« 突然に… | トップページ | 反日ラプソディ »

2005年4月13日 (水)

「ローマ人の物語」を読みつつ

「人間ならば誰にでも、現実の全てが見えるわけではない。多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない。」(ユリウス・カエサル)

この言葉は、極めてシニカルな言葉だ。それでいて、事の真相を突いているように思う。
カエサルのことを見ると、共和制ローマの歴史は、この人物を生み出すためにあったように思えてくるし、帝政ローマの歴史は、この人物が体現したものを延長したに過ぎないように思えてくる。前後1千年以上もの繁栄と栄光を誇るローマという国家を体現するたった一人の人物を選びだせと言われれば、ユリウス・カエサルになるだろう。

現代世界において、情報が溢れていると言われている今の日本においても、「現実の全て」が見える人物というものは、先ず居まい。逆に、「見たいと欲する現実」だけを肥大化させるには、実に都合のよい時代になったものである。

「現実の全てが見える」ということは、単なる羅列的な知識の集積ではなかろう。また、そうしたものであれば、コンピューターというものが実に偉大な役割を果たしてくれる。

「現実の全てが見える」ということは、物事の本質を鋭く見抜く、と言い換えても良いのではなかろうか。そしてこればかりは、技術の進歩も、科学の発展も、どうすることも出来ないであろう。

|

« 突然に… | トップページ | 反日ラプソディ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「ローマ人の物語」を読みつつ:

« 突然に… | トップページ | 反日ラプソディ »