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2005年4月25日 (月)

中国「愛国無罪」、日本「売国無罪」!

中国では「愛国無罪」、日本では「売国無罪」!ホント、対照的なこの2国・・・。

と、冗談を飛ばしたくなる。

これを逆にすると、中国では売国は有罪、日本では愛国が有罪、となる。正に、その言葉通りになりそうなところがコワイ。しかし、日本も少しづつ変わってきてはいる。

週刊文春4月21日号に「中国・韓国「歴史教科書」デタラメ部分を全公開」という記事が掲載された。「大使館襲撃に駆り立てた政府主導の「反日」教育、とある。中国・韓国の教科書のデタラメぶりが具体的にチェックされているのでありがたい。

22日の衆議院外交委員会では、中国の教科書「中国歴史」の教師用指導書である「教師教学用書」の実態調査をする考えを、松原仁氏の質問に答える形で表明。松原氏は「(中国の反日デモの)原因の一つに中国の反日教育がある」と指摘し、「日本帝国主義の中国侵略の罪状に対し、強い恨みを抱くように仕向けるべきだ」と記述されていることを示した。

同日、麻生総務大臣が、靖国神社の春季例大祭に合わせて参拝し、国会議員本人80名、代理88名が参拝した。

敗戦から60年目の今年、本当の意味で歴史を見直し、中国という国がどういう国であるのか、きちんと見定めることが必要だと思う。

児島襄氏は、日本の近代史をテーマに多くのノンフィクションの歴史小説を書いているが、その中に「日中戦争」がある。文庫で5冊。ハードカバーでも600頁で3冊と、大変なボリュームで、日中戦争を広く資料に基いて書いている。

恐らく他に追随を許さない厳密さだろうと思う。

あとがきに、こう書いている。

「昭和19年秋、第一高等学校生徒であった私は、寮生のコンパの席で、中華民国・南京政府派遣の留学生の発言に胸をうたれた。 彼は、自分たちは来春に卒業したら南京には帰らない、重慶の蒋介石政府に参加する、といい、次のように述べたのである。「そして、長い日本との戦争に参加します。それが中国国民としての誇りであり義務だと思うからです。いずれ戦場で出会ったら、同じ一高生として正々堂々と戦いましょう」 私たちは拍手し、「頑張れ」と叫び、彼らと握手をくり返した。が、そのときも、私には彼がいう「長い日本との戦争」の意味はわからなかった。「太平洋戦争」の勃発とともに、中国で正統視される蒋介石政府は対日宣戦した。彼ら留学生が日本の傀儡とみなされる南京政府に背をむけるのも、戦意を表明するのも、国民として当然の心情だと理解したに留まる。」

ここでは、日中関係について、幾つかの解説が必要だろうと思われる。
先ず、昭和19年に、今の東京大学教養学部に相当する第一高等学校に、中華民国・南京政府から留学生が派遣されていた、という事実についてである。

このとき、中国には2つの政府がある。一つは、汪兆名率いる中華民国・南京政府であり、日本と同盟を結んでいる。中国と日本は同盟国だったのだ!もう一つは、蒋介石率いる中華民国・重慶政府である。米英の援助を頼み、抗日・侮日政策を採り続け、昭和16年12月8日の対米戦の勃発を契機として、対日宣戦布告をして正式な戦争状態にある政府である。中国と日本は戦争相手国だったのだ。そして、厳密に言えばもう一つ、毛沢東らが率いる中国共産党政府である。各地に根拠地をつくり、ゲリラ戦を展開する。この中国共産党政府に対して、蒋介石政府は殲滅を目的とした攻撃を繰り返している。むしろ対日戦よりもこちらの方が熱心であるとさえ言える。

よくも悪くも、これが当時の中国大陸の実情だった。

一高への留学生は、中国のエリートであり、その愛国心は本物であり、その決意は高潔なものだったと思う。そして、日本の学生も、偏狭なナショナリズムどころか、励まして、正々堂々と戦おうとエールを送っているのだ。これが戦前の日本のエリート予備軍の実際の姿である。

続けてて引用してみる。

「しかし、戦後になって私の認識も変化せざるを得なかった。疑問に誘われた。『東京裁判』では、「満州事変」「支那事変」が日本の中国大陸支配をめざす計画的侵略戦争である旨の「立証」がこころみられ、「南京虐殺」その他の非道行為も語られた。
 では、「日中戦争」とは、ほかには動機も理由もなく、ひたすらに領土を求めて、「邪悪なる強者」日本が「聖なる弱者」中国に襲いかかっただけなのか。
 赤い夕陽、果てしない大地、黙々と鍬をふるう開拓民・・・というのが、終戦まで私たちが抱いていた満州のイメージである。この人たちも飢狼のような侵略者であったのか。」

戦前・戦中までの中国のイメージと、戦後に語られ作られた中国のイメージのギャップがある。そこに疑問が生まれる。

「「日中戦争では日本は五十余万人の戦死者を数え、戦いの様相は泥沼と形容される。では、連戦連勝といわれていた当時の戦いの実態はどうであったのか。その損害は残虐行為の代償でしかなかったのか。」

中国戦線で散華された英霊の名誉の問題でもあることが、改めて浮き彫りになる。

「中華民国総裁蒋介石は、「支那事変」がはじまると「日中戦争」が第二次世界大戦に組み込まれて日本が敗北することを予見し、長期戦を計画し、指導した、と、日誌に記述している。では、戦争の計画性はむしろ中国側にあったのではないか。」

中国共産党が、日本軍と蒋介石軍を戦わせて漁夫の利を得るために、抗日統一戦線を呼びかけたことは知られている。レーニン・毛沢東主義的な革命思想の酷薄さがそこにはあるが、蒋介石においても、日本を長期戦に引きずり込む計画性を有していたことになる。東京裁判で裁かれた共同謀議がどちらの側により現実にあったのかを考えて見ることは、決して無駄ではないだろう。

「また、中華人民共和国の「抗日戦史」には、終始して「日中戦争」の主役をつとめた蒋介石軍にはほとんど触れられていない。それでは、私たちが拍手したあの留学生たちの青春を捧げた献身の覚悟は歴史から抹消されたのか。なぜ?」

この疑問は、痛切であり、哀切であるとさえ言えるように思われる。日中戦争の当事者は、あくまで蒋介石軍、つまりは中華民国重慶政府が主体であって、脇役に過ぎない中国共産党は、むしろ戦争の受益者でしかない。

このように語ってきて、児玉氏は次のように結論する。

「「日中戦争」が、日本の歩みの歪みの起点であり、歪みそのものであることはいうまでもない。
だが、「日中戦争」は以上に述べたほかにも中国共産党の役割もふくめて疑問点が多く、世界の戦争史の中でも複雑な特質を持つ。その意味で、「日中戦争」は、その背景、誘因、経緯のいずれについても、たんに乾いた断罪にとどまることなく、相互の冷静で細密な実証的検討が必要になる。
 それがなければ、日本も中国も、その体質内にひそむ脆弱点を摘出することができず、反省と教訓を汲みとることもできないはずだからである。」

日米戦については、彼我双方の資料を突き合わせ、相当精密な戦史が書かれているという。そして、それは戦後の日米同盟の基盤となったことは間違いなかろう。硫黄島でかつての敵同士が抱き合って涕を流すというエピソードが生まれたのも、相互理解の努力が払われてきた結果であろうと思う。

しかし、日本と中国ではどうだろう。一方的な断罪と、一方的な謝罪という不毛な対立しかない。本質的な反省など、どちらの側にも全くないと言ってよい。

このことを踏まえてみると、終戦60年を契機として起った中国の反日デモは、中国人の弱点と、日本人の弱点を考えさせる良い機会にしなければならないと思われる。一方的な断罪も謝罪も全く有害無益でしかない。

複雑な糸をきちっと解きほぐしていかなければならない。この作業は、中国という国とこれからも付き合っていかなければならない地政学的な位置にある我が国に取って、避けて通れない課題ではないかと思う。

次の機会に、児島襄氏が使用した参考文献の一覧をアップしてみたいと思う。

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