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2005年3月15日 (火)

「信ずることと知ること」について

小林秀雄氏の文章は、何度読んでも考えさせられます。
この「信ずることと知ること」は、何回読んだか知れませんが、そのつど強いインパクトを受けるものです。

前半はベルクソンの話で、後半は柳田国男の話になります。

このことを紹介しようと思ったのは、山の不動さんのコメントを頂いたことによります。先に「白磁の杯」をご紹介しました。

「人は幻のように世界を見る」

という、人間の認識能力の不思議さ、脆さ、特徴、特質というものについてでありましたが、現代の魔術である「科学的」という言葉の護符的な力というもの、それは決して「科学的」では有り得ないものですが、そのような言葉に宰領されている現代という時代の特徴を描いた作品でした。

丁度、同じ事を逆から言っているのが、この小林氏の文章のように感じたのです。

柳田国男氏の「故郷七十年」という晩年の著作から、氏の幼い頃の体験の話を引用しています。

「その旧家の奥に土蔵があって、その前に二十坪ばかりの庭がある。そこに二三本樹が生えてゐて、石でつくった小さな祠があった。その祠は何だと聞いたら、死んだおばあさんを祀ってあるといふ。柳田さんは、子供心にその祠の中が見たくて仕様がなかった。ある日、思い切って石の扉を開けてみた。さうすると、丁度握り拳くらゐの大きさの蝋石が、こんとそこに納まってゐた。実に美しい珠を見た、とその時、不思議な、実に奇妙な感じに襲はれたというのです。それで、そこにしゃがんでしまつて、ふっと空を見上げた。実によく晴れた春の空で、真っ青な空に数十の星がきらめくのが見えたと言ふ。その頃、自分は十四でも非常にませてゐたから、いろんな本を読んで、天文学も少しは知っていた。昼間星が見える筈がないとも考へたし、今ごろ見える星は自分等の知った星ではないのだから、別にさがしまはる必要もないとさへ考へた。けれども、その奇妙な昂奮はどうしてもとれない。その時鵯(ひよどり)が高空で、ぴいっと鳴いた。その鵯の声を聞いた時に、はっと我に帰った。そこで柳田さんはかう言ってゐるのです。もしも、鵯が鳴かなかったら、私は発狂してゐただろうと思ふ、と。」

この話を読んで、小林氏は感動した、という。柳田さんという人が分かったという風に感じたそうです。その柳田さんという人の感受性がなければ、柳田さんの学問はない、と感じたのだと書かれています。柳田氏は、おばあさんの魂を見た、ということを寸分も疑っていない、このことは、そう感じたのは錯覚だとか、異常心理だとかいうのは、その経験を素直に受け取ることの出来ない、精神の衰弱なのだということを、小林氏は言いたいのだと思います。

「生活の苦労なんて、誰だってやってゐる、特にこれを尊重する事はない、当たり前の事だ。おばあさんの魂の雄sんざいも、特にこれをとり上げて論ずるまでもない、当たり前のこと、さう言はれてゐるやうに思はれ、私には大変面白く感じられた。」

「自分が確かに経験したことは、まさに確かに経験した事だといふ、経験を尊重するしつかりした態度が現れてゐる。自分の経験した異常な直観が悟性的判断を超えてゐるからと言って、この経験を軽んずる理由にはならないという態度です。」

こういう言葉を辿っていくとき、小林秀雄氏が、いわゆる「科学的」という言葉によって、切実な経験自体を軽蔑し嘘と断定していく軽薄な世相に対して、明快なノンを投げかけていることが分かります。そして、それは、

「その生活の中心部が、万人の如く考へず、全く自分流に信じ、信じたところに責任を持つといふところにあつた」

という生き様をする人に対する、共感として現れているのだと思われます。

「何の事はない自分の懐中にあるものを、出して示すことも出来ないやうな、不自由な教育を受けて居るのである」

という柳田国男氏の言葉は、現在の教育(これは、明治以降の科学教育といってもいいのかもしれませんが)に対する痛烈な疑問符を投げかけています。

断片的な引用と、舌足らずな感想で申し訳ないのですが、もう少し、

唯物史観について、「歴史を言ふなら、先づ何を措いても、歴史を生かしてゐる人生観の変遷といふものを言はねばならぬといふ、全く常識に適った考へさへ覆って了ふ。言葉の惑わしといふものは怖いものです。」と述べています。

「言葉の惑わしといふものは怖いものです」とは、何と強い言葉でしょう。

「歴史といふものの実体は不易と流行とで一体をなしてゐるといふ古くからの考へ方に反対する理由もないのです。専門の歴史家はさて措き、普通の歴史好きといふものは、過去に生活してゐた全くの別人と、今日の隣人の如く親しく話し合ってゐるものなのだ。それが私達の歴史に対する尋常な態度であるし、そこに私達に親しい生きた歴史の実体もあるのです。」

「何処から来るとも決してわからぬ恐怖に襲はれる事は、人間らしい傷つき易い心を持って生活をつづける限り、無くなりはしないのです。それをお化けは死なないといふ言葉で言って悪い筈はあるまい。」

「追っぱらっても、追っぱらっても、逃げて行くだけのお化けは、追っぱらった当人自身の心の奥底に逃げ込んで、その不安と化するのである。人間の魂の構造上、さういふ事になる。そこで、追っぱらわれたお返しに、彼をにやりと笑はせる。笑っても、人生で何一つ実質のあるものが得られない、全くうつろな笑ひを笑はせるのです。そんな事まで出来なければ、お化けとは言えますまい。」

「懐中にあるものとは、言ふまでもなく、私達の天与の情(こころ)です。情操教育とは、教育法の一種ではない。人生の真相に添うて行はなければ、凡そ教育といふものはないといふ事を言ってゐる言葉なのです。」

この言葉で最後、結ばれています。

誤解の余地の無い言葉だと思います。

昔の人は、人生の事実に即して、思索し、学問をしました。人生の事実に外れて突拍子もない事を言う「学問のある人」に対しては一種の軽蔑さえ持つだけの強固な実人生に対する信があったわけです。今は、「学問のある人」ばかりになってしまったのかも知れません。それは、危ういことのように思われます。

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コメント

ポイントをつかれた感想文で言ふことはありません。正しく仰る通りです。

投稿: dainankoumasige | 2012年6月 1日 (金) 午後 06時59分

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