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2005年4月30日 (土)

新緑の萌え出づるころ

久々に上京した。
青葉の季節の東京は、七月下旬並みの熱気で、大汗をかかされた。

明治神宮に久しぶりに参拝に訪れた。日本文明の姿を、端的に示すこの聖域は、風にそよぐ木々のざわめき以外、都会の喧騒さえ届かない。1千万都市東京の中心に存在する森。皇居の森と合わせ考えれば、日本文明は、優れて森の文明であるのだ。

戦後という時代は、日本文明の在り方からすれば異常な時代であったといえる。日本文明を「森と岩清水の文明」と言ったのは、西尾幹二氏であるが、平成の文人として、清澄な響きを持つ言霊を使われたものだ。ここに立ち戻らねばならぬ。

呉善花氏は、日本文明を、前アジア文明、と言われた。中国文明以前から続く独自の人類の原初文化から途切れることの無い連続性を維持する国、あるいは文明圏、それが、日本なのだ、と指摘する。

日本の文明の成り立ちは、数ある世界の不思議の中でも、筆頭格ではないかと、密かに思う。その世界史への影響力、持続力、他を否定しない包容力。

日本文明の解明の試みは、これを如何に生かすか、という問題意識から行われるべきであると思われる。これほど他を生かすことに気を使う文明はないと思うからである。

八紘為宇という言葉も、各々そのところを得せしめる、という言葉も、そのことを示している。

インドネシアの建国の理念であるパンチシラの理想。多様性の中の統一、というテーマは、日本においては有史以来既に実現してきたテーマであると言っていい。

アジア・アフリカ会議の創立に際して、日本から派遣された加瀬俊一氏(初代国連大使)に、各国の代表は、「よく来てくれました」「今日あるのは日本のおかげです」と口々に感謝の意を伝え、歓迎してくれたという。

このことを思い起こしつつ、五月を目前にして、日本の行く末を思う。

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