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2005年4月 2日 (土)

子規 〜その9〜 「歌よみに与ふる書」にふれる(4)

さて、やや堅苦しい話になってしまったが、やはり本文を読まないことには何事も始まらない。

「歌よみに与ふる書」は「再び、三度、四度〜十度」まで合計十回の稿からなるものをまとめていう。それに加えて、質疑応答編として「あきまろに答ふ」「人々に答ふ」がある。

それぞれ概要を紹介して、次に詳細に読んで行きたいと思う。便宜上、1〜10まで番号であらわし、それぞれ論じていることの概要をまとめてみたいと思う。

1、「仰せの如く近来和歌は一向に振ひ不申候」に始まり、万葉、実朝(源実朝・鎌倉幕府3代将軍、28歳で甥の公暁に暗殺された)の優れていることを宣言した、和歌改革の第一声である。

2、「貫之は下手な歌よみにて古今集はくだらぬ集に有之候」という、余りにも有名な、伝統的価値観への爆弾宣言に始まる既成の歌壇に対する挑戦状である。

3、「前略、歌よみの如く馬鹿な、のんきなものは、またと無之候」から書き出している。ここからは各論に入っていくように思われる。ここでは、実感から離れた遊びとしての言葉に対する激烈な批判が展開されている。

4、「拝啓。空論ばかりにては傍人に解し難く実例に就きて評せよとの御言葉御尤もと存候」と書き出し、具体論に入っていく。従来名歌とされていたものに再検討を加える。その際の指針として「理屈を排除する」という姿勢を鮮明に打ち出している。

5、冒頭から既成の和歌を取上げて徹底的に分析・批判していく。ここでは4首を取上げているが、特に「嘘」という問題について論じている。子規は面白い嘘は認めている。それは明らかに虚構だということは誰にでもわかるがそのイメージは誰にでも納得できる感じることの出来るものである、という意味のように取れる。面白くない嘘とは、人を騙し、自らを欺く嘘のことのようだ。

6、「御書面を見るに愚意を誤解被致候」と書き出している。反響の多くが、子規の提起した問題を誤解していたことをうかがわせる。ここで子規は一つ恐らく当人にとっても始めて自覚的に表現したのではないかと思われる一言を発している。「日本文学の城壁をいま少し堅固に致し度」と述べている。詳細は後に譲るが、子規が言葉の戦いを戦っていたことが明確になる。言葉の上の戦いではなく、言葉を巡る戦いである。

7、ここでは、前に続いて言葉の問題を敷衍している。

8、「悪き歌の例を前に挙げたれば善き歌の例をここに挙げ可申候」と書き出し、今度は、どのような歌が良い歌とされるのか、されるべきなのかについて具体的な歌につき論じている。子規により古歌が甦ったというだけでなく、近代日本人の精神がどのようなありようであるべきなのか、明確に指し示している。

9、前に続いて、「金槐和歌集」の実朝の歌を紹介している。「金槐」という言葉は、金塊ではない。右大臣の俗称である。何かいわれがあると思うがそのうちに調べようかとも思う。実朝の官位が右大臣であったところから取られたと思われる。

10、最後にとりあつかっているのが、言葉の使い方の問題である。言葉を硬直したルールから解き放って、本来の機能を回復させることを目指したもののようである。

以上、概略を述べた。

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