなくなっていた。

 シンガポールのセントーサ島に、戦争博物館がある。そこには、山下・パーシバル会談の蝋人形が置かれている。降伏か戦うか、YESかNOかを迫った山下大将に対して、10万の軍隊を擁していたパーシバル准将は降伏した。あと数日で砲弾が尽きるという瀬戸際での交渉だった。英語と中国語と日本語のボタンがあって解説が流れる。これを評して、「この瞬間、アジアが西洋を追い出した瞬間であった」と明確に語っていた。「アジア解放」は、絵空事ではなく、現実のものとして、史実として語られていた。

 「欧米列強によるアジアの植民地支配」これは厳然として存在した。数え方にもよるが、五百年もの長い年月をかけて全世界を植民地にしてきた欧米列強の侵略の歩みに、ストップをかけたのが明治維新から日清・日露の大戦に到る歴史だった。そして、欧米列強を押し戻したのが、大東亜戦争に到る道のりであり、その後大東亜戦争を戦い抜いたアジア諸民族の戦いの歴史だった。共産主義という西欧所産のイデオロギーが、凄惨な色彩を強めはしたが、共産化という精神的な植民地化に染まり切らずに、本来の民族自立路線を貫いていくことが可能となったのは、日本というアジアの一角の国が示した範によったとは言い得る。

 日本は、戦後もその志を捨てたわけではなかった。アジア諸国の独立と発展の支援は継続された。そしてアジアのリーディング・ネイションとして奇跡と言われた復興と発展を遂げ、共産主義の脅威を跳ね返して冷戦においても勝者の側に立つことが出来た。

 しかし、先人の苦悩と努力の跡を忘れ始めたとき、この国はおかしくなった。そう思えてならない。

 歴史とは、先人苦悩の跡である、とある国史学者の言葉である。歴史は泪なくしては読めないものだ、と言ったのは、小林秀雄氏だった。余計な工夫さえしなければ、心を打つものなのだと。歴史は、既に戦前から暗記物の一つとして嫌われる傾向にあった。それは、亡国の兆しだったのかもしれない。

 明治維新以来の連続性の中に、現代日本はある。少なくとも、この140年の歴史を踏まえずしては、何も語ることは出来ない。自分は何者であり、何処に居るのかさえも自覚できなくなる。

 「歴史は人類の巨大な恨みに似ている」これも小林秀雄氏の言葉だ。この巨大な実在に対して、推参する道は果たしてあるのか。

 それが、歴史に生きた先人の言葉と心に学ぶことなのだ、と思う。切実に、喪われた人々のことを思うことなくして、歴史がよみがえることはない。その意味で、「大東亜戦争殉難遺詠集」は、今を生きる若い日本人が、自らの魂の根源にいたるための、鍵となる言葉ではないかと思われる。

 虚心坦懐に、心を澄ませること。死んだ人々に対して出来ることは、本当のところ、それくらいしかないのだ、と思う。

 「大東亜戦争殉難遺詠集」は、「わが古典」にて、毎日お一人、紹介して行きたい。

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