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2005年4月20日 (水)

反日と無知〜竹島を巡る構図について〜

 竹島問題で俄かに沸騰する韓国の国情は、国民を取り巻く空気が如何に希薄かを物語る。余りにも沸点が低くて、頭に血が上るスピードは日本人の何倍にも登るのだ。

 韓流ブームに冷水を浴びせ、何の悪意もない日本の庶民は、ただ呆然とその姿をテレビなどを通して見るばかり。大体、竹島と言っても、そんな島があったかいな、という位国民の関心も低い。というよりも、何の教育もなされてこなかった。

 韓国では、徹底した「独島」教育がなされている。

 この対照は興味深い。

 日本政府は、歴代内閣が、韓国の竹島占拠を「武力を伴った侵略行為」であることを認めている。また、死傷者も出ているという。

 「平和」であるはずの平和日本で、侵略者により死傷者が出る事態が起っていたのだ。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して〜」と、「日本国憲法前文」には書いてある。だから、竹島の問題など、存在してはならない事態なのだ。しかも、政府答弁にあるように、憲法9条によって、「国際紛争を解決する手段としての武力行使」を放棄した建前によって、「専守防衛」であるはずの竹島奪還さえ、及び腰、はっきりいえば放棄してきたのだ。

 こんなことは国民に知られてはいけない。だから、頬かむりは続けられた。また、平和憲法を信じるものからすれば見たくない現実であり、これも放置され忘れようとしてきた。

 島根県は再三にわたって政府に事態打開を要請してきた。これまでに県議会の決議だけでも4回は下らない。竹島の島根県編入百年という節目の年に、せめてこの問題を風化させず、竹島は島根県の一部なのだということを、確認するために「竹島の日」を制定した島根県議会の悲愴な決意が伺われる。

 日本は、戦後、北朝鮮には国民を、韓国には領土を、奪われてきた。

 ついでにいえば、教科書問題や靖国問題では、自国の子供たちに、自国の立場に立った歴史を教える権利、父祖の歴史を教える権利を、教科書検定の基準に、「近隣諸国条項」を入れることで放棄した。そして自国の戦死者を自国の方法によって慰霊することも再三の抗議によって危機にさらされている。心や文化への攻撃である。

 およそ、近代国際法学によれば、独立国家の要件は、1、領土、2、国民、3、主権 の3つの要素によるとされる。これに付け加えるに独自の歴史と文化があると言えるだろう。

 すると、戦後の日本は、国民も領土も守れなかった。次に主権の一部である教育権が侵されていることは目を覆うべくもない事実である。そして、独自の歴史と文化までが標的にされているのだ。

 「亡国」とは、このようなことを言うのではなかろうか。

 これを、戦後日本では「平和」と教えてきた。「平和」信仰は人々を幸せにしたのだろうか?

 無知では反日から国を守れない。反日は無知を脱却することで克服できる。そう思う。

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