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2005年3月31日 (木)

子規  〜その7〜  「歌よみに与ふる書」にふれる(2)

「歌よみに与ふる書」などという、反故(ほご)をいまさら持ち出して何になるのか、この一文の表題を見て訝(いぶか)しがる人もおられるであろう。
その理由を、全て言い尽くしてくれているのが、(1)で紹介した夜久正雄氏の一文なのである。

「子規が月並、理屈を排撃して万葉復古を唱えたのは、王政復古、明治維新という政治的意志と平行する文学上の業績であったとみられる。」

「いわゆる徳川三百年の太平の夢が覚めて、いわば一切の価値が崩壊するかに見えた時、子規は、前提をゆるさない周到な検討によってただひとりその眼力をつちかっていった。そういう意味での徹底した客観的科学的精神は、やはり西洋文化との接触によって生まれたとみることができる。その意味でも、子規は明治の子として明治の課題に全身を傾けて答えようとしたと思う。」

子規が行った独創は、明治維新という独創の文学上の側面だということであり、先に維新の志士と子規を同等であると断じたが決して自分だけの独断ではない。

夜久正雄氏が子規の歌論を読む理由について2点挙げている。

「第一はもちろん子規の精神と思想とをその文章によって味わい、子規に具現された明治の創造的精神を「身読」しようとするためである。維新と復古、革新と伝統とがひとつのものになる所に明治の精神の偉大な特徴があるが、子規はそれを最もよくあらわしている。第2次世界大戦の敗戦後は、日本の国土の範囲が明治初年にかえったこと、われわれ日本人はすべて占領軍の支配下に入ったこと、それまでの制度や思想が崩壊したことなどから、国民の多くは絶望と緊張とのおりまざった気持ちで、明治初年、つまり明治維新の精神を回顧したのである。そこからもう一度やり直しだ、という意気で、日本の復興にとりかかったものであった。そうしてその復興は経済的な面ではほぼ達成された。しかし教育や文化の面では、そういう復興精神はいまだに表現されていない。そういう今日であればこそ、子規の文章を読むことの意義は大きい。国の独立と自由とを戦いとった明治の創造的精神を学びながら、現状の行きづまりを開拓しなければなるまい。」

この文章に言い尽くされているので何も付け加えることはないが、昭和の文人で子規に当たる人は、誰であろうか、という想像をめぐらして見てもよいかもしれない。思いつきだが、「三島由紀夫」という名前が浮かび上がってきた。

僕が思うに、「小林秀雄」「江藤淳」「林房雄」など、多くの偉大な巨峰が連なっているように思う。

それでも、一つの原点として、子規の再評価ないし再発見は重要な課題なのだと思われる。

もう一点については、また書く。

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