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2005年4月 4日 (月)

「日本思想の源流―歴代天皇御製を中心に―」輪読ノート (2)

第八章 日本思想を西洋思想とくらべて

二 日本人も西洋人も、人の??心?≠ゥら「我執」というものは離し切れない、と同じように認識したのだが

   ○「利己心」「我執」は両刃の刃

→人の世に争いが絶えず、時に骨肉相食むという悲劇、民族間の死闘などを生む。
→自己の幸福を願い望むことから、人類社会の向上発展に役立つことにもなる。どう扱っていけば良いが、古今東西を通じての人間の知恵の絞りどころになった。

   ○西欧の場合  「法の精神」を生む

→社会公認の規則を樹立して、人間同士はお互いにその規則に服従することを約束し、もって「我執」発露を「法」で規制。
→一方で人の心の内面的反省を求めるために、「宗教」が創始せられ、豊かな情操のために「芸術」が、思考の発達を促進させて人びとが良識を持つように「哲学」という学問が起きてきた。
→「規制」と「自制」による社会の秩序保持。

   ○古代における日本の思想

     ・「法的規制」にも気付くがそれに依存せず
     ・「神仏」と人間を別物とする「宗教」は生まれず
     ・「瞑想」「観念的思考」を排したことからか西洋的「哲学」も発達せず。

→「我執」から離れようとする心の働きそのものを最大限に評価し合い、その心の働きを信じ合って、生の人間だけで、人間そのものの、ありのままの姿において、心の中に大きな「振幅」を樹立。

   ※「まごころ」→「我執」から離れようと努力するその心の働きに対して名づけられたもの。
   ※「私情」を大切に見、そこに発露するまごころを日常生活における相互の注視のまとにしてきたこと。
   ※まごころを鍛える道=「和歌」
   ※歴代天皇がたが熱心に踏み続けられてきたこと
        
   ○日本人の最高価値「まごころ」の展開

→人を見る眼にも自ら基準が生まれる。

→社会的地位の上下、貧富の差異、頭脳の優劣など外的な差異よりも、その人の心の「振幅」の中にまごころの発露が見られる人かどうか、という点を重視して人物の評価をする。

→生きている人ばかりでなく、すでにこの世を去った人びとに対しても、その人びとが在りし日に見せてくれたそのまごころの発露をいつまでも感銘深く心に宿し、在りし日々のそのまごころを、死して後も敬い崇める習慣が生まれる。
   =日本人の考える「神」が生まれる。

→いつしか「宗教的情操」と呼ばれる敬虔な心をお互いに持ち合うこととなり、亡き人びとと生きている人びととのあいだに、心を往き来させることがありうる、とする「神人交通の思想」が生まれる。
   ※「宗教的情操」と「宗教」の本質的な違い(礼拝の対象に取り組む側の人の心情)

日本人は、宗教の中に彼岸を求めず、現実のお互いの人間生活の中に、それに匹敵しうるものを求め続け、それに向って実践し続けた民族である。

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