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2005年3月12日 (土)

山の不動さま

山の不動様、コメントありがとうございます。
「明治人の気質」が、なぜこのように、すっと大地に根ざした草のような強さを示すことが出来たのか、ということですが、本当に不思議の感に打たれます。

江戸時代というパックストクガワーナの夢破れ、新しい時代を創出しなければならないという、草創期の明治日本に、澎湃として渦巻いていたものがあったのでしょうね。

司馬遼太郎氏の「太郎の国の人々」は読んでいませんが、明治を「可憐」と表現したことについて、同感か反発か違和感か、何れかを選べと言われたら、同感に近いかもしれません。しかし、この「可憐」さは、大東亜戦争にまで続いているように感じられます。

ここで、子規について触れたのは、子規以後多くの近代短歌の流れが生じましたが、清冽な源流の飛沫を浴びて、清清しい思いがしたいというごく私的なものでした。

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