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2005年4月

2005年4月30日 (土)

新緑の萌え出づるころ

久々に上京した。
青葉の季節の東京は、七月下旬並みの熱気で、大汗をかかされた。

明治神宮に久しぶりに参拝に訪れた。日本文明の姿を、端的に示すこの聖域は、風にそよぐ木々のざわめき以外、都会の喧騒さえ届かない。1千万都市東京の中心に存在する森。皇居の森と合わせ考えれば、日本文明は、優れて森の文明であるのだ。

戦後という時代は、日本文明の在り方からすれば異常な時代であったといえる。日本文明を「森と岩清水の文明」と言ったのは、西尾幹二氏であるが、平成の文人として、清澄な響きを持つ言霊を使われたものだ。ここに立ち戻らねばならぬ。

呉善花氏は、日本文明を、前アジア文明、と言われた。中国文明以前から続く独自の人類の原初文化から途切れることの無い連続性を維持する国、あるいは文明圏、それが、日本なのだ、と指摘する。

日本の文明の成り立ちは、数ある世界の不思議の中でも、筆頭格ではないかと、密かに思う。その世界史への影響力、持続力、他を否定しない包容力。

日本文明の解明の試みは、これを如何に生かすか、という問題意識から行われるべきであると思われる。これほど他を生かすことに気を使う文明はないと思うからである。

八紘為宇という言葉も、各々そのところを得せしめる、という言葉も、そのことを示している。

インドネシアの建国の理念であるパンチシラの理想。多様性の中の統一、というテーマは、日本においては有史以来既に実現してきたテーマであると言っていい。

アジア・アフリカ会議の創立に際して、日本から派遣された加瀬俊一氏(初代国連大使)に、各国の代表は、「よく来てくれました」「今日あるのは日本のおかげです」と口々に感謝の意を伝え、歓迎してくれたという。

このことを思い起こしつつ、五月を目前にして、日本の行く末を思う。

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2005年4月27日 (水)

大東亜共同宣言について 〜小泉首相のアジア・アフリカ会議50周年式典での謝罪演説について考えるために〜

昭和18年11月6日、大東亜会議2日目午後零時55分、「大東亜共同宣言」が満場一致で採択されました。

  大東亜共同宣言

抑々世界各国が各其の所を得相倚り相扶けて万邦共栄の楽を偕にするは世界平和確立の根本要義なり

然るに米英は自国の繁栄の為には他国家他民族を抑圧し特に大東亜に対しては飽くなき侵略搾取を行い大東亜隷属化の野望を逞しうし遂には大東亜の安定を根底より覆さんとせり大東亜戦争の原因茲に存す

大東亜各国は相提携して大東亜戦争を完遂し大東亜を米英の桎梏より解放して其の自存自衛を全うし左の綱領に基き大東亜を建設し以て世界平和の確立に寄与せんことを期す

一、大東亜各国は協同して大東亜の安定を確保し道義に基く共存共栄の秩序を建設す

一、大東亜各国は相互に自主独立を尊重し互助敦睦の実を挙げ大東亜の親和を確立す

一、大東亜各国は相互に其の伝統を尊重し各民族の創造性を伸張し大東亜の文化を昂揚す

一、大東亜各国は互恵の下緊密に提携し其の経済発展を図り大東亜の繁栄を増進す

一、大東亜各国は万邦との交誼を篤うし人種差別を撤廃し普く文化を交流し進んで資源を開放し以て世界の進運に貢献す

 このとき列席した「大東亜各国」の首脳は次の通り。

 汪兆名(中華民国国民政府代表)
 張景恵(満州国代表)
 バー・モウ(ビルマ国代表)
 ワンワイタヤコーン(タイ国代表)
 ホセ・ラウレル(フィリピン共和国代表)
 チャンドラ・ボース(自由インド仮政府代表)

 オブザーバーとして、
 スカルノ(インドネシア共和国参議院議長)

 そして主催国日本の、東條英機(日本国代表)

(「黎明の世紀」深田祐介著」より/現在は「大東亜会議」と題してPHP新書から改訂版が発刊)

 帯の言葉を転記してみます。

「欧米植民地支配からの解放を謳った 史上初のアジア・サミットの”栄光”」
「戦後、バー・モウ(元ビルマ内閣総理大臣)は、「歴史的に見るならば、日本ほどアジアを白人支配から離脱させることに貢献した国はない。しかしまたその解放を助けたり、あるいは多くの事柄に対して範を示してやったりした諸国民そのものから日本ほど誤解を受けている国はない」と述べる。(自伝「ビルマの夜明け」) この誤解している諸国民のなかに「日本国民」自身も含まれているところに、戦後日本の悲劇があるといえそうである。」

詳しくは、本書を読まれることをお薦めしますが、

「大東亜共同宣言」の内容は、今現在にあっても、充分首肯できるものではないかと思います。


ところで、アジア・アフリカ会議の「バンドン10原則」と呼ばれるものを引用してみます。

1.基本的人権と国連憲章の尊重
2.国家主権、領土保全の尊重
3.人種、諸国家の平等
4.内政不干渉
5.国連憲章に従い諸国民が個別的、集団的に自国を防衛する権利の尊重
6.集団的防衛機構を大国の特定の利益に用いず、他国に圧力をかけない
7.領土保全、政治的独立への侵略、脅迫、力の行使をしない
8.国際紛争は国連憲章に従い、関係国が選択する平和的手段で解決
9.共通の利益と協力の増進
10.正義と国際的義務の尊重

現代的な語が並びますが、1955年(昭和30年)という時点は、大東亜共同宣言から12年しか経過していません。

アジア・アフリカの独立のうねりが大きく花開いていきます。

課題として書いておきたいことですが、このことについて評価をしているのは、左派が多いということです。

植民地からの独立を推進した勢力に、共産主義勢力があることは、一方の事実です。インドネシアもスカルノの容共政策の前に共産化一歩手前まで行ったことがあります。それを覆したのはスハルトで、9・30事件でアジア第2位の共産党は壊滅に追い込まれたわけです。インドネシアにおける共産主義運動の実態を考えたとき、アジア・アフリカ会議にその影響が及んでいないとはいえないでしょう。しかし、源流にあるものは、大東亜共同宣言ではなかったか。このことについては、もっと深めていく必要を感じます。

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チャンドラ・ボースの預言 〜小泉謝罪談話によせて〜

There are good soldiers,good engineers,everything is good, but there is no good statesman, prehaps, it may be fatal.

「日本訪問から帰って、ボースがいったことはね、日本という国は偉いことは認める。良い兵隊がいるし、いい技術者もいて、万事結構である。ただし日本には、よき政治家がいない。これは致命的かもしれぬ、といっていたね。」

※チャンドラ・ボースの通訳を務めた、国塚一乗氏の証言。(「黎明の世紀」より)

今も、問題の本質は全く変わっていないように思える。日本が良い政治家(Good Stateman)に恵まれるのは、一体何時のことになるのだろうか。

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列車事故

尼崎の列車事故の惨状が報じられています。
本当に、辛いことです。お亡くなりになった方々のご冥福を心からお祈り申し上げます。

人生、一寸先は闇だ、とは、普段殆ど意識しませんが、こうしたことが起る度に、痛切に感じさせられます。

肉親がもしこのような事故に巻き込まれたら、知人がもし、と思うと本当に居ても立っても居られなくなります。

どうか、一人でも多くの方が助かるように、そして、悲しみが、癒されますように。

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2005年4月25日 (月)

中国「愛国無罪」、日本「売国無罪」!

中国では「愛国無罪」、日本では「売国無罪」!ホント、対照的なこの2国・・・。

と、冗談を飛ばしたくなる。

これを逆にすると、中国では売国は有罪、日本では愛国が有罪、となる。正に、その言葉通りになりそうなところがコワイ。しかし、日本も少しづつ変わってきてはいる。

週刊文春4月21日号に「中国・韓国「歴史教科書」デタラメ部分を全公開」という記事が掲載された。「大使館襲撃に駆り立てた政府主導の「反日」教育、とある。中国・韓国の教科書のデタラメぶりが具体的にチェックされているのでありがたい。

22日の衆議院外交委員会では、中国の教科書「中国歴史」の教師用指導書である「教師教学用書」の実態調査をする考えを、松原仁氏の質問に答える形で表明。松原氏は「(中国の反日デモの)原因の一つに中国の反日教育がある」と指摘し、「日本帝国主義の中国侵略の罪状に対し、強い恨みを抱くように仕向けるべきだ」と記述されていることを示した。

同日、麻生総務大臣が、靖国神社の春季例大祭に合わせて参拝し、国会議員本人80名、代理88名が参拝した。

敗戦から60年目の今年、本当の意味で歴史を見直し、中国という国がどういう国であるのか、きちんと見定めることが必要だと思う。

児島襄氏は、日本の近代史をテーマに多くのノンフィクションの歴史小説を書いているが、その中に「日中戦争」がある。文庫で5冊。ハードカバーでも600頁で3冊と、大変なボリュームで、日中戦争を広く資料に基いて書いている。

恐らく他に追随を許さない厳密さだろうと思う。

あとがきに、こう書いている。

「昭和19年秋、第一高等学校生徒であった私は、寮生のコンパの席で、中華民国・南京政府派遣の留学生の発言に胸をうたれた。 彼は、自分たちは来春に卒業したら南京には帰らない、重慶の蒋介石政府に参加する、といい、次のように述べたのである。「そして、長い日本との戦争に参加します。それが中国国民としての誇りであり義務だと思うからです。いずれ戦場で出会ったら、同じ一高生として正々堂々と戦いましょう」 私たちは拍手し、「頑張れ」と叫び、彼らと握手をくり返した。が、そのときも、私には彼がいう「長い日本との戦争」の意味はわからなかった。「太平洋戦争」の勃発とともに、中国で正統視される蒋介石政府は対日宣戦した。彼ら留学生が日本の傀儡とみなされる南京政府に背をむけるのも、戦意を表明するのも、国民として当然の心情だと理解したに留まる。」

ここでは、日中関係について、幾つかの解説が必要だろうと思われる。
先ず、昭和19年に、今の東京大学教養学部に相当する第一高等学校に、中華民国・南京政府から留学生が派遣されていた、という事実についてである。

このとき、中国には2つの政府がある。一つは、汪兆名率いる中華民国・南京政府であり、日本と同盟を結んでいる。中国と日本は同盟国だったのだ!もう一つは、蒋介石率いる中華民国・重慶政府である。米英の援助を頼み、抗日・侮日政策を採り続け、昭和16年12月8日の対米戦の勃発を契機として、対日宣戦布告をして正式な戦争状態にある政府である。中国と日本は戦争相手国だったのだ。そして、厳密に言えばもう一つ、毛沢東らが率いる中国共産党政府である。各地に根拠地をつくり、ゲリラ戦を展開する。この中国共産党政府に対して、蒋介石政府は殲滅を目的とした攻撃を繰り返している。むしろ対日戦よりもこちらの方が熱心であるとさえ言える。

よくも悪くも、これが当時の中国大陸の実情だった。

一高への留学生は、中国のエリートであり、その愛国心は本物であり、その決意は高潔なものだったと思う。そして、日本の学生も、偏狭なナショナリズムどころか、励まして、正々堂々と戦おうとエールを送っているのだ。これが戦前の日本のエリート予備軍の実際の姿である。

続けてて引用してみる。

「しかし、戦後になって私の認識も変化せざるを得なかった。疑問に誘われた。『東京裁判』では、「満州事変」「支那事変」が日本の中国大陸支配をめざす計画的侵略戦争である旨の「立証」がこころみられ、「南京虐殺」その他の非道行為も語られた。
 では、「日中戦争」とは、ほかには動機も理由もなく、ひたすらに領土を求めて、「邪悪なる強者」日本が「聖なる弱者」中国に襲いかかっただけなのか。
 赤い夕陽、果てしない大地、黙々と鍬をふるう開拓民・・・というのが、終戦まで私たちが抱いていた満州のイメージである。この人たちも飢狼のような侵略者であったのか。」

戦前・戦中までの中国のイメージと、戦後に語られ作られた中国のイメージのギャップがある。そこに疑問が生まれる。

「「日中戦争では日本は五十余万人の戦死者を数え、戦いの様相は泥沼と形容される。では、連戦連勝といわれていた当時の戦いの実態はどうであったのか。その損害は残虐行為の代償でしかなかったのか。」

中国戦線で散華された英霊の名誉の問題でもあることが、改めて浮き彫りになる。

「中華民国総裁蒋介石は、「支那事変」がはじまると「日中戦争」が第二次世界大戦に組み込まれて日本が敗北することを予見し、長期戦を計画し、指導した、と、日誌に記述している。では、戦争の計画性はむしろ中国側にあったのではないか。」

中国共産党が、日本軍と蒋介石軍を戦わせて漁夫の利を得るために、抗日統一戦線を呼びかけたことは知られている。レーニン・毛沢東主義的な革命思想の酷薄さがそこにはあるが、蒋介石においても、日本を長期戦に引きずり込む計画性を有していたことになる。東京裁判で裁かれた共同謀議がどちらの側により現実にあったのかを考えて見ることは、決して無駄ではないだろう。

「また、中華人民共和国の「抗日戦史」には、終始して「日中戦争」の主役をつとめた蒋介石軍にはほとんど触れられていない。それでは、私たちが拍手したあの留学生たちの青春を捧げた献身の覚悟は歴史から抹消されたのか。なぜ?」

この疑問は、痛切であり、哀切であるとさえ言えるように思われる。日中戦争の当事者は、あくまで蒋介石軍、つまりは中華民国重慶政府が主体であって、脇役に過ぎない中国共産党は、むしろ戦争の受益者でしかない。

このように語ってきて、児玉氏は次のように結論する。

「「日中戦争」が、日本の歩みの歪みの起点であり、歪みそのものであることはいうまでもない。
だが、「日中戦争」は以上に述べたほかにも中国共産党の役割もふくめて疑問点が多く、世界の戦争史の中でも複雑な特質を持つ。その意味で、「日中戦争」は、その背景、誘因、経緯のいずれについても、たんに乾いた断罪にとどまることなく、相互の冷静で細密な実証的検討が必要になる。
 それがなければ、日本も中国も、その体質内にひそむ脆弱点を摘出することができず、反省と教訓を汲みとることもできないはずだからである。」

日米戦については、彼我双方の資料を突き合わせ、相当精密な戦史が書かれているという。そして、それは戦後の日米同盟の基盤となったことは間違いなかろう。硫黄島でかつての敵同士が抱き合って涕を流すというエピソードが生まれたのも、相互理解の努力が払われてきた結果であろうと思う。

しかし、日本と中国ではどうだろう。一方的な断罪と、一方的な謝罪という不毛な対立しかない。本質的な反省など、どちらの側にも全くないと言ってよい。

このことを踏まえてみると、終戦60年を契機として起った中国の反日デモは、中国人の弱点と、日本人の弱点を考えさせる良い機会にしなければならないと思われる。一方的な断罪も謝罪も全く有害無益でしかない。

複雑な糸をきちっと解きほぐしていかなければならない。この作業は、中国という国とこれからも付き合っていかなければならない地政学的な位置にある我が国に取って、避けて通れない課題ではないかと思う。

次の機会に、児島襄氏が使用した参考文献の一覧をアップしてみたいと思う。

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2005年4月24日 (日)

「人権擁護法案」は「反民主主義法案」

殺伐とした話題ですが、「人権擁護法案」の問題点について、まだ指摘されていない点を幾つか指摘したいと思います。

人権擁護委員の委嘱について定めた第3章の規定ですが、極めて人をバカにした規定となっています。

第21条では、人権擁護委員の設置を定め、第22条で委嘱の方法について書かれています。

2項で、市町村長が、弁護士会や都道府県人権擁護委員会連合会の意見を聞いて推薦することになっています。

3項では、「弁護士会その他人権の擁護を目的とし、又はこれを支持する団体の構成員のうちから」議会の意見を聞いて推薦しなければならない」となっています。

ここまでは、市町村長や議会を尊重したような形式になっていますが、ところが第4項以降は一転して、市町村長や議会が、人権委員会の意に反した場合、その意向を排除することが出来る規定になっているのです。

4項 人権委員会は、市町村長が推薦した候補者が人権擁護委員として適当でないと認めるときは、当該市町村長に対し、相当の期間を定めて、更に他の候補者を推薦すべきことを求めることが出来る。

差し戻しが出来るということです。

更に5項においては、「市町村長が同項の期間内に他の候補者を推薦しないときは、人権委員会は、第2項の規定にかかわらず、第3項に規定するもののうちから、(略)人権擁護委員を委嘱することが出来る」

これは、人権委員会が、市町村長の推薦に対して、拒否権(VETO)を行使することが出来ることの定めであり、最終的には、市町村長や議会の意向など関係なく、委嘱することが出来る規定になっていることです。

市町村長や議会は、選挙の洗礼を受けていますが、人権委員会はもとより、弁護士会も都道府県人権擁護委員連合会も選挙の洗礼を受けていません。ということは、つまりこれは民主主義を超えた権力を、人権委員会が持つということを意味します。

これは殆ど、ヒットラーがワイマール憲法下の議会に「全権委任法」を可決させたのと同じことになります。「人権独裁」の始まりとなります。

これだけでも恐るべきことですが、更に第6項では念入りに、「人権委員会は、人権擁護委員を委嘱したときは、当該人権擁護委員の氏名及び職務をその関係住民に周知させるため、適当な措置を講ずるものとする」とあります。

現在の例えば教育委員の氏名が、関係住民に周知徹底されているでしょうか?公安委員はどうでしょうか。公権力を行使する主体でありながら、殆ど知られていないのが現実です。

人権擁護委員に委嘱されれば自動的に、氏名が住民に周知徹底されるわけです。これは殆ど、公金での選挙運動にもつながりかねません。これに、第7項では、市町村長が協力しなければならないことになっているのです。

用意周到というか、人権委員会の独裁体制構築の為に集約されているということを痛切に感じさせられます。

この委嘱手順だけを見ても、「人権擁護法案」は、「反民主主義法案」と呼んで差し支えないように思われます。

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2005年4月23日 (土)

稀代の悪法「人権擁護(圧殺)法案」を葬れ!

日本会議広島掲示板」という場所に書き込んだ内容を転載します。

既に多くのブログでも書かれている通り「人権擁護法案」という代物のもたらす害悪は、最大の人権侵害と言える。

平成15年に提出され、廃案となった「人権擁護法案」、これが再度蒸し返されたのが今回の騒動である。

一見して明らかな通り、周密な配慮の下、人権委員会に全ての権力が集中するように出来ている。「人権侵害」の名目さえあれば、文字通りのフリーハンドが手に入る。一昨日、一方的に「一任取り付け」宣言を行い強行突破策に出た古賀誠議員だが、この法案の本質を知るものとして、断じて許すわけには参らない。
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人権擁護法案は、読めば読むほど、背筋が寒くなる思いがする。
この法律が成立すれば、人権委員会は、事実上、首相以上の権力を振るうことが可能になる。

地方自治体の首長は、全く無視される。議会も掣肘することが出来ない。そもそも、選挙民全てが拘束されるのだから、自由意志の表明の結果である議員が構成する議会ではなくなる。議員の席にしがみつきたければ、悪魔に魂を売る如く、人権委員会とその手先の人権擁護委員に媚を売らねばならなくなる。

日本国憲法は全くの死文と化す。思想・良心の自由、表現の自由は圧殺されることになる。そして、何よりも、日本の歴史・文化・伝統が封印されることになる。

人権擁護委員の権力は、決してプラスに働くことはない。常に「人権侵害」をあらさがしし、次々と新しい人権侵害の解釈をつくりだす。そのための学習さえ義務付けられているのだ。
官製人権マフィアの恐怖政治が始まる。「人権」の名の下に、真に守られるべき「人権」は窒息していくしかない。まともな人間は気違いになる以外に自由になる道はなくなる。

この人権擁護法案を通そうとするものは、日本人の敵である。否、「人権」の最大の敵である。

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恋愛論・徒然

恋愛論をぶつ資格は、本来ない。

何故となれば、ただの一つも、実らせたことがないからだ。

しかし、実のない山吹の花のように儚く、黄泉路に持ち越すことしか出来ないものとしても、切実に、恋ひ募る思いが、無かったのではない。

ただ、実らなかっただけである。

葉隠れの「忍ぶ恋」の説は、面白い。煙仲間というものに、自分も入れて欲しいと思うこともあるが、そこまでストイックに、知らぬ顔が出来るほど、強く出来ていない。それで、仲間には入れない。

言い古されたことだが、書き留めておくこともあながち無駄ではないと思うので書いてみる。

恋、戀  どちらも「こい」という言葉である。

「こい」とは、本来、糸し、糸しと、言う、心、と書く、
しかし、略字体になって、亦、心、になってしまったと嘆く。

恋に命をかけることが出来るのは、前者でなければ叶うまい。亦心では、心もとない。

昔の娘は、恋煩いで、病気になって、甚だしい時には死ぬことさえ出来た。

今は、はるかに複雑になってしまった。そして、遥かに、悲惨で、無残なものに成り下がってしまった。いや、そうではない。どんな荒地にも咲く花は美しい。確かにそうかもしれないが。

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2005年4月22日 (金)

60年前の沖縄

60年前の沖縄は、今、激戦の最中です。

沖縄戦は、大東亜戦争中、硫黄島を除けば唯一の本土決戦でした。

「本土の防波堤」として、4月1日米軍の上陸から6月23日の玉砕の日まで、実に3ヶ月もの間激闘に次ぐ激闘を繰り広げたのでした。
小禄の海軍壕から、海軍司令官だった太田実中将が最後にあたって本土に打電した電文が残っています。
沖縄県民が軍官に協力して献身的に働いたことを述べた後「沖縄県民かく戦えり。後世特別のご高配あらんことを」と結びました。
ひめゆり部隊、鉄血勤皇隊と、女学生や中学生までが第一線で戦いました。
実に県民の3分の1の20万人が犠牲になったと言われています。これは、日本軍の戦死者20万人と同じ人数です。伊江島では島民の半分が亡くなりました。

今、沖縄はリゾート地になっています。しかし、本当は、沖縄は慰霊の島なのです。南部戦跡には全国の慰霊碑が建っています。本土決戦であった沖縄戦では、全国の将兵が命を捧げているのです。南部戦跡のある南部糸満市。摩文仁の丘から眺める沖縄の海は、青黒く恨みを湛えているかのようです。サトウキビ畑が広がる長閑な風景ですが、米軍は1000隻以上の艦艇を並べて、一平方メートル当たり何十発という砲弾を撃ち込んだのです。

今でも、遺骨が出てくるそうです。全ての遺骨を収集するまで、戦後は終わらない、と真壁の人に切々と言われました。

もうすぐ、呉に大和ミュージアムが完成します。

沖縄に向けて、艦隊特攻を敢行し、雄図空しく中途にて海に消えた大和ですが、その志は、沖縄にあったのでした。
小禄の海軍壕の資料館に、戦艦大和の絵が飾ってあります。そこに次の文があります。
  銘
 「われ期待に欺かざるべし」の信号に不帰玉砕の覚悟を示しつつ沖縄救援急航途次 即ち昭和二十年四月七日 延べ一千機に及ぶ敵航空機群の反復攻撃を迎え激闘利非ず 乗員三千余名と共に恨みを呑んで徳之島東方海域に沈没した戦艦大和の悲願を達成せしめ 併せて戦没乗組員の英霊を慰め且つ沖縄県民と共に国土防衛に殉ぜんとした艦と人とのありしことを此の地を訪う人に永く傳えんとして同志相図り ありし日の戦艦大和の俤を絵画に託し 横須賀走水神社に於ける弟橘媛命の入魂を以て新に大和の艦霊と為し 海上自衛隊機に依って空路その目的とした沖縄に入港させた
 時に昭和五十二年十二月六日 終戦茲に三十三年 同志連名の上奉納する
顕歌 梓弓共に死なめと打ち出でて征きて帰らぬ艦を問はずや 島人歌人 寿枝
                戦艦大和を沖縄に入港させる会同志一同」


また、知覧を始めとする九州各地の特攻基地からは連日、沖縄に向けて特攻機が出撃します。

沖縄戦が、あたかも日本軍による沖縄県民の虐殺であるかのように言われますが、決してそんなことはない、沖縄と本土は一蓮托生であり、沖縄の為に、何千人もの若者が特攻隊として十中零死の攻撃を敢行したのです。

弾雨降る中、住民を北部に疎開させようとしても、軍が居た方が安心だからと帰ってきてしまう人々を保護しながら、苦しい戦いを戦ったのです。

そのことを、忘れることは出来ません。

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2005年4月21日 (木)

微笑を誘うエピソード〜ローマ人の物語より〜

 「勝者の混迷」の中に、生きているときは最も幸運で、死して後不運を蒙ったある人物、ルキウス・コルネリウス・スッラの、微笑を誘うエピソードが紹介されている。

「剣闘士の試合が行われていた競技場で、それを見物中のスッラの席の背後を通って自由席に行く途中の若い女が、スッラの背後を通りすぎるときに彼の肩に手をふれ、長衣(トーガ:ローマ人の普段着)から糸切れを抜きとってそのまま自席に歩み去った。その振る舞いにはさすがのスッラも驚き、思わずその女を見つめた。女は、席も立たずに、スッラを見返しながら言った。

「おかしな振舞いとお思いになってはいけませんわ。わたくしだって、あなたが恵まれつづけた幸運に、ほんの少しあやかりたいと願ってやったことですもの」

名門貴族ヴァレリウス一門に連なるこの女を、スッラは五度目の妻に迎えた。」

 このエピソードを紹介した後、「余談」として、「ニューヨーク物語」という映画の中で、成功した有名な画家に、その画家の作品の展覧会の受付でしかない若い女が一言一句変わらぬ言葉と振舞いをしていたことを、塩野さんは紹介して、「ヴァレリアの言動くらい、自身にあふれた成功した大物を、若さ以外は何ももたない女が”引っかける”のに有効な方法もない」と言っている。

 プルタルコス英雄伝に出てくる挿話らしいが、古典には、こんな「智恵(狡知?)」も盛り込まれているもので、歴史を学ぶ楽しみの一つでもある。これなどは、若い女性のための一挿話だが、カエサルはプレイボーイの名も高く、鳴らしている。逆のエピソードもさがして見ることも面白いかもしれないが・・・。

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2005年4月20日 (水)

反日と無知〜竹島を巡る構図について〜

 竹島問題で俄かに沸騰する韓国の国情は、国民を取り巻く空気が如何に希薄かを物語る。余りにも沸点が低くて、頭に血が上るスピードは日本人の何倍にも登るのだ。

 韓流ブームに冷水を浴びせ、何の悪意もない日本の庶民は、ただ呆然とその姿をテレビなどを通して見るばかり。大体、竹島と言っても、そんな島があったかいな、という位国民の関心も低い。というよりも、何の教育もなされてこなかった。

 韓国では、徹底した「独島」教育がなされている。

 この対照は興味深い。

 日本政府は、歴代内閣が、韓国の竹島占拠を「武力を伴った侵略行為」であることを認めている。また、死傷者も出ているという。

 「平和」であるはずの平和日本で、侵略者により死傷者が出る事態が起っていたのだ。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して〜」と、「日本国憲法前文」には書いてある。だから、竹島の問題など、存在してはならない事態なのだ。しかも、政府答弁にあるように、憲法9条によって、「国際紛争を解決する手段としての武力行使」を放棄した建前によって、「専守防衛」であるはずの竹島奪還さえ、及び腰、はっきりいえば放棄してきたのだ。

 こんなことは国民に知られてはいけない。だから、頬かむりは続けられた。また、平和憲法を信じるものからすれば見たくない現実であり、これも放置され忘れようとしてきた。

 島根県は再三にわたって政府に事態打開を要請してきた。これまでに県議会の決議だけでも4回は下らない。竹島の島根県編入百年という節目の年に、せめてこの問題を風化させず、竹島は島根県の一部なのだということを、確認するために「竹島の日」を制定した島根県議会の悲愴な決意が伺われる。

 日本は、戦後、北朝鮮には国民を、韓国には領土を、奪われてきた。

 ついでにいえば、教科書問題や靖国問題では、自国の子供たちに、自国の立場に立った歴史を教える権利、父祖の歴史を教える権利を、教科書検定の基準に、「近隣諸国条項」を入れることで放棄した。そして自国の戦死者を自国の方法によって慰霊することも再三の抗議によって危機にさらされている。心や文化への攻撃である。

 およそ、近代国際法学によれば、独立国家の要件は、1、領土、2、国民、3、主権 の3つの要素によるとされる。これに付け加えるに独自の歴史と文化があると言えるだろう。

 すると、戦後の日本は、国民も領土も守れなかった。次に主権の一部である教育権が侵されていることは目を覆うべくもない事実である。そして、独自の歴史と文化までが標的にされているのだ。

 「亡国」とは、このようなことを言うのではなかろうか。

 これを、戦後日本では「平和」と教えてきた。「平和」信仰は人々を幸せにしたのだろうか?

 無知では反日から国を守れない。反日は無知を脱却することで克服できる。そう思う。

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2005年4月19日 (火)

反日ラプソディ 続

 中国の狂騒ぶりはすさまじいばかりです。「愛国無罪」だそうですが、日本で同じことをすればたちまち右翼だ軍国主義だ、という罵声が飛び出してきます。中国では、警察までもがひそかに手引きをするというのだから、何をか言わんやです。

 「歴史認識」で、中国人民の心を傷つけた、という言い分ですが、日本では絶対に通らない言い訳に過ぎません。

 露骨なダブルスタンダードは、東シナ海の海洋開発問題でもいえます。日中境界線海域で資源採掘施設をつくったり、原子力潜水艦で領海侵犯をしたりと、やりたい放題ですが、日本が対抗措置として、試掘権を民間業者に与えて、資源調査に乗り出すと、声高に抗議をしてくるのは、資源略奪、侵略と言っても過言ではありません。

 日本人の生命・財産に脅威を与え、日本の主権エリアである大使館や領事館に対して攻撃を加えるというのは、我が国への挑発行為であると言わざるを得ません。狂乱するデモ隊を抑えられないという内治能力の欠如を示した中国政府は、同じ事態が1920年代にも起っていたことを想起すべきでしょう。勿論、その頃には、今の共産党政府など影も形もなかったわけですが、時代を超えても民族の行動パターンはそう変わるものではありません。当時はもっと激しかったのでしょう。
 民間人への攻撃、殺傷事件、財産への侵害、略奪暴行が続発しました。これは満州においてもそうでしたし、また中国本土に於いてもそうでした。

 ナショナリズムが凶暴になるのは、後進国の特徴ですが、当時の中国は正にそのパターンにはまり込んでいたわけです。

 中村大尉虐殺事件が起るなど、とうとう軍人までも殺される事件が起ります。

 今のように「平和憲法」などありませんでしたから、中国軍閥政府への厳重抗議は、武力を背景とした強行なものだったでしょう。しかし、後に幣原外交で協調路線をとることによって、弱腰と見られ、更にエスカレートして排外主義の風潮は日本のみをターゲットにしていきます。

 この歴史の教訓を省みるならば、中国の暴虐に対しては、絶対に融和主義や強調主義を取ってはならない、ということになるはずです。中国はアメリカを仮想敵国にしていることは間違いありませんが、アメリカに対しては渋々でも賠償金を支払いました。アメリカの厳重抗議の後ろには圧倒的な武力の背景があるからです。日本は、「冷静に、穏便に」を繰り返すばかり。これでナメられなければどうかしています。

 「歴史認識」を言うならば、正確な「歴史事実」を元にした、教訓を引き出すべきであり、「侵略の反省」などした日には、骨の髄までしゃぶられるのが落ちです。中国の文明は、屍に鞭打つ文化であり、死肉を漁る文化です。死んだらみんな神様仏様だと全てを水に流す日本人とは全く異質な民族なのだということを肝に銘じておかないと、生き胆を抉り出されて喰らわれてしまいます。これは比喩ではなく、中国には、世界広しといえども中国にしかない、人肉料理のレシピがあるのですから。極限状態で飢餓の最中に人を喰らった、というのではありません。そうではないのです。中国のカンバリズムは、世界の恥部と言ってもいいでしょう。これだけを見れば、中国人というのは地獄の住人だと言うことが出来るでしょう。

 日本は、本当に幸いにして、東シナ海、対馬海峡、日本海で中国と隔てられてきました。地続きの朝鮮は、本当に気の毒だったと思います。彼等は、中国に影響されて、その恐るべき文化に毒されてしまったわけでしょう。中国が発祥の儒教も、日本にまで来れば浄化されて儒教という道徳学問に落ち着きました。中国本土では全く省みられない「仁」が、政治の理想として全てではないにしても、実現させていくことが出来たのが江戸時代の日本でした。

 日本には常に獅子身中の虫が居ます。現代においては中国の主張を鸚鵡返しに繰り返すかのような一部マスコミであり、また、中国の手先のような一部市民団体です。

 日本人は、常に政治に対して一種高踏的な無関心があります。それが最も悪く出てしまっているのが、政治が全くだめになってしまって今の現実です。政治がだめだと言ってしまえば、それまでですが、やはり、政治を立て直すために、間歇的に政治への感心が集中するのも、日本人の特徴です。今、その転換点にあると思われます。

 「日本人の劣化がはじまっている」とは、中西輝政氏の指摘したところですが、芯まで腐ってしまわないうちに、その腐食作用をもたらす原因を断ち切ることが重要です。反日ラプソディを、日本人覚醒の為の奇禍として、大いに活用して行きたいものです。

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2005年4月18日 (月)

「日本思想の源流―歴代天皇御製を中心に―」輪読ノート (4)

第八章 日本思想を西洋思想とくらべて

四 日本における歴史教育は「土器」の説明から始めるべきではない

※我が国における歴史教育の在り方への提言?@

・歴代の天皇がたの御事ならびに“大御心”については、それが歴史的真実なるがゆえに、これを咀嚼しな がら、ありのままに御歌そのものを提示して、幼い人びとの、大人たちよりもすぐれている情操で受けとめさせるべき。
・天皇についての教育では、何もしかつめらし理屈はいらない。それらのないほうが正しい知らせ方になる。

※我が国における歴史教育の在り方への提言?A

・土器類の持つ「生活文化」的意義に先立って精神文化の源流をさぐり当てるようにすることこそ、教育の本義。

・(土器から説き起こされている歴史教育では、)精神文化の源流を遡及していこうとする逞しい意欲が減退 し、精神文化の値打ちをわからなくさせてしまう恐れあり。

○人間としての価値を確認し得る原点は、やはり「話す」ということと、ついで「文字を書く」という時点に把えるべきもの。

○「言語」を発明し得たところから、人間の歴史を考えるのが、一番妥当であると考えたい。


「言語」のあるところには、自らそれなりの客観的な思想の形成を伴う。人間的情操と名づけられるものも、言語を介して相互理解の度合いを深めていったと思う。

※日本民族の精神的伝統を幼い後継者に伝達するのが歴史教育の使命

○日本民族は、地理的に大陸と隔離されていたばかりか、その気候も、四季の変化を幅広く伴って、人間の心情が豊かに―あらゆる異質文化を拒否しないほど豊かに―鍛えられてきているうえに、さらに、「一言語、一民族」という内容で、ながいあいだその文化的主体性を守り続けてきた民族。

○日本思想も、日本文化も、日本精神についても、すべてその中核的な性格は、恐らく、いま教えられてい る「生活文化」の初期時点よりも、はるかに遠く、かつ古いことであったにちがいない。

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2005年4月16日 (土)

反日ラプソディ

この2,3日、色々で、文章が書けませんが、世の中は何と無く騒がしいですね。

竹島問題では、韓国の都市と姉妹都市提携を結んでいるところは、色々と理不尽な思いをさせられているようで、岡山県では、抗議文が送られてきたそうです。

中国での反日デモについて、ラジオで、何となく気取った声の女性の学者が、インターネットの発達のためもあって、こうした動きになったのだそうで、世界中どこでも起る可能性がある、と、ノタマッていましたが、中国ではインターネットまで当局の厳重な監視下にあることをご存知ないらしい。

中国の反日旋風に怯えて、修学旅行をはじめ、旅行の予約が次々に解約されていることなどを報じていました。

どうも、中国をなだめるために、日本は歴史認識を正せ、と言いたいように見えて仕方ありません。

中国の若年層への反日教育による洗脳は、確かに恐ろしいと思います。それは、日本人に対しては犯罪行為も許される、という恐るべき発想に繋がっているからです。

日本における中国人犯罪にも、同様の傾向があるように見受けられますが、これも「過去の侵略の報い」だと、主張したい人々はいるようです。勿論、正面からはそんなことはいえませんが、真綿で首を絞めるような、いやらしい雰囲気がプンプン漂ってきます。

サイバー戦争も、今は、ホームページの書き換えなどという程度ですが(それも決して小さくありませんが)、更にエスカレートして、インフラに深刻な打撃を与えるような攻撃が仕掛けられないとも限りません。少なくとも、先方の良識を信頼にするには、根拠が余りにも薄弱です。

中国の反日デモは、当局がこれを反政府暴動に転化しないよう注意深くリードしながら、日本に対して、教科書、靖国、海底資源の開発、尖閣列島などについて、日本側に譲歩を迫るカードとして利用しているのではないかと思われてなりません。

何れにせよ、中・韓の狂騒には、とても付き合い切れません。竹島にしても、さっさと自衛隊を派遣して、専守防衛の個別的自衛権を発動して、取り返せばいいのです。それで韓国と全面的に対峙することになれば、それはそれでいいではないでしょうか。北朝鮮は、そのときは恐らく韓国に味方するでしょう。韓国と北朝鮮の連合軍が、対馬海峡を窺うことになるかも知れません。しかし、そんなことになったら、先ず韓国が北朝鮮に吸収されるのと同じことになるでしょう。北朝鮮は、虎の子の核兵器を使いますか?使わないでしょう。

中国に北朝鮮、この極度に反日的な国家が、二つながら核兵器を保有し、我が国の都市に照準を当てている可能性を否定できない現実。これに気付いたら、経済繁栄などと現を抜かすことは出来なくなるでしょう。気付いてみたら、国内はぐちゃぐちゃ、対外的にはぼろぼろにされるでしょう。既にそうなりつつあるように思えますが。

だらだらと書いてしまいましたが、要は、日本の場合、自分次第なのですから、かの国に対してより、我が国政府及び国民が、きちんと自らの道を切り開いていけばよいわけです。今ならまだ選択肢は数多くありますが、時を移すごとに枠が小さくなり、最後には、全くなくなってしまうことだってないとはいえないわけです。北朝鮮の人民のような境遇に陥らないために、今、何をすればよいのかを、明確に国民に示してくれる政治家が出てきて欲しいものです。

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2005年4月13日 (水)

「ローマ人の物語」を読みつつ

「人間ならば誰にでも、現実の全てが見えるわけではない。多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない。」(ユリウス・カエサル)

この言葉は、極めてシニカルな言葉だ。それでいて、事の真相を突いているように思う。
カエサルのことを見ると、共和制ローマの歴史は、この人物を生み出すためにあったように思えてくるし、帝政ローマの歴史は、この人物が体現したものを延長したに過ぎないように思えてくる。前後1千年以上もの繁栄と栄光を誇るローマという国家を体現するたった一人の人物を選びだせと言われれば、ユリウス・カエサルになるだろう。

現代世界において、情報が溢れていると言われている今の日本においても、「現実の全て」が見える人物というものは、先ず居まい。逆に、「見たいと欲する現実」だけを肥大化させるには、実に都合のよい時代になったものである。

「現実の全てが見える」ということは、単なる羅列的な知識の集積ではなかろう。また、そうしたものであれば、コンピューターというものが実に偉大な役割を果たしてくれる。

「現実の全てが見える」ということは、物事の本質を鋭く見抜く、と言い換えても良いのではなかろうか。そしてこればかりは、技術の進歩も、科学の発展も、どうすることも出来ないであろう。

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2005年4月12日 (火)

突然に…

とても、信じられないことばかり起ります。
また、大事な人が一人、亡くなりました。
この春はもう3人にもなります。やりきれない思いで一杯です。

生きてさえいてくれれば、たとえ行き違いがあろうと、何があろうと、また会って話すことも出来るチャンスはあるかもしれませんが、亡くなってしまっては、今生ではもうお目にかかることも出来ません。

何時何が起るかわかりません。

せめて、行き来のある人のことを、大切にして、日々を過ごして行きたいものです。

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2005年4月11日 (月)

広島で拉致講演会

昨日、広島で「北朝鮮よ、日本人を返せ」という緊急集会があり、拉致被害者家族の増元照明さんと、衆議院議員の西村慎吾さんが講演され、参加した。

増元さんは、拉致という国家犯罪を放置し続けた日本政府の体質について、厳しく批判した。国民を守るのが政府の最重要テーマではないのか。当たり前と思っていたことが、全く当たり前でないことに、気付かされた。
日本には人権に取り組んでいる団体が数多くあるが、その一つとして、拉致問題に取り組んでくれたところはなかった。日本には、未だに「真の人権」が育っていないことを痛感する。国から多額の援助を受けている「人権」団体が、本当に「人権」を守っているのか、疑問でならない。
政府が本気で動こうとしない。私達の国は、国民を守ろうとしていない、ということを学んだ。人権だけの問題ではない、この国のシステムの問題、この国のあり方の問題なのだということに気付いた。
最初は、金正日が敵だと思っていたが、途中からは日本政府こそが敵なのだということに気付いた。二年前に亡くなった父親が最後に言った「日本を信じろ」という言葉は、国民を信じろ、ということだと思う、と述べられた。
平和や自由という名の下に、何事も穏便に事を運ぶのが大事だという。しかし自分の意思表明をしないうちに、どんどん主権が侵食されている。今の日本という国がとても危険な状態にあることに、国民が早く気付かなければいけない。

大まかには、以上のことを話された。

会場は一杯だった。卑屈なマスコミの姿が目障りだった。なんでああ泥棒猫みたいな雰囲気なんだろう。「公正・中立」を標榜しながら、そうであった験しがあるだろうか。ジャーナリストにも、桜井よし子さんみたいな、高貴な精神を感じさせる人がいるが、おどおどしているか、横柄そのもののであるかという人が余りにも多い。

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「日本思想の源流―歴代天皇御製を中心に―」輪読ノート (3)

第八章 日本思想を西洋思想とくらべて

三 「神(かみ)」と「神(ゴッド)」の混同から来る現代日本における思想混乱の重大性について

日本 宗教的情操
西欧 宗教・宗教心、宗教の持つ思考

日本人=「宗教の持つ思考」によって「宗教的情操」をさらに鍛え上げ、磨き上げる。

佛教 大乗仏教として日本で開花

※明治期の重大な誤り

西欧の「ゴッド」を「神」という言葉に翻訳したこと。

→「ゴッド」の意味=「全知全能」「人はゴッドの子であって、決してゴッドになれないもの」

→「神」=日本人が心に画き、具体的に礼拝してきた神は、観念的に考え出された神ではない。
(全国津々浦々に祭られる神々)

→「古事記」に見られる神々
※西欧の多神教の神々とも趣を異にする。
※天然自然の天地万物ことごとくに神の名が冠せられ讃えられている。
⇒具体性の中に森羅万象の全てに感謝しながら生きてきたその感謝の思いそのもの。
⇒目で見、耳に聞くことのできる具体性のあるもの。
※人間の延長ともいうべき神々⇒親しみやすい祖先たち、欠点だらけ、共に是凡夫。
人の心そのものに恋愛し、泣き悲しみ、慟哭し歓喜し、「我執」の禽になり、
美しい「私情」の発露を見せる。
⇒人間の心情にあらわれる数限りない諸相を、分担して身につけておられる。

※人間の心情そのものを、大切にし、良いも悪いもなくこれを凝視し、亡き人びとの在りし日の“まごころ”を敬慕し憶念して、亡き人を「神」に「祀る」ことになる。

明治天皇御製 明治三十五年 「湊川懐古」

あた波をふせぎし人はみなと川神となりてぞ世を守るらむ

※現代の学問の混乱の根本原因
⇒日本人が日本の古典を読む基本的な力を既に失いつつあるのではないか。
⇒特に知識階層の中で、「天皇というものの価値が判らない」という声

※敗戦・占領下の更なる混乱

⇒マッカーサー総司令官…日本の天皇が「現人神」と呼ばれてきたことを取り上げ、その否定を天皇自ら宣言なさるべきことを主張。

⇒マッカーサー/「現人神」を現実の人間のゴッドと理解。日本の学者、政治家、官吏、新聞人などことごとく明治以来七十五年の「神」と「ゴッド」の混乱の中に過ごしてきたため、マッカーサーと同様にしか解せず。

⇒「神」という文字を巡る大変な誤解と認識不足。無知と不勉強。

「現人神」…天皇の“まごころ”を国民側から讃えた言葉。

「生きておられる方としては、他に比類なきほどの“まごころ”の持ち主であられる」との意味。

○天皇を語るには
歴代の天皇が具体的にお持ちになられたその“お心”をお偲びもうしあげること。
そのためには無数の御製を拝することが最も正確な方法の一つ。

○日本における祭政一致とは
歴代の天皇方がつねに皇祖皇宗の神霊をいつきまつられてきたこと
日日夜夜、二千年以上の歴史を一貫してご祖先の尊い志をうけつがれたこと
天皇政治の本旨=権力者流の権力依存のものと全く別のもの。

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日本人の神観について「古事記傳三之巻」(本居宣長)より―その5―(了)

まして善きも悪きも、いと尊くすぐれたる神たちの御うへに至りては、いともいとも妙に霊く奇しくなむ坐シませば、さらに人の小き智以て、其ノ理リなどへのひとへも、測り知らるべきわざに非ず。たゞ其ノ尊きをたふとみ、可畏きを畏みてぞあるべき。

【迦微に神ノ字をあてたる、よくあたれり、但し迦微と云は體言なれば、たヾに其物を指シて云のみにして、其事其徳などをさして云うことは無きを、漢国にて神とは、物をさして云のみならず、其事其徳などをさしても云て、體にも用にも用ひたり。たとへば彼ノ国書に神道と云るは、測りがたくあやしき道と云ことにて、其道のさまをさして神とは云るにて、道の外に神と云フ物あるには非ず。然るを皇国にて迦微之道と云へば、神の始めたまひ行ひたまふ道、と云ことにこそあれ、其道のさまを迦微と云ことはなし。もし迦微なる道といはゞ、漢国の意の如くなるべけれど、其もなほ直に其道をさして云にこそなれ、其ノさまを云にはならず。書紀に神剱神亀などある神ノ字も、漢文の意に其徳をさして云るにて、あやしきたち、あやしきかめと云ことなれば、迦微とは訓ムべからず。もしカミタチカミガメなどよむときは、たゞに剱をさし亀をさして、迦微と名くるになるなり。凡て皇国言の意と漢字の義と、全くは合いがたきも多かるを、かたへに合ハざる処あるをも、大方の合へるを取て、當たるものなれば、その合ハざる所のあることを、よく心得分クべきなり。又漢籍に、陰陽不測之謂神、とあるは気之伸者為神、屈者為鬼、など云るたぐひを以て、迦微を思ふべからず。かくさまにさかしだちて物を説くは、かの国人の癖なりかし。】


 ましてや、善くも悪くも、大変尊くて優れた「かみがみ」のことに至っては、とてもとても霊妙で奇妙なことが多くあるのであって、人間のさかしらな小さき知恵で、「かみ」の道理など、その片鱗さえも、そうやすやすと推し量り知ることなど出来るものではないのだから、ただ「かみ」に対しては、尊いものを尊ぶこと、畏るべきものを畏れることしか、人間に出来ることはないのだ、という。

 前段の続きであり、賎しき「かみ」においてさえ、化かされることもあるのに、尊く優れた「かみ」に至ってはとても人間がどうこうできるものではないのだということになるが、現代人は、こうした意識を、未開と蔑んで、正に「神をも畏れぬ所業」を繰り返している。さて、そうした人々は、一端全てを征服したような気になるかもしれない。しかし、「文明病」とも呼ばれる大いなる歪みが、いつの間にか増大して、人類の生存そのものを脅かしつつあることは、畏れを喪った人類に対する、当然の報いだということにもなるだろう。「未開」の論理では間違いなくそうなる。一体、どちらが未開でどちらが文明なのか、わからなくなる。

 何れにせよ、宣長は、「かみ」のはたらきや、「かみ」との付き合い方は示したが、「かみ」というものが一体何であるか、ということについては、全く解き明かすことは出来なかった。それほど古来から付き合ってきた「かみ」というものを、いたずらに、中国伝来の「神(シン)」や西洋伝来の「ゴッド」あるいはマホメット以来の「アッラー」を現す言葉として使うことが果たして正しいのか、といえば先ず間違いなく正しくない。

 宣長にとって眼前にあった言葉は「神(シン)」であったから、この言葉について、批判を加えている。大まかにいえば、「かみ」に「神」をあてたことは当たっているが、日本の言葉の意味と、漢字の字義とは、全てピタッとはいかないところも多いのであって、そのピタッと行かないところに心を配ってよく考えることが、日本の本来の道を明らかにする道なのだと、宣長は述べた。

 日本人には、「かみ」を敬い祭ることは出来ても、「かみ」を議論するなど僭越の沙汰ということでしかない。その線を越えた後に待っているものは「思い知る」ことだったのではなかろうか。この感覚は、決してなくなってはいないと思うけれど、伝統や慣習の中で伝えられた正しい向き合い方については、深い断絶が出来てしまったことは否めないところだ。

 果たして、それが日本人の精神荒廃と直結しているものか否かは、興味ある問題である。

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2005年4月10日 (日)

「教育正常化への道」ご紹介 その1

「教育正常化への道」

この本に、類書はない。

正に、陳勝・呉広の書である。

教育の現状を憂える本は汗牛充棟、枚挙に暇がない。
そして、くず本もあるが、多くの良書がある。

しかし、それらの書は、肯定するにしても、否定するにしても「戦後教育」を前提として書かれていることで共通している。

結果として、部分的に「戦後教育」の弊害を乗り越える道は示せても、「戦後教育」体制そのものを、根本から覆すだけの戦略がなかった。

肯定する立場からしても最初から思考の枠組みが限定されていることが明らかであるから、教育が崩壊していく現実に対して有効な戦略を提示することは出来て来なかった。

この書は違う。

「イギリス」という鑑を使ってはいるが、「戦後教育」=教育基本法体制の枠組みに囚われずに、教育崩壊を食い止め、かつ教育再生を成し遂げるための抜本的・具体的な戦略を提示している。具体的に即座に政策立案に移せるものばかりである。

教育基本法改正の論議は、ともすると観念的・抽象的になり、誹謗中傷合戦になり易い。事実なっている。

しかし、泥試合をしている暇が、もう残されていないという認識では、少なくとも改正を求める側では一致しているように思われる。

反対している勢力は、例外なく、戦後教育から利益を得てきた人々である。教育を喰いものにし、子供たちの未来を喰い散らかしてきた連中だ。
「子供を喰らう教師たち」という本を見て、その惨状に、涙が出た。振り返って、自分の中にも、教師に対する強烈で激しい憎しみが、ある。恩師と呼べるごく小数の先生方も居ないではないが、心の中はずたずたに引き裂かれているといっていい。

しかし、恨み辛みで、教育基本法改正に賛成しているわけではない。

現行教育基本法は、その根本において間違っているからだ。そして、抜本的な改革なくして、教育の再生は有り得ず、教育の再生なくして、日本という世界にただ一つしかない、この貴重な国が、我が祖国が、存続することが、不可能であるからだ。

その意味で、この書は、「警醒の書」ではない。「救国の書」である。

何度かに分けて、概要を紹介して行きたい。

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日本人の神観について「古事記傳三之巻」(本居宣長)より―その4―

大かた一むきに定めては論ひがたき物になむありける。

【然るを世人の、外ツ国にいはゆる佛菩薩聖人などと、同じたぐひの物のごと心得て、當然き理と云ことを以て、神のうへをはかるは、いみじきひがことなり。悪く邪なる神は、何事も理にたがへるしわざのみ多く、又善キ神ならむからに、其ほどにしたがひては、正しき理のままにのみもえあらぬ事あるべく、事にふれて怒り坐る時などは、荒びたまふ事あり。悪き神も、悦ばゞ心なごみて、物幸はふること、絶て無きにしもあらざるべし。又人は然はえ知らねども、そのしわざの、さしあたりては悪しと思はるる事も、まことには吉く、善しと思はるる事も、まことには凶き理のあるなどもあるべし。凡て人の智は限りありて、まことの理はえしらぬものなれば、かにかくに神のうへは、みだりに測り論ふべきものにあらず】

 大体こういうものだ、などと、一定の枠組みに押し込めることはむずかしいのが「かみ」というものなのだ、と宣長は言う。

 それなのに、世間の人は、外国の仏や菩薩、聖人などというものと同じ類のものだと勝手に勘違いして、それらと同じ尺度で「かみ」のことを推し量ろうとすること自体が、大変な誤りなのだ。悪くて邪まな「かみ」は、何といっても理屈や理性などで活動しやしないし、善い「かみ」であっても、正しい道理の通りにばかり従っているというわけでもなく、事によっては怒ってり、荒れ狂ったりするのだ。理屈だけで通用するような単純な相手ではないわけです。悪い「かみ」であっても、悦んでいるときには心が和んで、幸を恵んでくれることも全くないわけではない。また、凡人には知ることが出来ず悪いことが起ったと思っても、よくよく時が経って振り返ってみれば吉きことであったということもあり、善いことだと思っても、よくよくつきつめていくと悪いことにつながっていたりすることもあるのだ。人間の知力には限りがあって、本当の道理というものは知ることが出来ないものであるのだから、「かみ」について、あーでもないこーでもないと、みだりに推し量って議論するものではないのだ。

 宣長の言うことは、実に、庶民の知恵的なことのように聞こえる。そして、「かみ」との付き合い方については、ここに述べてあるとおりに、昔からしてきたのだということは紛れもない事実なのだと思われる。

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2005年4月 9日 (土)

子規 〜その10〜 子規の横顔 〜明治32年の短歌〜

なぜか、子規は横顔として知られている。

siki_yokogao

さて、明治32年の歌を見てみたい。

   絵あまたひろげて見てつくれる

なむあみだ佛つくりがつくりたる佛見あげて驚くところ
もんごるのつはもの三人二人立ちて一人すわりて楯つくところ
岡の上に黒き人立ち天の川敵の陣屋に傾くところ
あるじ馬にしもべ四五人行き過ぎて傘持ちひとり追い行くところ
木のもとに臥せる佛をうちかこみ象蛇どもの泣き居るところ
うま人の裾濃のよそひ駒たてて遠くに人の琴弾くところ
かきつばた濃き紫の水満ちて水鳥一つはね掻くところ
いかめしき古き建物荒れはてて月夜に獅子の壇のぼるところ
屋根の無き屋形の内に男君姫君あまた群れゐるところ
看板にあべかは餅と書きてあり旅人二人餅くふところ

 病床に臥せる子規にとって、また写真などそれほど普及していなかった当時にあって、絵を見ることは、世の中とのつながりを確かめる、大切なよすがであったろう。
 それにしても、元々絵画的な描写に長ける子規にとって、絵を見てつくる歌は、見たままを詠むものであり、それでいて人を飽きさせないものを持っていた。「ところ」という最後の結句を揃えて、全体で大きなリズムを作り出しているが、絵を広げて楽しむ子規の姿が浮かんでくるように思われる。

 さて、またこの頃の子規は、歌会を開いて和歌の研究に余念がない。

   三月十三日秀真へ
明日は君だち来ます天気善くよろしき歌の出来る日であれ
我が庵に人集まりて歌よめば鉢の菫に日は傾きぬ

 また、友との交流も盛んである。友へ送る歌が幾つも載せられてある。また、かえした歌も幾つもある。歌のやりとりをすることで、歌本来の「心をつなぐ」というはたらきを実際に試みているかのようである。

   秀真を訪ひし後秀真におくる
牛を割き葱を煮あつきもてなしを喜び居ると妻の君にいへ
我が口を触れし器は湯をかけて灰すりつけてみがきたぶべし

 次のような歌はまた楽しい。電報のようでもある。

   三月十三日麓へ
十四日お昼すぎより歌をよみにわたくし内へおいでくだされ

 また、歌会でつくった歌を選ぶ作業だろうか。秀真氏に依頼するに当たり、和歌で注意を促している。これなどは、「写生」という子規の作歌態度を示したものといえるかもしれない。そしてまた、このように歌によって伝えられたということは、歌会の中で「写生」ということはよく話されていたのであろう。

   四月二十四日秀真へ(四首のうち二首)
青丹よし奈良の佛もうまけれど写生にますはあらじとぞ思ふ
天平のひだ鎌倉のひだにあらで写生のひだにもはらよるべし

 そして、この時期、実朝への思いは更に強くなっているように思われる。

   金槐和歌集を読む
人丸の後の歌よみは誰かあらん征夷大将軍みなもとの実朝
大山のあぶりの神を叱りけん将軍の歌を読めばかしこし
路に泣くみなし子を見て君は詠めり親もなき子の母を尋ぬると
はたちあまり八つの齢を過ぎざりし君を思へば愧ぢ死ぬわれは
鎌倉のいくさの君も惜しけれど金槐集の歌の主あはれ

 この頃既に「歌よみに与ふる書」を世に出し、世人を驚かし、かつは物議をかもしながら、論争に挑み、一歩も引かずに戦っている。

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遊女幻想 性に関する論考1

以前、この問題についてまとめてみようと思って書いたメモの一部です。考えが熟すこともないようなので、アップしてみます。大方のご批判を賜れば幸い。


性に関する論考1

遊女幻想

現代日本社会の病理の根源

 日本において、性は歴史的、文化的にいかなる地位を占めてきたのであろうか。日本の歴史は社会史的に見て、幾つかの大きな転換期がある。第一は神話的古代社会から中国文明の影響を受け入れた律令国家への変換。次には律令制の崩壊・変容が進行したいわゆる平安末期から足利後期にいたる中世。そして戦国・安土桃山時代を経て迎える近世。そして幕末維新を経た近代、そして敗戦から今に至る現代である。

こうした流れの中で、性がどのように扱われてきたのかは、日本人がどのような性愛観念を抱いてきたのかという問題でもある。

女性差別をなくすという、ひとつの政治的な運動の視点から、女性差別の淵源を、売春という、性を鬻ぐ女たちの存在が、社会的・文化的に強制されたという、前提を立てて、批判的に見ていくというやり方がなされていった場合、それは歪められずにありのままの姿を現すことになるのだろうか。

現在の問題から考えを起こして行きたいと思うのだが、殆ど性交奨励教育と化している現在の過激性教育の問題は、いわば、ウーマンリブ運動による女性解放の極北として捉えられる。

野放図と化した性の氾濫の中で、性被害にあわないためにという予防的な措置であると主張されながら、それが却って性への意識づけになるということにつながっている。

鶏と卵の論になりそうだが、ことはそう簡単ではない。

単純に、あるいは善意によって、性教育を推進しなければならないと信じている知識階級の女性は多いやに見受けられる。

しかし、極めて近視眼的な対処療法的性教育がなされることによって、それが必要となる性の氾濫が一層加速化されるという事態が引き起こされる。これを単に悪循環と言えるだろうか。

性教育をしなければ、望まない妊娠や、性病罹患という最悪の結果が子供たちにもたらされると主張する。

では、一律になされる性教育は、性の氾濫という現実を前提としてなされることによって、一層その前提とされた性の氾濫という事態を普遍化するのに役立つということになるのである。

性は極めて根源的な人間の営みであり、それぞれの文化の中でさまざまに捉えられている。

女性差別が、売春という、性を売り物にするところから発すると考えた場合、売春を「悪」として捉えることになる。確かに売春が道徳的に「善」として捉えられたことはなかったかもしれない。

売春は、人類の発生と共に生まれた職業である、といわれるほど根源的な営みである。ここで食い物にされているのは、果たして女なのか。あるいは、なけなしの金を一夜の情交によって巻き上げられる男なのか。

売春婦は、社会的に底辺の身分とされたことは間違いないが、そうとばかりも言い切れないことは、社交界において上流階級へのステップになることも有り得たケースが洋の東西を問わず、実に多くの例があることからも知られる。

ことはそれほど単純には行かない。

人間にとって、性の営みとは一体どのような意味を持つものであろうか。

それは大きく二つに分けられる。一つは子孫を残すための営みである。もう一つはそれによって得られる快楽を得るための営みである。

快楽とは何か。身体と分かち難いこの人間にとっての根本的な属性は、性行為によってのみ得られるものと、それ以外のものとがあるかもしれない。

人間の基本的な本能は性欲、食欲、睡眠欲であるとされる。

人間は食べなければ生きていけない。眠らなければ生きていけない。
また性交をしなければ、次の世代を生み出すことは出来ない。しかし、こればかりは一人では出来ないことである。

遠大なテーマである。

性は、一個人の問題であると同時に、人類全体の問題でもある。

最も私的な問題であると同時に、最も公のものである。

これに向き合うに如何にすべきなのか。

これを難問題として受け取る必要もなく、生きている人がいるならば、それはある意味羨むべき存在である。と同時に、詰まらない存在である。

これを知的に捉えようとすることには、無理があるのかもしれない。

人間の心の営みの総合力が試される場であるのかもしれない。

いや、あるいは即物的な問題であるのかもしれない。

人間同士は永遠に分かり合えないという、観念。それに耐えられずに、神というものを作り出した。

しかし、神話はそのようなものではない。

神話にある、大らかな、神々の営みこそ、人間の理想ではなかろうか。

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日本人の神観について「古事記傳三之巻」(本居宣長)より―その3―

抑迦微は如此く種々にて、貴きもあり賤きもあり、強きもあり弱きもあり、善きもあり悪きもありて、心も行もそのさまざまに随ひて、とりどりにしあれば、

【貴き賤きにも段ゝ多くして、最賤き神の中には、徳すくなくて、凡人にも負るさへあり、かの狐など、怪きわざをなすことは、いかにかしこく巧なる人も、かけて及ぶべきに非ず。まことに神なれども、常に狗などにすら制せられるばかりの、微き獣なるをや。されど然るたぐひの、いと賤き神のうへをのみ見て、いかなる神といへども、理を以て向ふには、可畏きこと無しと思ふは、高きいやしき威力の、いたく差ひあることを、わきまへざるひがことなり。】


 そして、こうなってくると、「かみ」というものには、様々な種類があるので、貴いものもあり、賎しきものもあり、強いものもあり、弱いものもあり、善なるものも悪なるものもあるということになってきます。その神の心も行いも、それらの様々な種類に従って、とりどりのものであるのだ、と宣長はいうわけです。

 最も賎しき神の中には、凡人にも劣るものがある、という指摘は面白いことです。賎しいというのは別に身分のことではありません。ここでは狐のような「怪しきわざをなす」ことがあっても本来獣であれば人間には劣るのだ、という認識でしょう。しかし、こうしたうわべだけを見て、あらゆる「かみ」を理屈で撃退しようと思うのは、誤りであり、その威力には大変な差があるということを知らない偏見だというのです。信心など迷信だ、という人は昔もいて今もいるが、恐れを知らない所業に出ることもまた同じであったでしょう。しかし、やがては罰があたるぞ、というのも、庶民の素直なる心の中に生きていた感覚であったと思われます。傲慢を戒めた言葉であったのでしょう。

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2005年4月 8日 (金)

「ローマ人の物語」徒然

塩野七生さんの書いた「ローマ人の物語」を、文庫本で読もうと思って、続きが出るのを楽しみにしている。

今、3回目を読み返しているところだが、何度読み返しても面白く読めるということは、この本が本物であることを示していると思う。最近の本は一度読めばそれで充分、というものが余りにも多すぎる。または、一度目を通すこと自体が時間の無駄だったと感じさせるものまである。悪書の出版は殆ど犯罪だと思う。

まあ、言論の自由は大切なので、何を書こうが勝手であり、それを読んで感心する人もいるのだろうから、余り悪口は言わないでおくが、表紙などで興味を引いて、買わされて、読んでみたら駄目だったというのはいただけない。まあ、見る目がないのが悪いので、その本代は、悪いものを見分ける目を培うための勉強代とでも考えるより他はない。アマゾンなどで買えば、それをすぐさま売りに出して、元を少しでも取り戻して、少しはましな本に廻せるかもしれない。以前は古書など二束三文もいいところだったので、これは技術の進歩が本読みに味方していると言ってよいと思う。

「ローマ人の物語」にもどるが、今出版されているのは、初代皇帝アウグスツスの治世までだ。ハードカバーではもうあと一冊で完結というところまで来ているのだが、文庫はまだまだだ。文庫で読もうと決意しているので、ハードカバーは立ち読みさえしていない。最初に読んだ部分は、「勝者の混迷」の上下だった。初めて、グラックス兄弟が何故偉大だったのかがわかった。それから、「ローマは一日にして成らず」を読み、「ハンニバル戦記」を読んだ。「ユリウス・カエサル ルビコン以前」「ユリウス・カエサル ルビコン以後」を読んで、なるほどカエサルとはこういう人物であったか、と合点が行った。

考えさせられるところが随所にあることが、この著書の魅力だ。モンタリネの「ローマの歴史」を読んで、それと「パクス・ロマーナ」を読み比べて、ユリアに対する評価というか読みが格段に差があることに気付いた。モンタリネの記述では単なるあばずれ女としてしか記されていないユリアの凶状を、同じ女性だからわかることもあるのかもしれないが、皇帝アウグスツスの血統への執念がもたらしたものと見たのは卓見だと思った。

優れた作者に共通する、人間存在への深い理解と、暖かな眼差し、透徹した判断というものが全編を貫いている。

今、読み返している部分は、「ハンニバル戦記 中」のカンネ会戦の後のところだ。ローマが強敵ハンニバルに完敗を喫した後、この国難をどう乗り切っていったのか、という部分に入っていく。浮き足立つことなく、内攻して自滅することなく、敗北は敗北として受け止め、己を知り敵を見定め、今の現状からどう活路を切り開いていくのか、決して夢を見ることなく、着実に実行していったローマ人の姿を描いている。

僕の興味は、何故、このように現実的で尚且つ実力もあるローマが、後年、キリスト教化したのか、という点である。

山本七平氏が、「禁忌の聖書学」に、同じ疑問を挙げて、解らないと記していた。

これは、同じ時期に、儒教が漢帝国の国教化していったことと似ているのか、違うのか。このような比較は単なる興味を超えて、関心がある。

宗教と政治。現代は、むしろ古代ローマに帰りつつあるようにも思われる。しかし、政治思想が代替宗教だとすれば、その弊害はむしろ宗教そのものの政治に及ぼした害以上のものがあるかもしれない。

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さくら さくら

今日は、色々とものを思うことの多い一日でした。

 うらうらと照れる春日に雲雀揚り心かなしも一人し思へば

とは大伴家持の歌だったと思いますが、不思議とこのような心持になります。

桜の花が咲いて人がぞろぞろと桜の下に集まる。

花に誘われるという表現そのままの現象が、町のあちこちで見られます。

 おとめらの かざしのために、遊士(みやび)をの 蘰(かずら)のためと、敷きませる、国のはたてに 咲きにける、桜の花の にほひはもあなに(若宮年魚麿)

万葉集の中で桜をよんだ歌から一首。名前からして本当に一般庶民が詠んだ歌のようです。

古今和歌集を全編アップしてくれている人がいます。
 桜の歌は、古今集で見るのが一番いいかも知れません。

有名な、

 敷島の 大和心を 人問はば 朝日ににほふ 山桜花

について、この歌は、「桜はいいなあ」という心を詠んだものだ、と小林秀雄氏は言いました。

本当に、桜はいいですね。

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日本人の神観について「古事記傳三之巻」(本居宣長)より―その2―

さて凡て迦微とは、古御典等に見えたる天地の諸の神たちを始めて、其を祀れる社に坐す御霊をも申し、又人はさらにも云ず、鳥獣木草のたぐひ海山など、其餘何にまれ、尋常ならずすぐれたる徳のありて、案畏き物を迦微とは云なり。

【すぐれたるとは、尊きこと善きこと、功しきことなどの、優れたるのみを云に非ず。悪きもの奇しきものなども、よにすぐれて可畏きをば、神と云なり。さて人の中の神は、先ヅかけまくもかしこみ天皇は、御世ゝゝみな神に坐スこと、申すもさらなり。其は遠つ神とも申して、凡人とは遥かに遠く、尊く可畏く坐シますが故なり。かくて次ゝにも神なる人、古へも今もあることなり。又天ノ下にうけばりてこそあらね、一国一里一家の内につきても、ほどほどに神なる人あるぞかし。さて神代の神たちも、多くは其代の人にして、其代の人は皆神なりし故に、神代とは云なり、又人ならぬ物には、雷は常にも鳴ル神神鳴リなど云へば、さらにもいはず、龍樹霊狐などのたぐひも、すぐれてあやしき物にて、可畏ければ神なり。木霊とは、俗にいはゆる天狗にて、漢籍に魍魎など云たぐひの物ぞ。書紀舒明ノ巻に見えたる天狗は異物なり。又源氏物語などに、天狗こだまと云ることあれば、天狗とは別なるがごと聞ゆめれど、そは當時世に天狗ともいひ木霊とも云るを、何となくつらね云るにて、實は一つ物なり。又今俗にこだまと云物は、古へ山彦と云り。これらは此に要なきことどもなれども、木霊の因に云のみなり。又虎をも狼をも神と云ること、書紀萬葉などに見え、又桃子に意富加牟都美命と云名を賜ひ、御頸玉も御倉板挙神と申せしたぐひ、又磐根木株艸葉のよく言語したぐひなども、皆神なり。さて又海山などを神と云ることも多し。そは其ノ御霊の神を云に非ずて、直に其ノ海をも山をもさして云り。此らもいとかしこき物なるがゆゑなり。】


まず、「かみ」とは、古典などに見える天地緒神をはじめ、それを祭る神社などの御霊をも指し示す言葉であり、更には鳥やけだもの、木や草、海や山など、それがどのようなものであっても、普通ではなく、特別に異常に優れたところがあって、「畏」を抱かせるものを「かみ」と言い習わしてきた、というわけです。

 その優れているという意味は、尊貴であることや、大きないさをしがあることなどを意味するとうだけでなく、悪いものでもあやしいめずらしいものも、世の中には普通見られない「畏」なものを、「かみ」と言っているのだというわけです。つまり、「かみ」に善悪はない、ということです。

 また、人の中にも「かみ」と称される人がいて、その筆頭には勿論「天皇」がおられ、代々の天皇陛下は全て「かみ」であられることは言うまでもないことだ、と宣長は言っています。これは当たり前のことだと言っているその口振りには何の無理もありません。ここでいっている「かみ」とは、「神」でも「GOD」でもなく、日本人にとっての「かみ」なわけです。このことをしっかりと日本の知識人が踏まえてさえいれば「天皇はかみだ」という言葉をアメリカ人が「エンペラー イズ ザ ゴッド」と誤解したことを鋭く指摘し嗜めればよかったのですが、明治以後あるいは敗戦後の日本の知識人には、この見識は地を払ってしまっていたことは、かえすがえすも残念なことであります。

 「かみ」と申す人は、昔も今もあることで、家のうちにも「山の神」(妻たる女性)がいるものです。宣長は、神代の神たちも多くはその代の人のことであり、皆が神であったから、神代といったのだ、というのだ。更に、人でなくても、雷、龍、樹、霊、狐などであっても、「すぐれてあやしきもの」であって「かしこ」ければ神なのだった。天狗や魍魎などもその類ということになります。

 木霊、山彦もそうであり、虎や狼を神と言うことも書紀万葉に見えている。桃も神であり、首にかけた勾玉も神である。「磐根木株草葉」がよく言葉をしゃべったというのも、みな神なのだということでしょう。海や山などを神ということも多くある。その場合には、神が宿っている海、山、という意味ではなく、海そのもの、山そのものが神なのだというわけだ。これらも「いとかしこきもの」であるがゆえに。

 こうみてくると、「八百万の神々」とは、およそありとあらゆるものが神である、ということになってきます。これで「かみ」という言葉を定義しようとしても、とても出来るものではない、と宣長が冒頭に述べるのもムベナルかな、といえましょう。

 しかし、日本人ならば、感覚として、何となく解るのではなかろうか。勿論、信じているのか、と正面切って聞かれれば、いえとんでもない、と否定するだろうが、そう感じることを理解出来る人はまだまだ多いと思われます。試みに各人己の胸に問うてみることにより、それを知ることも出来るかもしれません。

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2005年4月 7日 (木)

日本人の神観について「古事記傳三之巻」(本居宣長)より―その1―

迦微と申す名義は未だ思ひ得ず。

【舊く説ることども皆あたらず。】


本居宣長の畢生の大著「古事記傳」は、太安万侶が勅命により編纂してから、直ぐに読めなくなった「古事記」という書物を、初めて読み解いたものであることは周知の事です。文字のない時代の言い伝えを、文字によって伝えることの困難については、江藤淳氏が「ことばとこころ」という講演で丁寧に説いておられますが、文字の便利さと共に喪われてしまったものがあったことはいたし方ないことではありますが、残念なことでした。外来の全く異質な文明の所産である漢字という文字が伝わってきたとき、これをどう扱うかということは極めて重大な課題であったでしょう。漢字による教養は、高度な文明は伝えてくれはしても、祖先伝来の文化とは本来何の関係もないものです。しかし、その本来何の関係もない文字のある文明と、語り部により伝えられてきた口伝えの伝承が、未開野蛮のものとして消えてしまわなかったのは、ひとえに古事記編纂という事業によるわけです。太安万侶が苦心して、漢字という道具を使って、漢字の意味とは全く関係のない、音だけを利用して、言い伝えの言葉そのものを残した。ところが漢字本来の意味からすれば全く滅茶苦茶なもので不思議なる書以外の何者でもなかったわけです。

 「かみ」という言葉も、太安万侶によって伝えられた、日本の太古からの言葉の一つであり、それは、中国の「神(シン)」とも違い、勿論「GOD」とも違う、日本人のオリジナルのものだったわけです。しかし、その「かみ」とは何を指すのか、宣長もついにその言葉の意味を納得ゆくまで考えきることはできなかった、ということを冒頭で告白しているわけです。【 】内は、本居宣長自身の注のようなものですが、それまでに説かれた様々な説には皆目を通したが、どれも納得できるものはなかった、と述べているわけです。

 最初に解らないと言っているのだから、それ以上はつけたしに過ぎないわけですが、その思いめぐらしてついに解らないが、この「かみ」という言葉はこのように使われてきた、ということを通して、言葉それ自体に至ろうとする努力の後が、以下の論考になっているのだと思います。

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2005年4月 6日 (水)

日本人の神観念について・・・本居宣長に学ぶ

「日本思想の源流」を読み解く補助として、本居宣長が「神」をどう考えていたかを踏まえておくことは意義あることだと思い、「古事記伝」から、抜粋して、解説を加えてみた。もとより思うがままに記したことであるので、思い違いもあるかと思うけれど、ご批判を賜れば幸い。その1からその5までを、順次紹介します。

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雑感

営業職などでは恐らく膨大な人と会うのだろう。人間が鍛えられるわけである。
今日は10人位に会うだけでも、結構疲れた。

人が一生に会う人の数は精々2万人が限度で、大体見知った同士となれる人は数千人が限度であろう。(何かで読んだ数字だが、確度のほどは定かではない)

人が切実に、付き合う人の数というのは、存外少ないものだ。真剣に愛したり、憎んだりする相手というのはどうしたって限られる。起きて半畳寝て一畳という俗諺は、確かに人間という存在の在り様を端的に示していると言えようか。

間接的に知られる人というのは、これは際限がないかもしれない。アメリカの大統領ともなれば、世界の5分の1位の人は知っているかもしれない。宗教に関する人物ならばイエスキリストや、マホメットなどは、少なくとも現在生きている人類の間でも10億人単位の人々に知られていることは間違いないであろう。

しかし、凡人には、そんな気遣いは無用である。やがて死んで100年もしないうちに忘れられるのがオチだ。それでも、切実に生きたということそのものには何がしかの意味があるであろう。少なくとも本人にとって、掛替えのない人生であるはずであり、そのように生きられれば、他の人がどう言おうとも、以て瞑することが出来るのだろう。

この春先は、知っていた人が次々と亡くなり、古風な言い方をすれば、人生の無常を感じた。

遠藤周作は、「沈黙」の中で、日本人は、無常の中に安住できる民族だ、という意味のことを言っていたが、芭蕉が、月日は百代の過客にして、行き交う人もまた旅人なり、と述べた言葉も結局は無常に生きる人の姿を活写したといえよう。人生は仮の宿りに過ぎない、ただし、その仮の宿りを精一杯生きるのもまた人としての務めであるという感覚は、恐らくは日本の庶民の道徳感情ではなかったろうか。

精一杯生きる、という意味は、誠を尽くす、ということだろう。誠とは、まごころということであり、そのままの、ありのままの心ということだろう。こういうと、不道徳に陥っても問題ないと思われそうだが、人間の心というものが、本然の姿では実に自然に道にかなった生き方を求めるものである、という信頼を持つことも出来たのではなかろうかと思われる。

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2005年4月 5日 (火)

書店徘徊の楽しみ

 小学生の頃から、書店を徘徊するのが楽しみだった。それも大きな書店であればあるほどその楽しみは大きいのだ。ほぼあらゆる分野のあらゆる本を手にとっては眺めた。手にとらなくても背表紙を辿るだけでも不思議と心躍った。

 東京なら神保町の古本街や書泉グランデ、三省堂などはお気に入りだった。高田馬場の古本市や新宿の京王プラザなどでの古本市などに足を運ぶことは心躍るときだった。

 今も、近くに大きな書店がある。週に一度はぐるぐると歩くようにしている。様々な書物が語りかけてきてくれるようで楽しい。そんな中で、出会うべくして出会うような本がある。そんなときは本当に嬉しい。

 ファウスト的な願いを持ったことがある。世の中にある全ての本を読破したいという、儚い夢だ。全知全能は物理的な制約を宿命的に負う人間には到達することの出来ない境地である。何が真理であるのか、ということを求めたとき、それを本当に見定めるためには、全ての書を読まねばならぬ、しかしそれは不可能であるから、人間には真理というものは解らないものである、ということを考えたことがある。更に、自分が今正しいと信じていることが、本当は全く間違ったことであるのかもしれない、それを突き止めることは不可能なのだから、自分が正しいなどと思うことは金輪際出来ない、という考えに陥ったこともある。これも儚い夢である。
 人間は、何かを信じることによって、かろうじて生きることが出来る。何も信じない、という人に限って余りにも多くの信仰を持っているものだ。ある意味、ものを疑うことができるのは本当に、自覚的に信じることの出来る人なのではなかろうか、と思う。
 西洋文明、あるいはイスラム文明が、全知全能の神を持ち、その前に絶対服従するという信仰を持ったことは、人間という余りにも制約の多い存在が、その限定を打ち破るための一つの方法だったのかも知れない。全知全能の神というものが存在することを前提にしなければ、人間はどこまでも傲慢になれる。それは愚かな蛙のように腹を膨らませて、やがて自分で破裂してしまうしかないのだろう。これは、ある意味、信仰を失った現代科学技術文明の姿ではないか。

 全知全能、という思想は、一体セム族の宗教の特異な産物だったのだろうか。絶対、という思想とも違う。

 書店の書棚の列の間を歩きながら、背表紙を眺め、色々なことを思う。勿論、ここにある書物は、全世界で出版されているもののごく一部に過ぎない。たとえこの書店の全ての書を買うことが出来て、読むことが出来ても、全体からすれば微々たるものに過ぎないだろう。

 だから、学者というものは、自らの分野を設定して、更にテーマを創設し、それに絞って資料としての活字を探すのだろう。そして、そのテーマに限っていえば、それを読破することも不可能ではなくなる。第一人者にもなれるのだ。だからと言って、それが正しいか間違っているかということに対する、最終的な判断を下すことが、果たして出来るのだろうか。限られた人間の知性によって、そんなことが可能なのか、といった問いは残る。

 そんな不可知論ばかりで生きていくことは出来ない。だから人間は、信仰によって生きることを得るのだ。信じるということに真面目に向き合えないものは、ものを真面目に考えることも出来ない。そんな過激な言葉さえ浮かんでくる。

 そして、信仰、あるいは直観、といったものは、やはり、この限られた人間の知性の世界を超えたところからやってくる、ということを、承認する以外にない。直観などといったものは信じられない、自分は科学的に論証されたことしかしないのだ、という人がいたなら、その人は、決して生きることが出来ないだろう。なのに生きているということは、どこか根本的なところにおいて自分を欺き、他者を欺いているのだろう。こうした科学信仰のたちの悪さは、信仰など軽蔑している人に起る病だからである。

 書店を巡りながら、そうした病にかかった本にもたくさんお目にかかる。そうした本にはなるべく近づかないようにしながら、直観に導かれた、優れた人の言葉に出会うことは、本当に楽しいことだ。

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2005年4月 4日 (月)

「日本思想の源流―歴代天皇御製を中心に―」輪読ノート (2)

第八章 日本思想を西洋思想とくらべて

二 日本人も西洋人も、人の??心?≠ゥら「我執」というものは離し切れない、と同じように認識したのだが

   ○「利己心」「我執」は両刃の刃

→人の世に争いが絶えず、時に骨肉相食むという悲劇、民族間の死闘などを生む。
→自己の幸福を願い望むことから、人類社会の向上発展に役立つことにもなる。どう扱っていけば良いが、古今東西を通じての人間の知恵の絞りどころになった。

   ○西欧の場合  「法の精神」を生む

→社会公認の規則を樹立して、人間同士はお互いにその規則に服従することを約束し、もって「我執」発露を「法」で規制。
→一方で人の心の内面的反省を求めるために、「宗教」が創始せられ、豊かな情操のために「芸術」が、思考の発達を促進させて人びとが良識を持つように「哲学」という学問が起きてきた。
→「規制」と「自制」による社会の秩序保持。

   ○古代における日本の思想

     ・「法的規制」にも気付くがそれに依存せず
     ・「神仏」と人間を別物とする「宗教」は生まれず
     ・「瞑想」「観念的思考」を排したことからか西洋的「哲学」も発達せず。

→「我執」から離れようとする心の働きそのものを最大限に評価し合い、その心の働きを信じ合って、生の人間だけで、人間そのものの、ありのままの姿において、心の中に大きな「振幅」を樹立。

   ※「まごころ」→「我執」から離れようと努力するその心の働きに対して名づけられたもの。
   ※「私情」を大切に見、そこに発露するまごころを日常生活における相互の注視のまとにしてきたこと。
   ※まごころを鍛える道=「和歌」
   ※歴代天皇がたが熱心に踏み続けられてきたこと
        
   ○日本人の最高価値「まごころ」の展開

→人を見る眼にも自ら基準が生まれる。

→社会的地位の上下、貧富の差異、頭脳の優劣など外的な差異よりも、その人の心の「振幅」の中にまごころの発露が見られる人かどうか、という点を重視して人物の評価をする。

→生きている人ばかりでなく、すでにこの世を去った人びとに対しても、その人びとが在りし日に見せてくれたそのまごころの発露をいつまでも感銘深く心に宿し、在りし日々のそのまごころを、死して後も敬い崇める習慣が生まれる。
   =日本人の考える「神」が生まれる。

→いつしか「宗教的情操」と呼ばれる敬虔な心をお互いに持ち合うこととなり、亡き人びとと生きている人びととのあいだに、心を往き来させることがありうる、とする「神人交通の思想」が生まれる。
   ※「宗教的情操」と「宗教」の本質的な違い(礼拝の対象に取り組む側の人の心情)

日本人は、宗教の中に彼岸を求めず、現実のお互いの人間生活の中に、それに匹敵しうるものを求め続け、それに向って実践し続けた民族である。

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2005年4月 3日 (日)

今日は、雨

せっかくの休みだというのに、今日は、雨。昼下がりには遠雷が鳴っていた。
車ででかけると、ラジオが、4月下旬なみに気温が上がったところに、強い寒気団が入り込んだのだという。市内ではあられがふったらしい。

工兵橋から川沿いの道につづく桜の土手は、もう花見客を迎える準備に余念がない。気の早い花見客が昼間から宴会をしていた。

桜の枝を持ってきてくれた人がいて、それが一晩で満開になった。それで、写真に撮ってみた。

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2005年4月 2日 (土)

子規 〜その9〜 「歌よみに与ふる書」にふれる(4)

さて、やや堅苦しい話になってしまったが、やはり本文を読まないことには何事も始まらない。

「歌よみに与ふる書」は「再び、三度、四度〜十度」まで合計十回の稿からなるものをまとめていう。それに加えて、質疑応答編として「あきまろに答ふ」「人々に答ふ」がある。

それぞれ概要を紹介して、次に詳細に読んで行きたいと思う。便宜上、1〜10まで番号であらわし、それぞれ論じていることの概要をまとめてみたいと思う。

1、「仰せの如く近来和歌は一向に振ひ不申候」に始まり、万葉、実朝(源実朝・鎌倉幕府3代将軍、28歳で甥の公暁に暗殺された)の優れていることを宣言した、和歌改革の第一声である。

2、「貫之は下手な歌よみにて古今集はくだらぬ集に有之候」という、余りにも有名な、伝統的価値観への爆弾宣言に始まる既成の歌壇に対する挑戦状である。

3、「前略、歌よみの如く馬鹿な、のんきなものは、またと無之候」から書き出している。ここからは各論に入っていくように思われる。ここでは、実感から離れた遊びとしての言葉に対する激烈な批判が展開されている。

4、「拝啓。空論ばかりにては傍人に解し難く実例に就きて評せよとの御言葉御尤もと存候」と書き出し、具体論に入っていく。従来名歌とされていたものに再検討を加える。その際の指針として「理屈を排除する」という姿勢を鮮明に打ち出している。

5、冒頭から既成の和歌を取上げて徹底的に分析・批判していく。ここでは4首を取上げているが、特に「嘘」という問題について論じている。子規は面白い嘘は認めている。それは明らかに虚構だということは誰にでもわかるがそのイメージは誰にでも納得できる感じることの出来るものである、という意味のように取れる。面白くない嘘とは、人を騙し、自らを欺く嘘のことのようだ。

6、「御書面を見るに愚意を誤解被致候」と書き出している。反響の多くが、子規の提起した問題を誤解していたことをうかがわせる。ここで子規は一つ恐らく当人にとっても始めて自覚的に表現したのではないかと思われる一言を発している。「日本文学の城壁をいま少し堅固に致し度」と述べている。詳細は後に譲るが、子規が言葉の戦いを戦っていたことが明確になる。言葉の上の戦いではなく、言葉を巡る戦いである。

7、ここでは、前に続いて言葉の問題を敷衍している。

8、「悪き歌の例を前に挙げたれば善き歌の例をここに挙げ可申候」と書き出し、今度は、どのような歌が良い歌とされるのか、されるべきなのかについて具体的な歌につき論じている。子規により古歌が甦ったというだけでなく、近代日本人の精神がどのようなありようであるべきなのか、明確に指し示している。

9、前に続いて、「金槐和歌集」の実朝の歌を紹介している。「金槐」という言葉は、金塊ではない。右大臣の俗称である。何かいわれがあると思うがそのうちに調べようかとも思う。実朝の官位が右大臣であったところから取られたと思われる。

10、最後にとりあつかっているのが、言葉の使い方の問題である。言葉を硬直したルールから解き放って、本来の機能を回復させることを目指したもののようである。

以上、概略を述べた。

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2005年4月 1日 (金)

子規 〜その8〜  「歌よみに与ふる書」にふれる(3)

前稿の続きになる。子規を読む意義について、

「第二はもちろん歌についての表現力、批判力を子規から学ぶためである。子規の歌論俳話は、詩歌という圧縮された形の中で、言葉についての徹底した修練をさせてくれる。言葉は学問の基礎である。われわれは古今東西万人の情意を何によって知ることができるだろうか。主として言葉によって把握し判断するほかはない。だから、学問などといわなくても、われわれの生きること自体が、主として言葉によって行われている。したがって言葉の修練が人生の基礎となる。子規の歌論は歌と作者の思想との関係を、言葉づかいに密着して精密に論究したもので、これによって、われわれは日本語の基礎的な微妙なはたらきを知ることができる。だから、それが学問、殊に人文・社会科学の基礎的修練としての言葉の研究となるのである。日本語の研究なくして外国語の微妙な表現がわかるはずはない。歌をつくることの意義については、私は人生的に非常に高いものと評価しているが、それについては他の書物にのべてあるので、ここではくり返さない。(中略)子規歌論が歌についてだけでなく、広く学問の基礎となった一例をそこに見ることにもなろうかと思う。」

ここで述べていることは、極めて重大な指摘だと思う。

「言葉の修練が人生の基礎となる」このことは強調してもしすぎることはないのではないか。
誰でも生きるために言葉を使う。言葉なくして一日たりとも生きることは出来ない。

新約聖書ヨハネ伝冒頭の余りにも有名な一句「初めに言葉あり、言葉は神なりき。万の物これによりて成り、成りたるものこれによらで成りたるものなし。」とあるが、これに通ずるものであるかもしれない。

これは、単なる類似の言葉を連ねたわけではない。言葉というものの不思議な性質を、それなくしては生きられない人間という存在について、語った言葉なのである。こういうのも言葉による。

余り抽象的になってはいけない。子規が排撃した理屈というのは、抽象的、観念的で実態を伴わない架空の観念であった。

余談になるが、今の日本には、この抽象的、観念的で実態を伴わない空想、というより妄想が幅を利かせているように思われる。
このことは致命的な問題になると思われるが、具体的な問題については別に論じたいと思う。

何れにせよ、子規の歌論を学ぶことによって、言葉を修練する方法論を学ぶことが出来る、ともいえるかもしれない。これは、あらゆる学問の基礎となることである。日本人はすべからく、子規に学び、己の本然に立ち返って、和歌を詠むべきである。

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