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2005年4月18日 (月)

「日本思想の源流―歴代天皇御製を中心に―」輪読ノート (4)

第八章 日本思想を西洋思想とくらべて

四 日本における歴史教育は「土器」の説明から始めるべきではない

※我が国における歴史教育の在り方への提言?@

・歴代の天皇がたの御事ならびに“大御心”については、それが歴史的真実なるがゆえに、これを咀嚼しな がら、ありのままに御歌そのものを提示して、幼い人びとの、大人たちよりもすぐれている情操で受けとめさせるべき。
・天皇についての教育では、何もしかつめらし理屈はいらない。それらのないほうが正しい知らせ方になる。

※我が国における歴史教育の在り方への提言?A

・土器類の持つ「生活文化」的意義に先立って精神文化の源流をさぐり当てるようにすることこそ、教育の本義。

・(土器から説き起こされている歴史教育では、)精神文化の源流を遡及していこうとする逞しい意欲が減退 し、精神文化の値打ちをわからなくさせてしまう恐れあり。

○人間としての価値を確認し得る原点は、やはり「話す」ということと、ついで「文字を書く」という時点に把えるべきもの。

○「言語」を発明し得たところから、人間の歴史を考えるのが、一番妥当であると考えたい。


「言語」のあるところには、自らそれなりの客観的な思想の形成を伴う。人間的情操と名づけられるものも、言語を介して相互理解の度合いを深めていったと思う。

※日本民族の精神的伝統を幼い後継者に伝達するのが歴史教育の使命

○日本民族は、地理的に大陸と隔離されていたばかりか、その気候も、四季の変化を幅広く伴って、人間の心情が豊かに―あらゆる異質文化を拒否しないほど豊かに―鍛えられてきているうえに、さらに、「一言語、一民族」という内容で、ながいあいだその文化的主体性を守り続けてきた民族。

○日本思想も、日本文化も、日本精神についても、すべてその中核的な性格は、恐らく、いま教えられてい る「生活文化」の初期時点よりも、はるかに遠く、かつ古いことであったにちがいない。

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