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2005年4月11日 (月)

日本人の神観について「古事記傳三之巻」(本居宣長)より―その5―(了)

まして善きも悪きも、いと尊くすぐれたる神たちの御うへに至りては、いともいとも妙に霊く奇しくなむ坐シませば、さらに人の小き智以て、其ノ理リなどへのひとへも、測り知らるべきわざに非ず。たゞ其ノ尊きをたふとみ、可畏きを畏みてぞあるべき。

【迦微に神ノ字をあてたる、よくあたれり、但し迦微と云は體言なれば、たヾに其物を指シて云のみにして、其事其徳などをさして云うことは無きを、漢国にて神とは、物をさして云のみならず、其事其徳などをさしても云て、體にも用にも用ひたり。たとへば彼ノ国書に神道と云るは、測りがたくあやしき道と云ことにて、其道のさまをさして神とは云るにて、道の外に神と云フ物あるには非ず。然るを皇国にて迦微之道と云へば、神の始めたまひ行ひたまふ道、と云ことにこそあれ、其道のさまを迦微と云ことはなし。もし迦微なる道といはゞ、漢国の意の如くなるべけれど、其もなほ直に其道をさして云にこそなれ、其ノさまを云にはならず。書紀に神剱神亀などある神ノ字も、漢文の意に其徳をさして云るにて、あやしきたち、あやしきかめと云ことなれば、迦微とは訓ムべからず。もしカミタチカミガメなどよむときは、たゞに剱をさし亀をさして、迦微と名くるになるなり。凡て皇国言の意と漢字の義と、全くは合いがたきも多かるを、かたへに合ハざる処あるをも、大方の合へるを取て、當たるものなれば、その合ハざる所のあることを、よく心得分クべきなり。又漢籍に、陰陽不測之謂神、とあるは気之伸者為神、屈者為鬼、など云るたぐひを以て、迦微を思ふべからず。かくさまにさかしだちて物を説くは、かの国人の癖なりかし。】


 ましてや、善くも悪くも、大変尊くて優れた「かみがみ」のことに至っては、とてもとても霊妙で奇妙なことが多くあるのであって、人間のさかしらな小さき知恵で、「かみ」の道理など、その片鱗さえも、そうやすやすと推し量り知ることなど出来るものではないのだから、ただ「かみ」に対しては、尊いものを尊ぶこと、畏るべきものを畏れることしか、人間に出来ることはないのだ、という。

 前段の続きであり、賎しき「かみ」においてさえ、化かされることもあるのに、尊く優れた「かみ」に至ってはとても人間がどうこうできるものではないのだということになるが、現代人は、こうした意識を、未開と蔑んで、正に「神をも畏れぬ所業」を繰り返している。さて、そうした人々は、一端全てを征服したような気になるかもしれない。しかし、「文明病」とも呼ばれる大いなる歪みが、いつの間にか増大して、人類の生存そのものを脅かしつつあることは、畏れを喪った人類に対する、当然の報いだということにもなるだろう。「未開」の論理では間違いなくそうなる。一体、どちらが未開でどちらが文明なのか、わからなくなる。

 何れにせよ、宣長は、「かみ」のはたらきや、「かみ」との付き合い方は示したが、「かみ」というものが一体何であるか、ということについては、全く解き明かすことは出来なかった。それほど古来から付き合ってきた「かみ」というものを、いたずらに、中国伝来の「神(シン)」や西洋伝来の「ゴッド」あるいはマホメット以来の「アッラー」を現す言葉として使うことが果たして正しいのか、といえば先ず間違いなく正しくない。

 宣長にとって眼前にあった言葉は「神(シン)」であったから、この言葉について、批判を加えている。大まかにいえば、「かみ」に「神」をあてたことは当たっているが、日本の言葉の意味と、漢字の字義とは、全てピタッとはいかないところも多いのであって、そのピタッと行かないところに心を配ってよく考えることが、日本の本来の道を明らかにする道なのだと、宣長は述べた。

 日本人には、「かみ」を敬い祭ることは出来ても、「かみ」を議論するなど僭越の沙汰ということでしかない。その線を越えた後に待っているものは「思い知る」ことだったのではなかろうか。この感覚は、決してなくなってはいないと思うけれど、伝統や慣習の中で伝えられた正しい向き合い方については、深い断絶が出来てしまったことは否めないところだ。

 果たして、それが日本人の精神荒廃と直結しているものか否かは、興味ある問題である。

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